魔法陣
火花が散った。
青い転生者のニードルとオークの鉤爪が鍔迫り合いを演じている。
〈ブルー〉と〈ゴースト〉。この地の人間には発音しづらい呼称の二体のネームドユニットが直接対決している。
豪力に押し切られて弾き飛ばされた転生者の、制動をかける両の足が地面を削って轍を作る。砂塵を伴う轍はオークの周囲に幾重にも刻まれ、視界の外に逃げ去るような動きで背後を取った転生者が再度襲い掛かる。
オークが背後に武器を振りぬいて、転生者の頭部が破砕される。直後に修復が始まり、破片が収束していく。
転生者の遠隔操作を妨害する〈遠見師〉が何故かいなくなったので、ヒルダは青い転生者を戦場に出すことが出来ている。
しかし、ヒルダはこんな一対一の喧嘩がしたいわけではない。一体のユニットに注目しすぎると、いつのまにか他のが破壊されているということも珍しくない。
白熱する鍔迫り合いを無視して、後衛の転生者に視点を移し、レベルが上がったものに支援用のチートスキルを習得させる。役に立つのが〈遅滞〉のスキル。レーネセンが言うには、生物の筋肉の隠された原動力である分子の熱ゆらぎを減衰させ――要するに敵の動きをのろまにさせる。
遅くなって狙いやすくなった標的に、弓兵で集中砲火の操作。
別働隊に視点を移し、敵後衛トロールに突っ込ませる。
瀕死の転生者を回復させるために後退させる。それを追う敵を、無傷の転生者で進路妨害する。
再度青い転生者に視点を戻す。いつの間にか対戦相手が代わっていて、巨大な槌が振り下ろされる。転生者は避けたが地面を穿つ、魔法にしては異常な威力の衝撃波によって防壁まで吹き飛ばされ、叩きつけられてしまった。その槌を持った牛頭の種族タウレンの体は、大量の髑髏で装飾されている。そのすべてが人間の犠牲者ではなく、転生者化石だった。チートスキルを技術盗用する敵が、ここにもいたのだった。いわば、敵側の勇者。
青い転生者はその巨体に取り付き、ニードルを
「ヒルダ様、もう転生者を下げてください」レーネセンが心配そうに言った。
「まだよ、まだやれる……!」
鬼気迫る表情のヒルダが使役する転生者小隊が、奇跡的に最後の防壁の前でオーク軍を押し留めている。
「もうすぐ、大魔導師の魔法が発動されます。オークは文字通り、袋の魔鼠、一網打尽です」
「だから、なおさら!経験値が勿体ない!」
「ええ……?」予想外の理由に、レーネセンは引いてしまったようだ。
「転生者以外の兵器で大量虐殺をするなんて、経験値の浪費、資源の大いなる棄損だわ!」
「で、でも……防衛はもうすぐ終わるのですよ」
「ヒルダ様はオークの次の敵を見据えているのでしょう。氷の軍勢こと、アンデッド・スコージを」少佐がヒルダの肩を持つように言った。
「しかし、そこまでして……」
「ヒルダ様~!」リデュケが通信で会話に割り込んできた。「オークの鉱山基地をキノコ畑にしました!」
「どういうこと?」
「文字通りの意味です。キノコ畑からは転生者や投石器は生産されません。ついでに〈遠見師〉も無力化しました」
「……」ヒルダは唖然とした。
「戦力にならない、ただの毛玉と聞いていましたが?」少佐が言った。
「私自身の戦力は微弱です!菌たちがやってくれました」
「でもそれなら何故、敵はまだ攻めてくるのでしょう?」レーネセンが質問した。「拠点を失ったのだから、敗北が決まったようなものなのに」
「彼らはもし勝ったら、我々が今いるこの要塞を乗っ取るのです」少佐が答えた。「〝基地交換(ベーストレード)〟。そして、ここの資源を利用してこの国の残りの部分を相手にするつもりでしょう」
「そんなハイリスクなやり方ある?」とヒルダ。
「人間のように農地や建物にこだわらないからでしょう。略奪者らしいやり方であります。現に今も、我々のボウガンや銃を拾って何の躊躇もなく使ってきます」
オークの種族間連合軍〈群勢〉は、最後の防壁を破って要塞内の敷地になだれ込んできた。そこは、カーテンウォールに囲まれた正方形の広い領域。
そこを守るのは、大魔導師カドガーが操る魔法塔だけ。塔の頂上には魔石鉱脈から削り出された、巨大な魔石の原石が粗雑に設置されている。加工されておらず、表面には岩石すら付いているが、不純物の隙間から鈍い橙色の光を発している。
広場の四方を囲む壁の基部から、赤黒い液体が流れだした。魔鉱油だ。
「ここまでか」ヒルダは転生者歩兵を撤退させた。しかし青い転生者は残って、敵を撹乱し続ける。
地面には細かい溝がいくつも刻まれており、液体はそこに流れ込む。溝の形状が表すのは、上空からでないと全貌を見渡せないほど巨大な魔法陣なのだった。ここにを流し込むことで、描画が完成するようになっている。
巧妙に迷路のように仕組まれた流路が、魔鉱油を、正しい図形を表現する隘路に導く。交差する構造と、計算された高低差は、ダミーの描線を余白として残す。
複雑な幾何学模様が、急速に形を成していく。
ところで、魔法陣とはそもそも何なのか?
呪文と魔素供給源という二つの要素があれば魔法は発動できる。じゃあ、なぜ魔法陣なんてものが使われているのか?
簡単に言えば、呪文を補うのが魔法陣だ。大魔導師が言ったように、曖昧な自然言語によって宇宙に負担をかけるのが呪文。呪文で反応式を表現するとき、魔法陣によって分子の構造図を織り交ぜれば、より高度で多義的な曖昧性を表現できる。
そんな魔法陣の中でも、最大級に複雑で大規模なものが、音もなく完成しつつあった。
禍々しい生贄の台に注がれた、呪われた血のように。這い寄る小型魔獣の群れのように。
そして、円陣の端が閉じられた。
カドガーが魔導書を閉じて詠唱の結句を叫ぶと、魔法陣の全体から炎の柱が噴出した。この極大範囲魔法の名前は、〈インフェルノ・ピラー〉。その名の通り、地獄の業火が、密集していたオーク軍全体を襲った。
ヒルダはその直前に、青い転生者を転移させて逃していた。転生者は熱を喰うとはいえ、チートスキルとして排出できない量を与えられると内部から崩壊してしまう。逆に言えば、出力に特化したなんらかのスキルを習得させれば、耐えられるかもしれないとヒルダは思う。しかし現状では、この魔法に巻き込まれるとひとたまりもない。
オーク達は、緑肌の魔法耐性のおかげで耐えている。燃焼とはもっとも単純な魔法だから、耐火性の皮膚ということでもある。
さらに、転生者が吸熱しているので、英雄達の近くにいる者は大半が生き残っている。だが、永久に耐えられるものではないだろう。
魔法陣から出れば難を逃れられるのだが、そう出来る者はいない。ヒルダ達は転生者に〈チートスキル:遅滞〉を習得させ、それを重複してかけ続けることで、オークの逃げ足を奪ったからだった。
炎の中から、断末魔とも違う、重々しい獣の雄叫びが響き出した。
牛頭族の〈
空気の振動に耐えかねて、要塞中のガラスが割れた。割れるべきガラスが残っていない聖堂にいた子供達は、耳をふさいだ。
「魔法陣を破壊するつもりか。大規模魔法対策としては定石でありますな」とシェレカン。
魔法陣の破壊。そんな簡単な手があったのだ。
〈酋長〉の振り下ろした質量兵器が、ついに地面に叩きつけられると、狙いどおり花崗岩の床面に無数の亀裂を走らせた末、幾何学模様の裂溝の細部を粉々にしてしまった。これでは、魔法陣としての体を成さない。
しかし、紅蓮の火柱が消えることはなかった。
炎自体が、いつのまにか、中空で魔法陣を正確に形作っていたからだ。
魔法陣は、その依代だった彫刻(レリーフ)を破壊されても、存在することをやめなかった。魔法陣が自己複製し、増殖しながら上空へと連なっていく。
大魔導師カドガー・キリアントールが、己が手掛けた魔法を説明した。
「火属性魔法は、炎を出現させて持続させるだけではなく、位置や形状を操作できる。その最も制御された形態が、魔法自体が魔法陣を再現することだ。『この呪文を複製せよ』という呪文。そうした自己言及呪文が、すでに魔法陣の中に織り込まれている」
カドガーは、この自己言及呪文の専門家として、王立協会から高く評価されているのに、こんな辺境に来た変わり者だ。そして、言うことが謎めかしていてよくわからない。
「つまりどういうこと?」ヒルダが訊いた。
「要するに、この魔法陣は一度発動すると、物理的に破壊することが出来ない。この業火は対象を燃やし尽くすまで消えないということだ」
炎に耐えるオークの集団の中で、〈
そのオークは背中に大量の骸骨を背負っている。以前ならそういうヴードゥー趣味の呪物だと思っただろうが、今では転生者化石だということがわかる。一見邪教の迷信に基づいた無意味な装飾品に見えるものが、最近では軒並み最新兵器なので辟易させられる。
〈呪術師〉の祈祷は、牛頭の〈酋長〉が先程破壊した床面を修復していく。しかし、出来上がった魔法陣は、カドガーが書いたものではなく、大規模転移魔法用の魔法陣だった。
人間軍が高速建築に使っていたチートスキル〈再演〉を、オークも習得していたのだ。
だが、目的地にも対になる専用の魔法陣がなければ、大規模転送は成功しない。そんなものをいつ用意したというのか?
おそらくリデュケが倒したという〈遠見師〉が、目的地側の魔法陣を担当しているのだろう。
転移魔法が発動した。空間を織りなす糸が解かれて、別の場所に繋ぎ直される。
ここと目的地から対の青い光条が天空の無限遠に伸びる。宇宙を非ユークリッド空間として扱うことで並行なまま交差するとかレーネセンが言っているが、よくわからない。
天空に向けて伸びていた平行線はなぜか接合し、アーチとして高速で降りてきて、地面に衝突すると消えてしまった。空間の織物からほつれた糸が、撚り戻されるように。
オーク軍は忽然と消えてしまった。
あっけない幕切れ。カドガーは不要になった魔法陣を消した。
「また逃げちゃったけど?」とヒルダ。
「どんな状況でも使える、緊急避難用の〈マス・テレポート〉。それが用意してあったから、ここまで無謀な突進が出来たのでしょう」とシェレカン。
仕事を終えたカドガーも通話に入ってきて、嘆息した。
「あれを防ぐ方法はありませんな」
「あなた達って、ずいぶん呑気よね」とはいえ、大量の経験値源が無に帰すところを見ずに済んでヒルダはほっとしていた。
「お忘れなきように、ヒルダ様」シェレカンが言った。「転生者という資本こそが、この戦争の要であります。鉱山を守りきったことで、今後我々の戦力は増える一方。さらに、オークが占拠していた鉱山も収奪できます。逆にオーク軍には立て直しは不可能。たとえ新たな鉱山を見つけたとしても、二度と我々との戦力差を埋めることは出来ません」
「その通りだが、一つ訂正が」カドガーが言った。「鉱山を失ったオークは、もはや軍ではない。絶滅寸前の、無力な流浪の一族です。我々がこれから気にかけるべきは、貿易都市シュトラスホルムを占領している氷の軍勢、アンデッド・スコージのみ」
そのころ、陣地への帰路で、転移魔法の青い光条を見たリデュケは、一つの種族の絶滅の日が先送りされたことを知った。
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