燃焼
リデュケは固定砲台を失って、単独で菌床を守らなければならなくなった。
とはいえ、別に守らずに帰ってもいい。敵の指揮官を前線からここまで誘い出した時点で、一定の戦果は出したと言える。敵に移動のための資源を浪費させたのだから。
しかし、リデュケはとどまることにした。オークが使った雷魔法に興味があったからだ。あまりにも強力すぎる。あれは本当に、風属性魔法だったのか?かすかに窒素と魔素の化合物の匂いがするので、風属性らしい痕跡はある。
おそらく、オークは元素の中枢、原子核にまで手を出してしまったのだ。それでしか説明できない。自然界の雷雲からは窒素原子の核反応が検出されるのだが、その因果関係を逆にして、核反応によって雷を起こせるのかもしれない。
元素の核を操作するのは、あくまで分子レベルの化学反応と定義される魔法の域を超えている。
リデュケは、〝きわめてなにか生命に対する侮辱〟を感じた。
核反応によって生じる光は、浴びた生物の細胞内呪詛を傷つける。ドライアドの細胞はその損傷をすぐ回復するとはいえ、他の種族はそうではない。術者もただでは済まないはずだ。
そういった生命にとって極端に危険な魔法は、二つの理由で使えないはずなのだ。
一つ目は、人為的な禁忌。
有史以来、魔法使いが呪文を発見していく過程は、偶然に左右されてきた。〈チートスキル〉のように順番に、段階的に強いスキルが解除されていくのとは違い、魔法の研究者は突然、破局的な術式を発見してしまうことがある。
この宇宙は初心者プレイヤーに対して親切に設計されておらず、初見殺しの罠呪文が少なくない。唱えた瞬間に周囲の酸素を奪って、術者が死に至る呪文などが典型で、どの属性の魔法にもある。それらの罠呪文は、たくさんの犠牲者を出しながら、禁忌という知識として蓄積されていった。
二つ目は、エネルギー不足。
元素の中枢構造に干渉するような極端に強力な魔法は、魔素の性質やエネルギー収支の問題から、呪文を唱えても発動しないことが多く、それが天然の禁忌となって安全を保証していた。我々生物の安全に全く興味のない宇宙が、偶然にも気まぐれに用意してくれた親切な設計として機能していたということになる。
しかし、転生者の化石を杖にした場合は別だ。転生者によって、安全弁は取り払われてしまった。
そんな彼らには、転生者を使わない、純粋な魔法の威力を思い出させてあげなければならない。過剰な破壊をもたらすことなく敵を無力化するために、幾千年紀をかけて精緻化された精霊魔法の力を。
木の葉と火の粉が舞う中、リデュケは高い枝から獲物を見つけたミミズクのように降下して、音もなく着地した。
手には先日の、その場しのぎの槍ではなく、魔石の周りがセラミックで装飾されたものを持っている。雷魔法を警戒して、導電性のない装備にしたのだった。
シャーマンが撃ってきた場違いなほど弱々しい魔法〈プラズマ・ボール〉を、リデュケは鹿特有の軽い足取りで左右に避けた。
磁気で制御された電離気体の球体だが、弾速が遅すぎる。先程のガンマ線を伴う雷と比べて、威力が雲泥の差だ。
リデュケは装飾された魔槍の、緑の宝石の穂先をオークに向けて、魔法を発動した。無詠唱で。
一本の光の筋が、蛇のようにうねりながらオークの祈祷師の一人を襲った。一瞬の静寂の後、シャーマンの着ていた狼の毛皮の内部が、緑色の炎を吹き上げた。魔素代謝菌が燃えるときの青と、普通の炎の橙色が混ざって、このような緑になる。
燃焼途中の緑色の炎の塊が、一瞬秩序だった動きを見せたかと思うと、一本の光条を水平方向に射出した。
その光の触手は、近場にいた別のオークを絡め取った。案の定、そのオークの体表も同じように発火しはじめた。
連鎖反応。八人ほどいた祈祷師達は、またたく間に追尾する小規模な雷の餌食になった。光の鎖を枝(リンク)とするなら、彼ら一人一人は節点(ノード)だった。
最後にして最大の節点は、〈遠見師〉だった。彼は二発目の極大魔法の詠唱中だったが、八方から集中する緑の炎雷に殺到されて、業火に包まれた。
ドラゴンの吐く炎にも耐える魔法耐性を持つというオークの肌だが、その表皮自体が発火するのだから、防御しようがない。
〈遠見師〉の手から、転生者化石を加工した骸骨の杖が落ちた。
リデュケが使ったのは、〈マナ・バーン(Mana Burn)〉という魔法。そのシンプルな名の通り、マナを燃やす魔法。ただし、自分のではなく、相手が持っている魔素を燃焼させる。これは簡単なことではない。
本来、他人の領域に所属する魔素は勝手に使うことが出来ない。その権利がないのだ。
例えば、火薬は誰でもアクセスできるが故に、盗まれたり、紛れ込んだスパイによって放火される。自分で紛失してしまったり、意図しないタイミングでピンが外れた手榴弾が尻を爆破したり、逆に湿って不発弾になったりする。
魔石はそんなことはない。衝撃や風化に対しても安定だ。それに、所有者だけが知っている暗号を正確に口に出さない限り、いきなり魔法が発動することはない。
魔道士は寝言で呪文をつぶやいてもいいように、魔石や魔法陣とは離れて眠るという。
魔石ではなく、魔素代謝菌と共生している魔法種族の場合はもっと安全だ。その共生菌と彼らの細胞は、細胞核内呪詛という暗号によって密約を交わしている。
ドライアドの魔法臓器がある胴に向って、悪意ある者がこっそり呪文を唱えても、お尻が発火するわけではないのはそういった理由による。
しかしリデュケは、敵の密約を破棄させ、使用権限を乗っ取る。
魔素代謝菌の群生は集団による議会制のような多段階の認証システムを持っており、これをクラックするにはその議決を覆す必要がある。
それは容易ではない。菌の一部を騙して認証プロセスの分岐を発生させても、無数のバックアップに多数決で否決されてしまう。一つの菌叢が唱える少数意見は、他の正統な菌叢群によって黙殺されるのだ。
だからリデュケはまず一種類の菌叢を乗っ取り、それに複数の小さな決議を捏造させる。全体の会議に参加しないまま隠れて決議を蓄積し、あるとき一つに結合して一度に提出する。議会は、それを複数回の審議に耐えた正統な来歴とみなしてしまう。
そのようにして、リデュケは敵から魔素の制御を奪う。
大事なのは、自身の魔素代謝菌叢の多様性と、計算能力での圧倒、相手の魔素代謝菌の種類の見極め。
リデュケが、ステルスを使うオークに対して、槍投げという原始的な方法しか取れなかったのは、この魔法がターゲットを観測して分析することを必要とするからだった。
ともかく、オークの高位シャーマンである〈遠見師〉は武器と継戦能力を失った。転生者による吸熱で致命傷は免れたものの、自陣の防衛を諦めて去っていった。この山岳地帯のどこかにある、オーク非戦闘員のいる居住区に向かったのかもしれない。
オークの陣地は自らが滅菌のために放った炎と、魔素代謝腐朽菌によって壊滅していく。これで前線のオーク達は武器も兵糧も、何も補給できない。
領主の言ったとおり、壮麗な石造りのヒューマンの建築に比べて、比較的脆い拠点建築が彼らの敗因だろう。歩兵能力はオークが勝っていたのに。
もしリデュケが今とは別の立場で参戦しており、ヒューマンの陣地を攻略しなくてはならないとしたら、どうすればいいのだろう?石を腐食させる微生物は存在しているが、それを兵器化しなくてはならないだろうか。
炎と瘴気を背景に、ドライアドという中立種族の一個体は考える。
もし、建築物が頑強すぎて破壊できないなら……ユニットを狙うしかないではないか?
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