ドライアドの森①


 視界を遮る葉を押しのけるごとに、青い瞬きは増えていく。

 リデュケは今、領主が言ったように、ドライアドの森に援軍要請に来ていた。

 領主つまりヒルダの父には、前回のパーティー以来、娘をそそのかす不埒な余所者といった印象を持たれてしまったようだが、事実なのであまり気にしていない。

 もし自分の娘が異種族にかどわかされたくなければ、もっと強力に洗脳しておくべきだろう。あらゆる自由を奪って。


 今回は、マナ補給の食料調達のときのように周縁部で植物を採集するだけではないので、かなり奥地に入っていく。

 樹々の間に張り巡らされた透明な分子障壁は、樹数本規模の巨大な泡のような構造で、何層にも連なっている。その膜は、空気を通しつつも、外部からの有害物質を遮断すると共に、入ってきた物体が有害かどうかを判別する。

 有害と判断された場合は、樹人トレントの大枝が動き出し、やんわりつまみ出す。

 リデュケはすでにいくつも障壁を抜けているが、当然防衛反応は無い。

 普通の鹿も自由に通過して、苔をはんでいる。お尻だけ見ると一瞬、同胞と間違えそうになるが、ドライアドはもっと装飾的なので判別はしやすい。


 虹色の蝶のような生き物が樹々の枝を行き来している。

 それはフェアリードラゴンだ。中生代初期のトカゲのような姿を維持した、原始的なドラゴン。飛ぶ際に撒き散らしていく鱗粉は、ステルス看破のときに使われるダスト。

 全身に魔素代謝菌を寄生させたフクロウもいて、黄緑色にぼうっと光るのは鬼火のよう。

 魔法の森でありながら、魔法を無力化するものが多い。それは高い魔素濃度下における止めどない魔法の連鎖と増幅を防ぎ、均衡を保つためのネガティブフィードバック。今より酸素濃度が高かった白亜紀に、魔法生態系が身に着けたもの。

 いわゆる天然の魔法災害によって消滅する群生は多かったから。


 障壁地帯を抜けて、さらに奥へ、森の中心部へ進んでいく。

 天の川のように光が密集していき、青だけでなく黄金色などの暖色が混ざってくる。 

 向こうのほうに断続的に立ち並ぶ木の幹に遮られた、ひときわ明るい空間があって、鹿の半身を持った乙女のシルエットがいくつも横切っていく。

 幹に挟まれたスリットで時間を断片化されたそれは、ゾエトロープ(回転のぞき絵と呼ばれる、幻灯機と一コマずつ描かれた絵を組み合わせたアニメーション)のように見える。


「姉妹たち、ヴァーシェ(Hva skjer)!久しぶり!」

 リデュケはドライアド語で声をかけた。(ヴァーシェは逐語訳し難いが、意訳すると〝調子どうよ〟くらいの意味)

 ドライアド達は、帰還した同胞の姿を認めると、軽やかに飛び跳ねながら、口々にさえずりあった。

「あら「あらあら?「リデュケ?「石好きの?「ヴァーシェ・フェーテ!「宝石じゃなかった?「赤毛の?「カンラン石の「メイド服かわいい「化石オタクの「赤というか、ロドスピリラム・ラブラム色「乗せたい「そんなことよりかわいい」

 みんなリデュケと似たような外見で、色とりどりの、主に緑系統に寄った髪色をしている。金と萌黄が混ざった色や、蛍光色のエメラルドグリーンまで。

 リデュケが一番赤寄りの髪色だが、テーマである光合成色素には赤色のものもあるし、間違ってはいない。それに、いつでも変えられるので、別に固定の個性ではない。

 そして皆、背中に各々が好きな物を乗せている。フクロウ、キノコ、テラリウム、謎の素材で出来た手作りのオブジェ。


「姉妹たち、女王を連れてきて。マーギュリエスを」

「それはできないわ、リデュケ」

「連れてきてくれないの?」

「女王なら、もうここにいるからよ」

「どこ?」

 勿体ぶったクイズが始まるのかと思ったリデュケは一生懸命見分けようとしたが、意外と早く答えは発表された。

「わらわー!」

 一体の小柄なドライアドがニッコニコで飛び出してきて、その額から、金色の光が中空に渦巻いて奔出し、鹿の角を象った。角が実体化すると、金色の落ち葉が弾けて舞い散った。

「ペリドートのリデュケ。ひさしぶりじゃの」

 ドライアドの女王であり長老、マーギュリエスだった。

 若い身体を新調したのか、以前と見た目が変わっていて気づかなかった。

「ただいま、ケイセリン・マーギュリエス」(ケイセリンは女王を表す称号)

「人間界、どうじゃった?わらわが置いてきた口噛みマナ酒はそろそろ三百年ものじゃが、飲んだか?」

「そんな貴重なものが?初耳です。今度探してみます――もしまた、戻れたらですが」

「なんじゃ。戻れんのか?追い出されたか」

「はい。残念ながら」

「わらわがおった頃は、もっと仲良しじゃったぞ。むしろ崇拝されておった」

「でも、追放されたとはいえ、戻るための条件があるんです。それは、エルフかドライアドの援軍を呼んでくることなのですが……」

「エルフは無理じゃろ。あやつらに言わせれば、〝存在論的位相が違う〟というやつじゃ」

「そうですね……」

 存在論的な位相?よくわからない。エルフの言うことはいつもよくわからない。

「では、私達ドライアドはどうですか?女王の一声があれば、すぐにでも姉妹達は武器を取れるのでは?」

「のう、妹よ。そもそも、援軍とは何の援軍じゃ?誰と誰の戦じゃ」

「人間の小国と、おそらく暴走した高レベル転生者との戦いです」

「なんじゃ、化石か」マーギュリエスはため息をついて、「リデュケよ、まだあんなものに関わっておるのか?死を数える毎に力を増す、呪いの傀儡ぞ」

「ええ、呪われています。その中でも、最も呪いを集めた個体を破壊してほしいのです。砂鉱にまで砕き、次の地質時代まで復活できぬよう、大地に散逸させてほしいのです」

「なぜじゃ?人間が掘り出した玩具じゃ。人間に始末させよ」

「彼らでは力不足かもしれません。それに、骸の王は発掘以前から大量絶滅を糧に力を溜め、人間だけではなくすべての生命にとって脅威です。そう、ここでさえも」

「この森なら心配は要らん。魔獣の蝗害も退けようぞ」

「その力を、異種族のためには一切使わないと言うのですか?」

「我々と人間とは、生物学的な位相が違う。操作的共生状態にある我々は、競争的進化過程にある生物には関与しない。その方針を、忘れたわけではなかろう?」

 リデュケも忘れたわけではなかった。

 ドライアドは、競争と淘汰による進化論ではなく、共生を進化の原動力と見る、共生進化論を唱えている。

 元は細胞内共生の発見から発想され、今も続く理念。

 ドライアド自身がマナバクテリアと共生しているのは当然のことながら、地衣類は菌類と藻類の共生だし、海では、褐虫藻と共生するサンゴが有名。

 この理論において淘汰圧は、生命の個体や種単位ではなく、複数の種が寄り集まった群落単位にかかるとされる。そこでは、競争よりも共生が生存戦略として有効になる。

 その〈共生群落holobiont〉を、惑星単位にまで拡張しようとするガイア論も過去にはあったが、今ではそれには慎重だ。

 現在では、ドライアドの森を中心に、地下茎でつながった植物群落を一つの共生群落、つまり一つの系(システム)とするのが主流だ。

 この理論は、ドライアドの思想にも影響している。

「競争的状態にあるものは、我々の系にとって環境に属する。たとえそれが知性と文明を持った種族でもじゃ。わらわたちが観測できているようにみえて、できない。言葉が通じているようにみえて、翻訳不能の領域がある」

「隣人のことを、見えないふりをするのですか?」

「簡単に言えば、わらわにとっては、転生者も人間もオークも同じということじゃ。どれかに肩入れするわけにはいかん」

 それはまるで、リデュケがこの地を出る前の考え方だ。変わったのは自分なのは明らかで、でも何が変わったのかわからない。

「わたしには、もう見えないと言うことは出来ません」

「おぬしが一人でやる分には、止めはせんよ」

 それを聞いたリデュケは踵を返して、立ち去ろうとした。

「もう行くのか?果物でも食べて休んでいくがよいぞ」

「食べます」リデュケは即答した。

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