ハノイの塔
しばらく平穏が続いた数日の後、リデュケはヒルダを乗せて領地内の転生者兵器工廠に行った。
鉱山要塞で採掘された転生者原石が続々と運び込まれ、演目を打刻されて兵器に加工されていく。南の都市の奪還作戦が近いことを思い出させる。
二人を呼び出したシオニー・レーネセン主任技師がいるはずの実験用工廠では、一体の転生者が変な作業をしていた。操演者無しで、あらかじめ刻印された演目に従う自動作業。
机の上には三本の棒が立っていて、そこにはまった複数の円盤を、棒から棒へ移動させる。そんな作業を、転生者は繰り返している。
「何をさせてるんでしょう?」とリデュケ。
「何かの拷問の練習かしら。一晩中、無人状態でずっと作業していたみたいね」
十数枚程度の円盤で出来たパズルが、一晩かかっても解けないなんてことがあるのだろうか?それとも、全くデタラメに動かしている?
「あら、お二人とも」遅れてきたレーネセンが言った。「これは、〝ハノイの塔〟というパズルです」
「〝ハノイの塔〟……。〝ハノイ〟って何ですか?」リデュケが聞いた。
「転生者の言葉で、彼らの元いた世界における、地名のようです」
「転生者の……。とすると、また転生者が残した碑文が?」
「はい。今回の鉱山付近で、また転生者文明の遺跡がみつかったんです。前にもいったように、大量転生の悲劇を生き延びた転生者たちによる、地質時代から見れば一瞬、短い期間しか存続しなかった文明ですが」
「限られた碑文の文字数を使って、どうしても伝えたかったのが、こんなパズルなんですかね?」リデュケは訝しんだ。
「大量転生を実行したアルゴリズム、〈転生システム〉と関係する文脈で出てくるんです。プロジェクト・ハノイという言葉とともに。どうやら、転生は人為的な〝計画〟であり、その名前がハノイ。そして、転生を司るとされる女神の名前もわかりました。〝リュカ(LUCA)〟というそうです。
これは、ハノイの塔というパズルの考案者から取られたらしいですが、生物学の用語で、全ての生命の最古の祖先を表す〝LUCA(Last Universal Common Ancestor)〟とも一致しています」
「名前の一致だけでは、ただの語呂合わせ。言葉遊びでしょう」ヒルダがつっこんだ。
「その通りです」レーネセンが答えて、「重要なのは言葉ではなく、その背後のメカニズムです。なぜ、彼らはこのパズルの名前を、転生システムにつけたのでしょう?何か、このパズルが大量転生と関係しているからではないでしょうか?
それを考えるために昨日、自力で解いていたんですが。面倒になって、転生者で効率的に解けないか試していたんです」
レーネセンは転生者を一旦停止し、パズルを初期状態に再配置した。
三本の柱のうちの一本に、円盤が十数枚、積み重なって刺さっている。上から小さい順に積まれたそれは、円錐状に近くなっている。
ヒルダが腕を組みながら言った。
「ぱっと見、見た目が似てるわね」
「何にですか?ヒルダ様」
「78億体の転生者の、死体の山よ」
「たしかに……」
おそらく中空に五億トンの質量を持つ球体として現れ、地面に衝突した後は、おそらく円錐型の山として安定したであろう転生者の死体。
うず高く積もるそれに、大きな順から円盤を積み上げたこのパズルの形が、似ていないこともない。しかし――
「似てるから何なのですか?」リデュケはつっこんだ。
「別に」
「似ているのは形だけではないかもしれません」
レーネセンはそう言って、黒板に〈ハノイの塔〉というパズルのルールを箇条書きした。
・最初は一本の柱にまとめて置いてある円盤を、全て別の柱に移動させるのが目標。
・一手につき、塔の一番上の一枚しか移動できない。
・ある円盤の上に、その円盤より大きな円盤を積んではいけない。
「非常にシンプルなルールです。私は三つ目の、〝ある円盤の上に、それより大きな円盤を積んではいけない〟というルールに注目しました。これは、〈異世界転生〉が不幸な人間の救済システムであるという説を思い出させます」
「不幸な人間の救済?どういうことですか?」とリデュケ。
「小さい物の上に大きい物を置いたら重くてかわいそうじゃない」ヒルダが当然というように言った。
「そう、かわいそう。苦痛の大きさをもとに序列化されたシステムです。そして、尊厳を確保するためのルールでもあります。円錐の〝底辺〟にいた者を重荷から解放し、新天地に転送する。尊厳は相対的です。どんなに幸福でも、自分より上が居たら劣等感を感じるのが人間です」
「はあ……」
生返事をしたリデュケ。人間の幸福についてはよくわからないが、こんな円盤を人間と見立てて、本当に三億年前の大量転生について理解できるのだろうか?
レーネセンは作業中の転生者化石をどかして、パズルの前に立った。
「ルールはそんな感じです。次は実際に手動でやってみましょう。
三本の柱をそれぞれ(A、B、C)と名付けます」
塔が最初はAにあるとして、最終的にBに移すことができれば成功ということにします。まずは、ごく少ない枚数で考えてみましょう。
円盤が一枚のときは簡単です。そのままAからBに移すだけ。一手でゲームは終了です。
円盤が二枚のときは、三手かかります。
一番上の円盤をCに避けておいて、二枚目の円盤をBに移し、最後に一番上の円盤をその上にかぶせる。これで、二枚を解くことが出来ました。
次は、三枚ですが――」
ヒルダはこらえ切れずに割って入った。
「それを百万枚まで繰り返してる間、ちょっとお外出てていい?」
「ああ、ヒルダ様。わたしも遊んできます」
リデュケもついていこうとしたが、戸口に立っていた長身で黒衣の男に遮られた。
「興味深い話だ」
それは、大魔導師カドガー・キリアントールだった。
「聞かせてもらおう」
大魔導師がそう言うならと、リデュケとヒルダも、大人しく聞くことにした。
三人が席に着くと、レーネセンは話を続けた。
「重要なのは、パターンを見つけ出すということです。そうすれば、百万枚を実際にやってみなくても結果がわかるのです。転生者に彫り込む演目を考えるときにも、その考え方は役立ちます。
ハノイの塔を手動で解いていると、あるパターンが繰り返していることに気づきます。それは、円盤二枚のときの手順が、何度も出てきているということです。上の一枚を予備の柱にどかして、下の一枚を目的地に移す。その手順が入れ子状になっており、何度も繰り返すことでパズルは解かれるのです」
「なるほど」来たばかりのカドガーが、意を得たりといった調子で言った。「演目の一部に、その部分自身を呼び出す機能がある。再帰的な演目だな。私が先日の防衛戦で使った、〝魔法陣を呼び出す魔法陣〟と同じ理屈だ」
「そうなんです。大魔導師様の、再帰魔法陣が参考になりました」レーネセンは光栄だという風に言った。
「話が見えてこないんだけど」ヒルダがむすっとした。
「そうですよ!」リデュケはヒルダがはっきり言ってくれて助かったというように便乗した。
リデュケはこういう、数式だか記号だかを並べる一次元的な考え方が苦手だ。全てを関係性の網目として考えるのが得意だけれど。
カドガーは偉そうに足を組んで言った。
「繰り返しとは言うが、このパズルを解く過程でたった一度しか出てこない手順があるな」
「それは重要な指摘ですね。お二人はそれが何かわかりますか?」
レーネセンがクイズを出してきたので、リデュケは仕方なく考えた。じっと柱と円盤を見てから答える。
「……最下層の一枚。それを開始点から目的地に移す一手は一度きりで、以降その円盤は二度と動きません」
「正解です。さて、これら全てを転生システムに置き換えるとどうなるでしょう」
「開始点(A)は転生者の世界、目標点(B)は我々の世界でしょう」とヒルダ。
「(C)は何なのです?」とリデュケ。
「三億年前の我々の世界が(C)だろう。最下層を動かすときに邪魔な全てのピースを一時退避し、化石として保存しておくための、予備の柱。
「ただの一時退避所?ということは……」
「最終的には、全ての転生者の魂がこの地に転生することになるな。そのとき化石は意識を取り戻すのか、それとも再度この地に降り注ぐのか」カドガーはこともなげに言った。
「……」その恐ろしい予想に、リデュケは言葉を失ってしまった。
七十八億の転生者が、化石から復活する?領主の懸念が現実になると言うのか?
彼らが経験値を求めて争うことになれば、混乱は人間領だけのものでは済まない。
「シオニー、あなたはどう思うの?」ヒルダが問い詰めた。
「その可能性は否定できません。ですが、私が注目したのはむしろ、最下層の一枚のほうです。リデュケさんが答えた通り、それは一度しか移動しません。しかも、予備の地点を訪れることなく、開始点から目標点に直接移動します」
「三億年前の世界を訪れることなく、つまり化石になることなしに、転生者の世界から我々の世界に直接転送される……?」リデュケが言い換えた。
「そう。元の世界の記憶と自我を持ったまま。私にはそれが、本来の転生者の姿なのではないかと思うのです。〈異世界転生〉というプロジェクトが意図した、正統な転生者」
レーネセンは奇妙な確信を込めて言った。
「それが〈骸の王〉だというの?」とヒルダ。
「わかりません……。〈骸の王〉は意識は持っていても、化石のように見えますから」
「ならば、そのシステムが公式に認めた転生者というのは、すでに我々の社会に紛れ込んでいるということか。同じ姿をした人間に溶け込んで、沈黙を守って」カドガーが言った。
「なぜ隠れているのでしょう?」とレーネセン。
「理由はどうあれ、我々に友好的とは限らんな」
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