舞踏会②


 ヒルダはもう人混みを離れたかったが、若い女性が一人でいるのは〝壁の花〟と呼ばれる、社交界では気まずい状態らしいので会話を続けた。

「ではあなたは、経験値を一体に集中させ、いわゆる〝最強〟の転生者を求めるのですか?殿方は皆、その言葉がお好きだと聞きました」

 武器商人は答えた。

「〝最強〟――魅力的な言葉ですが、現状ではコストが高い。転生者のレベルは、数値が二桁台を超えた辺りから、次のレベルへの要求経験値が跳ね上がっていきます。石のどこにも数値は表示されませんが、どうやらそうなのです。

 ならば、そんな高価な個体を一体作るより、実用レベルのものを量産したほうが儲かる」

 儲かる?私に一個小隊を売りつけてきたように?

「それに、操作や演目が追いつかなければ、制御できない。奪われることもありえます」

 だから操演者の私と、この領地の刻印師達が必要?理屈は通っている。

 嫌な予感に駆られて、ヒルダは両親のほうを見た。

 両親はこちらを見て、何やらささやきあっている。彼らは、これを望んでいたのだ。数人の噛ませ犬のうちの一人かと思われたこの男が、父が送り込んできた本命だったのだ。だから、埋蔵量の機密も彼は知っていた。

 どんな贈り物にも興味を示さないヒルダが、転生者で戦うことにはなぜか執着する。それを知っていて、この段取り。仕組まれていた。大佐、あなたは戦場でよりよほど策士ではないか?なぜその知略を、世継ぎ騒動ではなく実戦で活かさなかったのだ?


 カルヴィンは、より熱を込めて言った。

「もちろん、ヒルダ様。あなたのお力添えがあれば、先程の〝最強の転生者〟の話も、夢物語ではありません。想像してみてください。転生者を無限に産出するこの領地の次期当主である貴女と、各地の経験値源を確保した私が手を組めば。そして、先ほど言った〝潤沢な鉱脈〟を、人間領の外、異種族の生存域に求めれば。この領地は、王国がかつて手にしたことのない富と、連邦国にも並び立つほどの軍事力を得ることになるでしょう」

 その大言壮語は、それでも確実に実現するようにヒルダには思えた。カルヴィンの熱弁に気圧されたからではない。〈チートスキル〉に何が可能かを、その魔法とは桁外れの能力を知っているヒルダには、彼以上に、その未来の到来を確信できてしまうのだった。

 そして、それはヒルダにとって有益かもしれない。ヒルダの秘密の願いにとって。


 ヒルダの野望。金で手に入るものではない、望み。

 誰にも――リデュケにさえ打ち明けたことのない、隠された計画。

 それが、この男といたならば叶えやすいかもしれない。この男と結婚して、先程の不名誉な称号を受け入れ、この地に君臨するのも悪くないかもしれないと思った。

 だが、そうして訪れる世界に、ドライアドの居場所はあるのか?オークの戦士達の居場所は?

〝潤沢な鉱脈を、異種族の生存域に求める〟――彼はそう言ったのだ。


 ヒルダは言った。

「ええ、夢のようですわ。現状、最も〈チートスキル〉を使いこなしているのがオークだという皮肉に目をつぶれば」

「おお、汚らわしい名の種族だ。それは、一時的な過ちです。なぜなら私には、〈チートスキル〉が、人間ヒューマンという種族のみに与えられた福音のように思えるからです」

「なぜ?」

「転生者は、他ならぬ人間の領地で産出したではないですか。それに、転生者の外見が、どの種族よりも我々に近いというのも、何か啓示的だと思いませんか?神は自らの姿を模して、転生者を作った。他の種族が変化し、堕落する中、最初のデザインを忠実に受け継いでいるのが我々なのです。それは、〈チートスキル〉の正統な後継者が我々人間であることの証明ではありませんか?」

「それは証明とは言えません……」

 転生者特科の研究者達といると、実証性のない物語がたわごとに聞こえる。

「わかりました。宗教的な言い方ではあなたの心は動かせないようだ。では、転生者の世界について考えてみるのはどうでしょう?彼らは単一種族だ。彼らの世界では、亜人どもはすでに絶滅していたのではないですか?もっと人間に近い近縁種とともに。彼らの世界では、人間こそが自然が選択した適者だったわけです」

「それは……」

 転生者の世界のことも、ここからでは何も証明できない。しかし、一つの世界のサンプルであることは確かだ。

「ちょっとした、思考の転換です。人間、亜人、転生者の三種類。この世界では、転生者が異物に見える。しかし、どちらの世界でも、人間がいたことは共通している。では、こう考えることも可能ではないですか?亜人――魔法生物達こそが、異物なのだと」

「……」

「青い苔を食べる樹人、赤ら顔のドワーフ、野蛮なオークども、そしてこの世で最も邪悪な魔族という種。彼らは、いるべきではない。滅ぶべき存在なのです。正統な転生者の所有者による、〈チートスキル〉の行使によって。弱者は淘汰され、優れたもの同士が婚姻を結ぶ。そう、我々のように。それが、今世紀の生物学が明らかにした自然の摂理です」

 このような種族主義スピーシジズムは、この世界では決して珍しいものではない。まともな教育を受けた知識人でさえ、ほとんどが人間至上主義者ヒューマニストだ。まして、〝虐殺令嬢〟に寄ってくる者ならなおさら。

 ヒルダはもう、反論することに疲れてしまった。人混みとアルコールの匂いで頭が働かない。

 それに、断れば、小隊寄贈の話は無くなる。ヒルダにはそれがどうしても必要なのだ。このまま黙っていれば、商人は父親と話をつけ、婚約の儀式の全てがヒルダの関心の外で進行するだろう。


「生物学は、倫理を規定するものではありませんわ」

 聞き覚えのある声がして、ヒルダは振り返った。ここにいるはずのない者の声。

「鹿さ……」

 ヒルダは言いかけて、口をつぐんだ。この場にいることが許されないドライアドの、いつもとは違う装いを見て。

 リデュケが、黒いドレスを着て立っていた。

 足元まで隠す大きなスカート。バッスルと呼ばれる骨組みと絹織物の装飾で、後部が膨らんでいる。ただし、それはドライアドの獣部分を覆うほどに、常識はずれに大きい。大きな耳も、ヘッドドレスで隠している。

 その傍らには介添人として、似たようなドレスを着たレーネセンもいる。白衣の下にいつもゴスロリ服を着ている彼女が、リデュケの服を仕立て、この潜入劇を手伝ったのだろう。

 リデュケは続けた。

「学問とは概して、そういうものではありません。言語学が言葉の使い方を、人々に押し付けないように」 

「これはこれは、とてもクラシカルなファッションの、異国の御婦人だ」

 カルヴィンは異国の文化と思って騙されたようだが、ヒルダには滑稽にしか見えなかった。さすがにお尻がでかすぎるだろう。

 でもそういえば、セントール族と交流のあった国ではそのようなファッションも過去にあったとかいう話を、ヒルダは思い出した。異種族との交流がもっと大らかに行われていた時代には、人々はせめて見た目だけでも、彼らよりも奇抜にしようと競い合ったという。

 パーティーの他の出席者は、リデュケが引きずるスカートの裾を邪魔そうに避けて歩いているが、衛兵に頼んでつまみ出してもらおうとする者まではいない。

 リデュケは扇子を口にあてて言った。

「会場一美しいご令嬢との楽しいご歓談中の横槍、まことに失礼。何やらとても興味深い分野のお話でしたので」

 カルヴィンは寛大に手を広げた。

「構いませんよ。ここは人間ならば誰でも歓迎とのことですから」


 リデュケは話題をもとに戻した。

「あなたは先ほど、転生者を増殖する資本に喩えておられましたね。そして、その競争を進化に喩えておられた」

「簡潔な要約です」カルヴィンは肯定した。

「しかしあなたは、進化について初歩的な誤解をされている。適者が生存するのではなく、環境が変化しても偶然生存したものを後世が適していると呼ぶだけなのです。進化論の提唱者のドワーフ自身も言っています。生き残るのは最も強い種ではなく、変化できる種であると」

「それは知っています。自然界については、そうかもしれません。しかし、チートシステムは私の誤解のほうを肯定しているようですよ。経験値を多く集めた者が支配者になる。それは、異種族を無限の経験値鉱脈として開拓した人間種のことであったと、後世は評価するでしょう」

「それでも、転生者は絶滅しました。チートシステムを生み出した当の本人達が滅んだのに、それをカーゴ・カルトとして取り入れたところで同じ道を辿るでしょう。

 原理をブラックボックスとして扱い、コードを理解しないまま、単なるプレイヤーのままでいることで」

「コード?あなたは転生者に彫り込む演目のことを言っているのですか?」

「あらゆるシステムに内在する演目のことです。私達の細胞、物理現象、各種の社会システム。

 背後に潜むコードを理解することなく、単に表面に浮上する結果だけを見て交配と間引きを繰り返す〝品種改良〟と呼ばれる、あなたが取ろうとしている方法は、極めて原始的と言わざるを得ません」

「原始的……?」

「はい。失礼、稚拙と言ったほうがよかったでしょうか」

 カルヴィンはその誤訳風の煽りに対しても、かろうじて冷静さを保って反論した。

「しかし、我々はそれ以外の方法を知らない。違いますか?どこかの上位種族が、知識を与えてくれない限り」

 リデュケは一瞬、悲しそうな顔――ヒルダと昨夜話していたときに見せたような――をしてから言った。

「自ら発見したものでなければ、文脈に根付かないでしょう。まるで背伸びして使う外来語のように」

 カルヴィンは苛立ちを隠さずに言った。「我々には時間が無いのだ。千年紀を生きる亜人種でもあるまいし。そうでしょう、ヒルダ様」

「……ええ。もう結構です、時間は有限ですから」ヒルダは言った。

「今なんと?」

「お帰りになって下さい。我が領地には、不正な方法でレベリングした転生者など要りません」



   *


 リデュケは、ヴァンディス卿が去るのを見送ってから言った。

「演奏が始まるようですが、どうされますか?」

「どうって?」ヒルダは手を差し出した。

 リデュケはその手を取って言った。「踊っていただけますか?」


 三拍子の舞曲に合わせて二人は踊り始め、リデュケは言った。

「今度は、間に合いましたよ。ヒルダ様」

「間に合う?」

「お忘れですか?なぜもっと早く私の人生に現れなかったのか。ヒルダ様はそうおっしゃいました」

 リデュケはスカートの中で、ステップを踏み鳴らした。

「――でも私は、この四つの蹄で駆けつけました。ヒルダ様が、この世界がまだ克服できていない闇に飲まれる前に。魔素代謝菌のいない、寂しい森のような闇に」

 ヒルダの父は演説の準備に忙しくなっていて、ドライアドが侵入していることに気づいていない。王都からの来賓の接待をしている。

 軍事方面と召使いに無関心な母は、リデュケを見たことがないので、上半身だけではドライアドと気づかない。

「ええ、やっと来てくれたのね。リデュケ」

 だからヒルダとリデュケは、丸々一曲、踊りきった。


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