第四章 決戦
開戦
低く這う霧の中、草原の一角に打ち捨てられた廃修道院。
同盟軍にとって、そこが新たな指揮所になった。
「放て!」
ドワーフ砲兵隊長の声に、重なる轟音。
霧が渦を巻いて逃げ、また戻ってくる。
ヒルダは腹に響く衝撃波を感じた。整列したドワーフ砲兵によって射撃されたその大砲は、野戦臼砲と呼ばれ、文字通り臼のようと言うべきか、あるいは教会の青銅の鐘をひっくり返したような形をしている。
静けさの中に空を切り裂く音、遅れて着弾の音がこちらまで到達する。
着弾地点は、骸の王に占領された、かつての美しい城塞都市シュトラスホルム。街を取り巻く城壁を、砲弾は放物線を描いて飛び越え、内部に到達したのだ。街を奪還した後で瓦礫の山だと困るので、事前に確認された魔族らしき熱源に的を絞っている。
「壁を超えるには、やはり曲射砲であります。霧で減衰しながら直進する火魔法は使えませんから」
シェレカンは通常火器の有用性を強調した。
シュトラスホルムは水の都というだけあって、湖と海の接する場所にあり、運河が縦横に走る。特徴的なのが、一つの小島に街の中枢機能が集中していることだが、歴史的にはその小島を始点として街は拡張したのだった。(シュトラスは貴族の名字で、ホルムは小島という意味)
その小島が、氷の城として骸の王の居城に作り変えられている。
「要するに、その小島までの障害を排除して、攻め込むルートを確保しているのが現状というわけであります」
ヒルダは、歩兵戦が始まらないとヒマなので、レーネセンと一緒に、砲撃を見ていた。
「こうやって遠くから鉄の塊を打ち込むだけで終わったらラクなのにね」
「この布陣を敷かせてしまった時点で敵のミスですね。敵がガーゴイルで砲兵を襲うにしても、こちらも対空は用意しているので。砲兵を守れるうちはこちらが有利です」
対空は銃兵に任せてもいいのだが、魔法は視認さえすれば対象を追尾するので、より向いている魔導兵が対空警戒に専念している。長距離は物理砲撃、中距離は魔法で対処する陣形は、近代魔法戦における定石となっている。
敵陣に変化があった。
「何かがおかしい」
「崩れていきますね」
砲弾は城壁を飛び越えて、傷をつけていないはずなのに、その壁面が崩れだした。それも、自発的に。石材に戻るように、体組織が自死するように。
そのうち、地面近くで何かが沸き立った。決壊した堤防から溢れ出す濁流のように、崩れ落ちた最小単位の破片が動き出す。
要するに、城壁を構成していた花崗岩が全て、石のゴーレムになって、こちらに向かってきているのだった。
〈グラナイト・ゴーレム〉。ヒト三人分の大きさの巨体で、首のない半球状の頭部に、かろうじて顔として認識できなくもない亀裂を持ち、恐らくその内部に感覚器がある。
そのゴーレムを前衛として、典型的なアンデッドの軍勢が迫ってきた。市民をゾンビ化することで生産されたユニット〈
ゾンビと言っても、肉の腐臭がしそうな外見ではなく、そこまで不潔な印象はない。なぜなら腐敗の原因である微生物の関与が少ないからだ。骸の王によって疑似転生者化の措置を受けているおかげで、むしろ乾いて凍りついたミイラという印象。ネクロマンサーによって巻かれた包帯に呪文が書いてあり、それが演目にあたる。
その包帯をなびかせながら、冷気を纏い進軍するモノクロームの軍勢。
「予想外の物量だ。しかし撤退はまだだな」将校が言った。
「城壁がゴーレムのカーテンだったというのは、なかなかの見世物でした。これに見物料を払って帰るのも惜しくないですが」と少佐。「――その判断は、新兵器を試してみてからでも遅くはないでしょう。ゴーレムは、絶好のターゲットです」
「新兵器?」ヒルダが訊いた。
「野戦砲第四から第六部隊は、特殊榴弾に換装せよ!」ドワーフが号令を発した。
〝特殊榴弾〟として砲身に装填されていくのは、金属で補強された、見覚えのある人型の物体。どうやら、転生者を鋳鉄で固めたものを、砲弾と呼んでいるだけのようだ。
「これって、オークの真似じゃない」ヒルダが指摘した。
「お気に召しませんか?」
「鉱石の尊厳を無視しているわ。まるごと当てれば一番強いっていう発想も安直で嫌い」
「ただ当てるだけでは、オークの修復妨害用の石弾と同じです。転生者榴弾は、その修復能力を攻撃に転用した効果を持ちます」
「斉射!」
砲身が豪炎を吹いて、転生者は空中の点になった。
発射地点からの視点での相対的な移動距離が短くなる、着弾の一瞬前の動きは目で追える。
転生者はグラナイトゴーレムに着弾し、内部の火薬が炸裂、ゴーレムの前方表面を粉砕した。しかし、ゴーレムの硬度は高く、大破には至らなかった。これでは、自己修復されてしまうだろう。
しかし次の瞬間、爆炎は拡散する動きを止め、絵画のように静止した。修復が始まり、粉塵と破片が着弾点めがけて徐々に集まっていく。
その粒子は渦を巻き密度を高めていったが、元の形態に収束するのでは飽き足らず、さらに空間に空いた排水孔のように物質を吸い込んで、圧縮の中心は漆黒の光点となった。最後には、ゴーレムの上半身があった場所に、虚空だけが残った。
「消えた」「塵すら残らないぞ」初めて見る傭兵たちの驚きの声。
「質量保存の法則に反してない?」ヒルダがつっこんだ。
「着弾部分は、この世から消えたわけではありません。転生者榴弾は一旦粉塵となって相手を取り囲むことで、その範囲すべてにあるものを近場に転送します。転送先は適当な地面の下です」
転送された地中では圧力による爆発が起こっているだろうが、ヒルダは気にしないことにした。
着弾の直後に修復と転送のチートスキルを使うことで、爆破範囲にある全ての物質を、空間から削り取る転生者兵器。
明らかに使い捨てだが、地中に道連れにすることで相手の修復も許さない。
その砲弾が、押し寄せるゴーレムと死骸兵の群れに、次々と炸裂した。
ドワーフ砲兵の弾道計算のおかげか、照準精度が低いとされる短砲身の臼砲にしては信じられないほど命中率はいい。
爆発、静止、収束。一点の光になるまで圧縮され、消える質量。
地平線上に咲く、暗い真空の花火。
オークとの戦いでこれをしていたらと思うが、実際は倒すよりも多く転生者を消耗してしまう。二つの鉱山を保有し、資源を潤沢に使える今だからこそ使えるのが、この特殊榴弾だ。
敵が接近するにつれ、おなじみの防衛塔も起動し始めた。ニードルガンを連射するアロータワー。曲射砲と違って放物線を描かず、ほとんど光線のように直進する火線の鎖が、屍骸兵を薙いでいく様はわかりやすい爽快感がある。
通信兵が言った。「良いニュースです。アロータワーに組み込まれた転生者に、経験値の獲得が見られます」
「相手は死体から出来たゾンビなのに、経験値がもらえるの?」ヒルダが言った。「もしそうなら、ラッキーだけど」
「これは……」実際にレベルアップを確認して、レーネセンは困惑した。「我々は今まで、〝命〟を経験値の単位だと思っていましたが、その仮説を見直さなければならないのかもしれません。そもそも〝命〟という言葉自体の定義があやふやです。例えば代謝が可能だが、自己複製できない存在は生命なのか?自己複製するための器官を全て外注しているウイルスは?」
レーネセンの考察を少佐が断ち切った。
「今考えているヒマはない。仮説は実用レベルで機能していればいいのだ」
「そうですね。リデュケさんも似たような疑問を持っていたようですが、彼女はすでに答えを出しているかもしれません」
指令室の将校達の会話は、操演盤に中継されてヒルダにそのまま聞こえる。
「敵のネクロマンサーの位置は特定できたか?」
「開戦までは気配を消していましたが、現在は魔導反応を放射しており、索敵可能。街中にいくつかの小集団があり、郊外の墓地に分散しています」
ネクロマンサーは人間の死体からスケルトン・ウォーリアと呼ばれる、錆びついた剣と盾で武装した骸骨の兵隊を召喚する。悪意のあるダンジョンとかによく配置されているが、今回は数が多い。
「グリフォン騎兵に墓地を空爆させているのだったな?」王都の将校が聞いた。
「ですが、すでに一騎の通信が途絶えました。撃墜されたようです」
「ネクロマンサーにはまともな対空火力がないのではなかったのか?」
「騎兵からの最後の通信によれば、おそらく〈墓守蜘蛛(クリプト・フィエンド)〉です。迷彩魔法で墓所周辺に大量に展開していました」
〈墓守蜘蛛(クリプト・フィエンド)〉――この蜘蛛人(アラクノイド)種族についてヒルダが知っていることと言えば、不可視の糸を滞空させてかかったものを引きずり下ろす、対空ユニットということだけだ。
こんなときにリデュケがいれば、聞いてもいないのに長々と、その奇妙な進化史から説明してくれるのだろうけれど。
榴弾やタワーの砲火を突破して、アンデッドの軍勢は戦線を押し始めた。
「ヒルダ様、また御手を煩わせることになりました」少佐がヒルダの肩越しに言った。
「わかっているわ。演奏、〈葬送曲〉」
上空から操演線が降りてきて、わずかに懸架されるように転生者歩兵は身震いした。
「無人歩兵小隊、
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