援軍
暗い指揮所で、戦況を映す光の簾越しに少佐が言った。
「あのドリアーデが言ったように、転生者歩兵の隊列は盤上遊戯の駒のようであります」
「今更それがどうしたの?シェレカン」
「古典的な遊戯の世界では、駒は減ることはあっても増えることはありません。実際に近代以前の戦争では、双方が兵士を並べて減っていくのを眺める浪費の祭典でしたから、遊戯は現実を反映していました。しかし、遊戯盤のどこかに駒が湧き出るマスがあったらどうでしょう」
「それを確保しないとね」
「ええ。それが転生者鉱山です。それは遊戯の在り方を一変させました。駒は試合中に増え続けます。プレイヤーはいかに最小の投資で最大の資源を得られるかに頭を悩ませるようになりました。
そして今回の敵、ネクロマンサーにとっての鉱山は、この土地です。それは中世――盤上遊戯のような戦争の時代に、数百年に渡る国境をめぐる争いで死体を蓄積した古戦場なのです」
立体映像の広域図の中、ネクロマンサーがいる地点から続々と死骸兵が発生するのを見ながらヒルダは言った。
「敵が入手できる死体には、膨大とはいえ限りがある。対してこちらは、転生者をほぼ無尽蔵に掘ることができる。じゃあ私達は、もっと時間をかけて軍拡してから仕掛けたほうが良かったんじゃない?」
「それはもっともです」シェレカンが答えて、「しかし、骸の王が海の向こうに侵略するなら話は別です。我々も海側は包囲しきれませんから。南東の大陸にはまだ近代化されていない複数の国家があり、無防備なそれらを征服して死体の補給源とし、またこの地に攻めてこられると厄介です」
「それなら敵はさっさとそうすればよかった。でも、なぜかこの地域にこだわっているように見える。そのわりには鉱山を狙うわけでもない。何か非合理的なのよね」
「何かを探しているように見えました」レーネセンが言った。
「何かとは?」
「ハノイの塔の、最後の一枚を」
戦場では双方の無人兵器による歩兵戦が始まっていた。
相変わらず異様な挙動をする術が多いが、魔法との違いがより際立ってきた。魔法は化学反応の延長だが、チートスキルはどうやってか時空の性質を操るものが多いようだ。
特に今回はオーラ系や範囲攻撃スキルが猛威を振るった。〝周囲の味方の攻撃速度を上げる〟とされるスキルは、どうやら周囲の時間を本当に早めているという説があり、それはつまり時空の織物の目を粗くするということらしいのだが、ヒルダにはよくわからない。
逆に時空の織物を稠密にすれば時間が遅くなるとか魔導士たちは直感的に言っているが、物理学としてはとんでもないことだと思う。
倒したゾンビの身体を突き破って
「ゾンビ、ゴーレム、スケルトン、そして蟲型の異教の隷下生物……アンデッド軍の見本市ですな」カドガーが感心した。
大型操演盤に表示される、様々な駒が並んで賑やかになった立体映像を囲んで、参謀達は撤退も視野に入れて議論している。
「大規模転移用の魔法陣を用意しておいてよかったな。先日のオークがしたように」
「しかし今撤退すれば、敵の召喚が北上して周辺の町を襲うでしょう」
「まだやれるが、ネクロマンサーを倒さなければキリがない。戦力が無尽蔵に沸いてくる」
「砲撃でもしてみるかね?曲射弾でゾンビを飛び越えて」
「的が小さすぎます。弾着観測もできない現状、墓地や古戦場に分散した人間サイズの物への的中は望めません」
「やはり撤退しかないだろう。クナーグ卿がエルフだかに要請した援軍とやらも当てにならん」
「そうすべきだ。今回は敵に総兵力をぶつけて出方を見た、有益な威力偵察だと考えるべきだ。そのために高価な魔石を消費する退避用魔法陣を用意したのだから」
撤退ムードの司令室に、通信兵の声。
「グリフォン偵察兵から入電。〝援軍〟だそうです」
「何だと?後方からは何も来ていないぞ」
「東側、敵墓地のさらに向こうから来るそうです」
「つまり、敵側の援軍だということか?通信兵、〝どちらの〟援軍なのだ?」
「わかりません。グリフォン偵察兵が〝援軍〟(reinforcement)としか言ってこないので」
「少ない単語の組み合わせで多くの概念を表現する自然言語形式ではなく、概念それぞれに一つの単語を対応させる暗号形式を取ればよかったですな」カドガーが珍しく口を挟んだ。
「通信の曖昧さについてはどうでもいい。敵か味方かの話をしている」
「この地方特有の低く這う霧のせいで見えないとのことです。映像を見てもらったほうが早いので出します」
たしかに、東の平原の霧海を何かの集団がまとまって移動し、船の航跡のような尾を引いていた。尾が広がるにつれて左右交互にできる渦は流体力学では速度と粘性が関係したなんとか渦と言うらしいが、それは今どうでもよかった。
その決して多いとは言えない人規模の軍勢は、速度を落とすことなく、敵陣である墓地の領域に突入した。明らかに味方に合流する目的以上の速度で。
あくまで映像の中では静かに、喊声一つたてずに。
*
リデュケは狼に乗ったオークの軍勢に混ざって走りながら、雄叫びをうるさいなと思った。ドライアドは戦いにおいてこんな風に叫ぶ必要はない。むしろ呪文を聞き取られないようにささやくのが歌にさえ聞こえるという。
ところで、オークの言語を〈樹洞〉から引き出してきたのは正解だった。そんな情報が所蔵されているとは知らなかったので、以前は調べようとすら思わなかった。これによって、意思疎通ができるようになった。
オークの言語は、古典音声学的には喉音言語(guttural language)と呼ばれ、kやgなどの子音を多用し、〝ガ〟とか〝ング〟とか〝グル〟いった音が連続するように聞こえる。
吸着音と言って、軟口蓋と舌の奥で舌打ちをするような感じの発音もたまに使われる。 この吸着音による子音も数種類あり、オークが巨大な下顎のからはみ出した牙で唇の動きを制限されていることを補って、発音を多様化させている。
例えば、〝Lok'tar(吸着音)O'garr(歯茎ふるえ音)〟みたいに聞こえる短文の意味は、前半が勝利で後半が死、つまり「勝利さもなくば死を」みたいな意味の言葉で、これを叫びながらオークの狼騎兵たちは突進していく。
リデュケは別にそこまで決死の覚悟を持っていないので少し気まずい。
墓地周辺に魔法迷彩で隠れていた墓守蜘蛛の数体は、霧のカーテンを破って出てきたオークの戦士達に驚き、狼の突進の勢いで蹴散らされた。
蜘蛛の残りが気付いて糸で反撃してきたが、魔素で強化された糸はオークの魔法耐性の肌に効果が薄かった。
墓守蜘蛛は体表の毛で投射武器などを受け流す、いわゆる遠距離攻撃に強い装甲タイプなので、もし人間軍が砲撃を選択していてもほとんどダメージを受けなかっただろう。しかし、打撃や斬撃にはめっぽう弱く、オークの戦斧との相性は最悪だった。
巨大な節足動物は次々とひっくり返っていった。
倒された蜘蛛の向こうには、ネクロマンサーが見えた。六人程度の小集団だ。
ネクロマンサーは、画家がデッサンのモチーフに使う牛頭骨のような面を被っており、血の色のローブを羽織って、禍々しい杖を持っている。
いかにも呪術めいた出で立ち通り、〈呪〉属性の魔法に熟達している。
〈呪〉とは、以前に説明した〈火、水、風、土〉の基本四元素の外にある元素を使う。
要するに、硫黄(Sulfur)だ。
ネクロマンサーは硫黄元素と魔素を組み合わせた遠隔攻撃を行う。硫黄の炎色反応に従い青紫の炎が、いかにも呪いらしい怪しいイメージ。この攻撃で呼吸器に損傷を受けたり、皮膚を溶かされたりした者が、呪いであることを確信したに違いない。
例えば二酸化硫黄は、最も歴史の古い化学兵器と言われている。
この有毒気体の中で、なぜネクロマンサー本人達は平気なのかと言えば、彼らが魔族だからだ。魔族はそもそも硫黄呼吸をする生物から進化したとされる。
大量絶滅の際、いつも生命は高濃度の硫化水素に晒されてきたが、それを生き延びるための進化が魔族を生んだのだ。
そんなネクロマンサー達の呪いの霧は、オークの風属性魔法で吹き飛ばされた。
〈遠見師〉が振るう転生者の杖から放たれた雷撃で、ネクロマンサーのリーダー格らしき個体は消し炭となった。
リデュケはアンチキャスターである自分がマナバーンを撃って敵のマナを消し、呪文を封じてから戦うものだと思っていたが、ゴリ押しで壊滅させてしまったので手持ち無沙汰になった。残ったネクロマンサーに適当にマナバーンを撃って燃やしておいた。オークよりよく燃えた。
行軍はほとんど速度を緩めないまま、主戦場に向けて侵攻した。
*
司令室は混乱した。
「なぜオークが敵軍と戦っているんだ?仲間割れか?」
「オークの死体を屍骸兵にされたことに怒っているのかもしれません」
そういえば、青い肌の大型の屍骸兵が確認されていたのだ。やたらに強く魔法が効かないので、戦線が押される一因となっていたのが、オークがゾンビ化させられたものだった。
「怒っているのかもしれないが、こちらを攻撃してこない保証はあるのか?」
オークを連れてきたのはおそらくリデュケだが、それを将校達にどう伝えたものかと悩んでいたヒルダの元に、リデュケからの音声通信が入った。リデュケは転生者6番のパーツであるアンモナイトの化石を持っていて、それが操演盤に捕捉されている。
「ヒルダ様~!援軍お届けしました」
「見てわかるわ。でも、なぜオーク?どうやって?」
「オーク達は、そもそもアンデッド軍と戦うために、転生者鉱山を確保していたんです。そして早期にレベリングの重要性に気づき、狩りをしていたわけです」
「まさか、私達と戦争したのも経験値稼ぎのためだったわけ?こちらの鉱山が欲しかったわけじゃなく?」
「撤退用のポータルを用意していた時点で、そうかもしれませんね。勝てたら鉱山が二つになって余計に良いという計画だったのでしょう。これがどういう意味かわかりますか?彼らは人間に特に敵意を抱いていないということです。憎しみや理念からではなく、純粋に経験値への欲求から襲ってきていたわけです」
「なんだか、余計にたちが悪い気がするけど」自分と同程度に、とヒルダは思った。
「今は、ご自由にお使い下さい。新しい駒として!」
その言葉通り、ヒルダの操演盤にはオークの装着した転生者の鎧のおかげで、オークが自軍ユニットとして表示されていた。
左方向から来た未識別ユニット群は、味方を示す緑にマーキングされて、正面の赤い敵の波に切り込んでいく。
流石に自由に操作は出来ないが、指揮権があるという意味だろう。
「じゃあ、命令するわ。狼に乗って足が速いのだから、敵後方に浸透して、街の中のネクロマンサーを倒して」
「了解しました。Gul'atzerra Etsai Ler'Goak!」
リデュケが受話器とは別方向に向かって、何か叫んだのが聞こえた。おそらくオーク語だろう。喉を痛めそうな言語だ。
続いて、オーク達の、同じくグルグル言う言語での雄叫びが聞こえた。
今にも突撃しそうな雰囲気の通話相手を、ヒルダは呼び止めた。
「リデュケ、あなたは残って、私の護衛をするのよ。ここで」
「いえ、オークの後ろについて、敵陣奥に行きます」
「なんで、そんな危険な場所に?あなたは〝駒〟じゃないと言ったでしょう」
「骸の王を見てみたいのです。できれば、会話もするつもりです」
「え……」これだから首輪のついていない獣は、とヒルダは思った。
「私には、王とはコミュニケーションの余地があると思えるのです。理由は――」
「そんなこと、しなくていいから!」ヒルダは遮って言った。「私達が倒すから、調停とか交渉とか、する必要はないの」
「……そういうのではなくてですね。あの、好奇心というか」リデュケは言い訳がましく言った。「王は三億年前の惑星環境の生き証人です。いずれ破壊するにしても、その前に話を聞く価値があります」
「そう……」ヒルダは溜息をついた。「あなたはやっぱり何よりも、自分の好奇心が大事なのね」
「そそ、そんな!ヒルダ様のほうが大事ですよ」リデュケは慌てた様子で言った。目が泳いでいるのがわかる。
「うそくさ……」
実際嘘くさい。パーティーの後の夜には、ヒルダへの好意も、自分の好奇心の一部だと認めたではないか。
「止めても無駄だと思うから、いいわ」ヒルダは諦めたように言った。「わたしも後から行くから」
「後から行く?どういうことですか?」
「そこであなたの好奇心は満たされるということよ。予想通りのもの、失望させるもの、全ての謎が暴かれて」
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