令嬢と化石探し


「いけません。ヒルダ様」

 鼻先に突き出されたパンに口をつけることを、リデュケは拒んだ。

「なぜ?」

 ヒルダは無邪気に首を傾げた。高地の深い青空を背景に、長い髪が形の良い頭部を頂点として、輪郭光リムライトが銀色のアーチを描く。人工物の無い、この丘陵地にはおよそ存在しないような正確さで。それに見惚れながら、リデュケは不機嫌なフリをして答えた。

「ドライアド族は、他種族の手から直接食べ物を与えられることを侮辱と考えます。家畜の餌付けを連想させるからです」

 カチューシャの下から鹿耳が飛び出ている以外は、メイド服を着た若い女性にしか見えない上半身を持つリデュケはいまや、ヒルダと呼ばれるさらに年下の人間族ヒューマンの少女によって〝餌付け〟されようとしている。

「じゃあ、前足で受け取れば?鹿さん」

「むむ……」

 また、鹿と呼ばれた。

 世話係メイドになって一週間、リデュケはヒルダに名前で呼ばれたことが未だにない。悪意がないのはわかっているし、異種族を獣の愛称で呼ぶことは、この国では慣習として定着している。しかし、時代に逆行していることは間違いない。

「鹿じゃなくてドライアドです。あと、前足じゃなくて手ですよ。手が今、ふさがっているのです」

 リデュケは四肢ならぬ“六肢”のうち、四本の脚を折りたたんで地べたに蹲り、残った二本の手には土で汚れた手袋を装着し、ハンマーを持ち、岩石の塊を割ろうとしている。

 この辺りの斜面は、地質学用語で言う“露頭”――つまり、地層の連なりが断面図のように見えている場所だ。岩石が縞模様を成して折り重なり、木の年輪のように年月の経過を伝えている。その分布を立体的にマップして、転生者が眠る地層を推測するのだ。

 ヒルダはその横で、令嬢特有の優雅さで、昼食用に敷物を広げ始めている。

 斜面の奥、木々の向こう、そびえ立つニヴィエス山が鋭利な稜線で濃い空を切り取っているのが見える。たしかに、ピクニックにふさわしい景観でもあるが、リデュケとしては遊びに来たわけではない。


 転生者化石の鉱脈の発見。今リデュケは、そのための地質調査をしている。

 なぜなら、もし鉱脈を発見すれば、人間軍に有用と判断され、雇ってもらえるはずだからだ。ドライアドは地形踏破能力が高い上に地質学に通じているので、どの種族よりも早く人間領をマップし尽くせるはず。そうすれば、メイドという身分の今と違い、新たな情報にアクセスさせてもらえるだろう。転生者化石について、ヒルダも教えてくれない極秘情報に。


 ところで、“転生者の〈レベリング〉を手伝う”――そういう約束でメイドになったはずだが、まだヒルダがその謎めいた作業をする様子はない。なんでも、敵であるオークorc hordeより早く鉱山を占拠しなければ、レベルでは覆せないほど戦力差が開いてしまうから、だそうだ。まずは質より数、ということなのだろう。


「なぜ食べないのかしら。鹿が食べられない具は入ってないと思うけど」

 まるで独り言のように言いながら、ヒルダがパンを口周りに何度も押し付けてきたので、リデュケは諦めて、半ば反射的にそれに噛み付いた。

「ふが」

 予想していたことだがパンは硬かったので、噛み切ろうとすると局地的な綱引きが発生した。リデュケは、歯を食いしばって、目を細めて、頬を赤らめた。ようやく一口分を噛み切ると、挟んであった野菜が半ば千切れてぶらさがった。

「やっぱり獣みたいじゃない」

 ヒルダはなぜか満足そうに微笑んだ。

 ああ、また差別表現を。リデュケは涙目になりながらそう思ったが、咀嚼に忙しいので喋れなかった。ドライアドは穀物由来の炭水化物を消化しにくいので、よく噛まなくてはならない。(正確には、消化器内の魔素代謝菌のバランスが崩れて魔力が弱くなるので、反芻の回数を減らすため)

 リデュケはもぐもぐしながら思う。このヒルダという少女は、辺境伯領主の一人娘という地位を体現して、生まれながらに高慢だ。そして美しい。


 人間たちは個体差による外見の美を事あるごとに話題にするが、ドライアドには本来そういった習慣はない。ドライアドという種族は、ランダムさに任せた遺伝的多様性をほとんど持たない。

 なぜなら、ドライアドやエルフは淘汰による進化という戦略を、とうの昔に放棄しているからだ。自然淘汰は残酷で無目的であり、忌まわしい人為淘汰などもってのほか。その代わり、ドライアドは設計する。もし環境が激変したなら、その都度次世代の、あるいは現世代の細胞核内呪詛(遺伝子)を書き換える。環境という文脈に合わせ、推敲を重ねて。

 ドライアドは、遺伝子に支配される段階を終えて、遺伝子を支配し始めた種族だ。

 しかし、この方式の危うさは自然主義者からよく批判される。地質時代に繁栄を極めた古龍や魔族達が引き合いに出され、どんなに強く見えても環境の変化によって絶滅しうるのだから、何が優秀かは前もって断定できない。よって多様化することしか有効な生存戦略は無いとされる。

 しかし、そのような人海戦術は個体にとって幸せといえるだろうか?悲劇は個体ではなく種の視点を持ってしまうことから始まり、それはむしろ“自然な”戦略を取ったときに陥りやすい。


 まあそれはそれとして、ヒルダはクッソかわいい。

 リデュケは、転生者の研究という目標がありながら、この幼い人間族ヒューマンの個体の召使いに成り下がってしまった。

 しかし、それも自分に原因がある、とも思う。この小さなかわいい二足歩行の生き物を、背中に乗せたい。その欲求があったことは否定できないし、それに逆らえなかったのも事実だ。乗せたい欲。ドライアドにはかわいいものを自分の背中(四足側の)に乗せたい欲求があって、同種の姉妹たちはキノコやフクロウなど思い思いの物を乗せている。そのせいで異種族の子供にいたずらされても逆らえないことが多い。だからこの役目を押し付けられたのだ。そして実際に乗せたい。今日も乗せてここまで来たが、実際良かった。


「鹿さん、聞いてるの?」

 ヒルダの声に、リデュケはハッと我に返った。乗せたい欲について考えていて、作業に集中していなかった。よだれさえ出ていた。

「私、早く転生者が見たいと言っているでしょう。どこに埋まっているの?」

 そうだった。ヒルダは展示用に研磨済みの転生者しか見たことがないので、天然の転生者の“原石”が、地層からまさに掘り出される様子を見たいと言い出したのだ。仕方なく、地質図の作成作業に連れてきてしまった。

 リデュケは妄想から正気に戻って言った。

「そ、そんな簡単に掘り当てられるほど、浅いところには埋まっていませんよ。本格的な発掘隊を派遣する前に、見当をつけているんです」

「小さな石を割って遊んでいるだけに見えるけれど」

 リデュケが先程からハンマーで叩いていた丸い塊が、ようやく真っ二つに割れた。しかし、中に目当てのものがなかったので、その辺りに戻して、言った。

「これは、〝示準化石〟を探しているところです」

「鹿さん。あなた、相手が知らない単語を使って説明して、何かが伝わると思っているの?鹿のくせに」

 不機嫌にさせてしまった。でもこれは、高飛車なヒルダなりの質問なのだ。知らない単語はすべて説明を求める、それは好奇心の発露だ。

 ドライアドは好奇心の種族と言われるが、それに関しては人間族の子供時代は同等以上。だから、リデュケは彼らの子供時代のほうが好きだ。

「失礼しました、ヒルダ様。示準化石というのは、簡単に言えば、それを見つけることで、それが埋まっていた地層の年代が特定できる。そんな化石です」

「まだよくわからない」

 ヒルダはムスッとして言った。


 リデュケは次の石を見つけて、割った。その塊とはノジュールと呼ばれる、炭酸カルシウムの塊だった。今回の中身は当たりだったので、リデュケは断面をヒルダの前にかざして、言った。

「斑点がありますよね?」

 ただのマーブル模様のようだが、一つ一つが楕円形で少し生物っぽさがある。

「ええ」

「これは紡錘虫という、三億年ほど前に温暖な海底に棲んでいた、原生生物の一種の化石なんです。普通はこのような単細胞の生物は顕微鏡を使わなくては見えないほど小さいんですが、この生物は、このように肉眼で見えるサイズの殻を持っていたんです」

 リデュケは長い耳を立てながら、オタク特有の早口で言った。

 なにしろ、三億年前の原生生物!中生代の古龍(ドラゴン)の登場や、新生代の魔族の台頭より遙かに前の、前魔法時代の世界なんて、誰が想像できるだろうか?魔素代謝菌すらいない、つまり魔法が無い時代の、最も単純で荒々しい化学反応に、生命が支配されていた世界。その物言わぬ証人を前にすると、リデュケは興奮して尻尾が立ってしまう。

「つまらない。そんな小さな化石」

「まあ、普通はそうですよね」リデュケは尻尾と耳をしょんぼりさせて言った。「でも、ここからが重要です。この生物は古生代の後半に出現して、およそ一億年間ほど繁栄した後、古生代と中生代の境界の時期に絶滅したんです。ちょうど、転生者が現れた時期です」

「へえ」

 転生者という言葉に、ヒルダが少し興味を持ってくれたようだった。

「だから、この生物の化石が消えた地層を探せば、その近くに転生者化石のある地層があるのです。そういう、地層の年代を特定する手がかりになる化石を〝示準化石〟と呼ぶんです」

「本の索引のようなものでしょ」

「そうなんです!地球は、ページがそこかしこで破れたり前後が入れ替わったり折れ曲がったり消失したりしている、大きな球形の書物なんです。地層を読む者にとって」

「あっそ」

 興味を持っていないようにみえたヒルダが、今までの説明を一言の比喩で要約してくれた。それが、リデュケには嬉しかった。


 そう、転生者の化石は三億年前の地層から発掘される。

 リデュケにはすでに、軍事機密以外の、一般に開示された情報にはアクセスできるようになっている。それによると、化石を発見した人間の地質学者達は最初、たちの悪いイタズラか、なんらかの理由で後世の死体が紛れ込んだのだと考えたらしい。三億年前の地層から、せいぜい数十万年前に登場したホモ・サピエンスの化石が出ることはありえないのだから、無理もない。

 しかし魔素(酸素同位体の一種)による年代測定を待たずとも、あまりにも広範囲で大規模な埋蔵量によって、捏造には非現実的な労力を要することが明らかになった。それに転生者化石は、その時代の他の示準化石と自然に混ざり合っている。徐々に、この場違いな出土品が天然のものであることを、誰もが認めざるをえなくなっていった。

 発見から数十年は、転生者化石は聖骸として教会に奉納され、貴族の間では宝石として取引されているだけだった。あとは、せいぜい人間至上主義ヒューマニズムの過激派に有難がられた程度。

 兵器として運用されるようになったのは、化石表面に文字を刻印することで、使役できることが発見されてからだった。もともと土塊で出来たゴーレムに呪詛を刻印することで使役していた呪術師達が、気まぐれに転生者化石にも同じものを彫り込んでみたのだ。それだけでは、わずかにしか動かなかった転生者化石。言語体系が違うのだと考えられた。同時期に、三億年前の転生者達が残した碑文が発掘され、彼らの言語を使えばより効果的に動かせることがわかった。その形式言語は研究され、今に至っても化石が受理する新しい文が発見され続けている。


 いまや鉱物資源としての需要が高まった転生者に対する熱狂は、石炭や魔石の採掘競争や、金鉱採掘ゴールドラッシュにも例えられる。しかし、一気に掘り尽くされる様子はない。転生者化石は分散して、この地の各所に埋没しているからだ。

 新たな鉱脈は、発見した者が独占できる。枯渇するか、武力によって強奪されない限り。だから、誰よりも早く鉱脈を、それも埋蔵量が多いものを発見することが重要なのだ。



   *


 二人は川にそって、さらに上流へ登った。

 進むにつれて視界を遮る森が途切れ、ニヴィエス山の剣のような山頂が、よりはっきりと見えてきた。

「山頂の山肌に、少し黄色がかってる部分があるのが見えますか、ヒルダ様?あれは石灰岩の地層で、アンモナイトとかウミユリの化石が見つかるんですよ。どちらも、前魔法時代の海洋生物です」

「ふーん」

 ヒルダは、足元にノジュールを探しながら歩くことに忙しいようだった。

「なぜ海の生物の化石が高山の頂きで見つかるのでしょう?好奇心を引かれる謎ではありませんか?わたしなどは尻尾が立ってしまいます」

「……」

 リデュケがわざとらしく言ってみたが、ヒルダはそっけない。ヒルダが大抵の話ではあまり驚かないところを見ると、すでにそれらを知っているのではないか?と思ってしまう。ときには、知らないフリをしていることさえあるように見える。年齢のわりに、というより人間族のわりに早熟で知識が多い気がするが、リデュケには人間の発達や教育に詳しくないのでよくわからない。

 そんなリデュケの勘ぐりを察してか、ヒルダは少し言い訳がましく答えた。

「だって、教会で習ったもの。聖典いわく、〝かつて、人間が神の怒りを買ったせいで、陸の動物全てを滅ぼすような大洪水があった。神は善なる預言者だけにはそれを予告していたので、預言者はゴフェルの木で巨大な方舟を建設した。彼は亜人種を含む全ての動物を雌雄一対ずつ選別して、大きな方舟に乗せて救出した。150日の漂流のあと、船はニヴィエス山の頂きに泊まった〟

 アンモナイトとかの海の生物の化石が山頂でも発見されるのは、その洪水で打ち上げられたから、らしいわ」

「洪水と箱舟……」リデュケはうっとりしてみせた。「それは素敵な説明ですね」

「白々しい。信じていないのでしょう?」

「ええ」リデュケはあっけらかんと認めた。「正解は、元は海底だった場所が隆起して山脈になったからです。これはドワーフ達が確立したプレートテクトニクスという理論によって裏付けられています」

「まあ、真相はそんなところでしょうね」ヒルダもあっけなく納得した。

「やはり驚かれないのですね?人間族にはまだ認められていない学説ですが」

「だって、少し考えたら嘘とわかるでしょう?方舟にオークやタウレン達が大人しく乗り込むはずないじゃない。魔族や飛べないドラゴン達と半年も仲良くするためにね」

「ふふ。たしかにそうですね」

「でも、最近では聖典のこの部分の記述は、転生者について書かれたものだと再解釈され始めたのは知ってる?」

「そうなのですか?たしかに、時代が億年単位でずれていることに目を瞑れば、場所は合っていますからね」

 リデュケは嫌味っぽく指摘したが、ヒルダは出会った日のように澄まし顔で言った。

「“洪水はわが魂に及び”――よ。転生者は方舟に乗ってやってきた救世主。そう信じたいなら、信じさせておけばいいじゃない」

 典型的な積荷信仰カーゴカルト。とはいえ、船が神話でも積荷は実在する。その謎に魅せられて集まったという意味では自分も信者カルティストと同じだとリデュケは思った。

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