令嬢と宝石



「あら、お屋敷の中に鹿がいるわ」

 それが、リデュケが聞いた令嬢の第一声だった。気取った雰囲気ながらも、澄んだ声。

「どこから紛れ込んだのかしら?」令嬢は付き従えたメイド達に向かって、しかしリデュケにも聞こえるように言った。

「し、鹿ではありません!ドライアドです!」

 リデュケは赤面しながら、鹿のそれのようなふさふさの尻尾と、その下の後ろ足をピンと立てて怒りを表現した。

「ドライアド?ふーん」

 令嬢は興味なさそうに、少なくともそう振る舞って言った。もちろん、リデュケの人間型の上半身に気づかないはずがない。どうみても人間の少女(しかもかわいい)にしか見えない上半身に。だから、からかわれているのだと思う。その証拠に、リデュケの下半身をちらちらと見ている。

 体毛で覆われた鹿部分を隠す服を着てくればよかった。上半身に人間風の民族衣装を纏うだけではなく。


 リデュケは領主の部屋を探して、屋敷の中をうろうろしていたのだった。人間の貴族の住居は蜘蛛人アラクノイドの巣穴より構造が複雑だ。

 転生者化石を産出する、人間領の辺境領地リレサント。その領地を治めるクナーグ家の豪奢な屋敷に異種族が入り込むのは簡単ではないが、リデュケが提示した条件が魅力的だったのか、謁見が許された。その条件とは、化石鉱脈の発見に関する情報提供。それは強欲な人間族の興味を惹くはずだった。

 しかし、領主の部屋に着く前に、その娘のほうに見つかってしまったようだ。


 領主の娘。ヒルダ・クナーグ・アーヴ・リレサント。(“アーヴ”は、この国の貴族が持つ前置詞で、直後に領地名を伴って称号となる。“フォン”のようなもの)

 おそらく10代前半で、リデュケの人間部分の外見より幼く見える。

 部分的に青みがかった白銀の髪をかきあげる動作、冷徹な瞳。その外見に見合って、高飛車で高慢との噂。しかし、領民たちに恐れられているのは、単にその性格のせいだけではないらしい。冷血、残虐、何かそのような言葉で形容される恐ろしい所業に手を染めているとか。何でも軍事機密に関わるということで、誰も詳しくは教えてくれなかったのだが。


 使用人達を付き従え、廊下を立ち去るかにみえたヒルダが振り返って言った。

「鹿さん、なぜついて来ないの?」

 あたかも飼い主を見つけた犬のように、自然とリデュケがついてくると思っているのだ、この令嬢は。生まれつきの支配階級。

「失礼ですが、今わたしは領主様を探しているのです」

「お父様を?なぜ?」

「転生者化石を調査する許可を得るためです。わたしはあの謎めいた異界の化石に興味があって、この領地に来たのです」

「なんですって?」転生者と聞いて、ヒルダの目の色が変わった。「なぜ転生者を?」

 問い詰める視線に下から射竦められて、リデュケは正直に答えた。

「ドライアドは好奇心の種族です。あのような既存の法則で説明できない謎は、種族の誇りにかけて到底放置できないのです」

「ふうん」

「ですから、失礼します」

 リデュケは四脚をトコトコさせて方向転換し、令嬢に背を向けた。ドライアドは二本足の人間より方向転換に時間がかかる。その隙をつかれて、後ろから尻尾を引っ張られて奇声を上げた。「ふぎゃ」 

 ヒルダが尻尾を鷲掴みにしていた。そして、揉みながら言った。

「鹿さん、そんなけしからんふわふわのお尻をわたしに向けて、ただで済むと思うの?」

「お、お、おやめください」

 鹿部分の丸いお尻を執拗に弄られて、リデュケはひざから崩れ落ちた。それによって背丈の差が解消されたので、ヒルダはリデュケの耳元に頬を寄せて、小声でささやいた。召使い達にも届かない声量で。

「お聞きなさい、ふわふわの子鹿さん。戦争中の今、この国は閉鎖的で、疑心暗鬼で、異種族嫌いゼノフォビア。あなたみたいな異種族を、お父様が受け入れるはずないじゃない。まして軍機密の転生者兵器について知りたいなんて、スパイ扱いされるのが関の山だわ」

「そ、そうでしょうか?」

「それにあなたは、魔獣でしょう。この鹿っぽい体毛のところどころについた、青紫のキラキラの模様。これは大気中の魔素との反応痕。人間が自分の仲間と認める異種族は、ドワーフやグノーム、セントール等、非魔法系の種族だけというのに」

「むむ……」リデュケには反論できない。

 リデュケは自分の知識と移動能力で、新しい鉱山をどの種族よりも早く発見できる自信がある。それをアピールすれば軍に雇ってもらえると思っていた。しかし、令嬢の言うことも一理ある。能力は忠誠心の証明にならないのだ。

「鹿さん、あなたはわたしのメイドになりなさい」

「ええっ?」

「わたしの優しさがわかる?あなたに居場所をあげようと言うのよ」

 優しいと言うわりには尻尾を揉む手が強すぎて痛い。触るならもっと穏便に、丁寧に触って欲しい。尻尾への刺激のせいで集中できないが、リデュケは考えを巡らせた。たしかに、一旦この令嬢に仕えて領地に定住する権利を得るのもいいかもしれない。しかし、永遠に下働きというのも困る。

「……ご令嬢。失礼ですが果たして貴方といて、転生者兵器の研究に関わる機会は訪れるのでしょうか?」

「はあ……私を誰だと思っているのかしら?」

 ヒルダは小さな胸郭の容量を最大限に使った溜息をついてから言った。

「ついてきなさい。いい物を見せてあげる」




   ***



 令嬢が案内したのは、屋敷の奥にある薄暗い蒐集品陳列室ヴンダーカンマーだった。

 壁には怪しげな絵画や魔獣の剥製、棚には古今東西の稀覯な自然物や人工物。いわば、個人所有の博物館。

「貴族の家にはこういった珍品がたくさん集まってくるの。私宛にも、政略結婚の候補者から贈り物がたくさん届くわ」

 金羊毛の毛皮、ケルベロスの爪、ピュートーン(蛇の魔獣)の抜け殻など、確かに入手困難なものが並んでいる。

 ユニコーンの頭骨などは、明らかに本物だろう。カルシウムが魔素と反応して角が白く石灰化している。

 しかし、生きた実物を見たことのあるリデュケにとってはさほど珍しいものではない。


「さほど驚いていないようね。無理もないわ。あなた自身が、ここに並ぶどの怪奇珍品にも劣らない希少種なのだから。でも、これはどう?」

 そう言うと、令嬢は部屋の中央にあった直方体のガラスケースの、高価な絹布の覆いを取った。

「これがお目当てだったんでしょう?」

「わあ……」

 そこにあったのは、転生者化石が一体。ケースの天板から革紐で吊り下げられていてうつむき、両腕をだらりと垂らしている。

 リデュケが声を漏らしたのは、その色ゆえだった。その転生者は青かった。陳列室のわずかな照明を反射して、化石ではなく宝石として分類される所以たる紺碧を輝かせている。

「青い……」リデュケはそう言うのが精一杯だった。

 ヒルダが解説した。「ここまで綺麗な色の転生者は、一つの鉱脈に一つ見つかるかどうかという国宝級の品、らしいわ。なぜこんな色になるのか、私にはわからないけれど」

 たしかにリデュケが森で見た転生者兵器達は、せいぜい部分的にオパール化した程度だった。全身が美しい原色の青になっているものは、極めて珍しいに違いない。


 リデュケは転生者化石自体を間近で見るのが初めてなので、ケースに顔を近づけて観察した。

 一般的な転生者と同様、身体のほとんどは滑らかなマネキンのようだが、一部骨骼が見えていたり、逆に殻のような装甲に覆われた部分もある。顔の上半分、目のあたりは装甲に隠され、騎士兜に似ないこともない。頭部の左側面にはなぜかアンモナイトの殻そのものが癒着したまま化石化していて、まるで悪魔の角が折り畳まれたよう。三億年の間の地殻変動によって、様々な地層と接するうちに貝殻が取り込まれてしまったのだろうか。

 リデュケははっとして言った。

「アンモナイト……そうか、この色は、アンモナイトの宝石化と同じ原理ですね」

「アンモナイト?この顔についている化石?」

「ええ。生存中のアンモナイトの殻は霰石アラゴナイトで出来ています。それが地中で熱の影響を受けると方解石カルサイトという鉱物に変化します。ところが、そのようにアラゴナイトがカルサイトに変化する際、完全に変質しきらずに絶妙なところでプロセスが止まることがあります。そのとき、赤・青・緑と原色に輝くアンモナイトの“宝石”が出来ると言います。これは、その転生者バージョンでしょう」

 リデュケはオタク特有の早口で説明した。

「ふーん。よくそんなこと知ってるわね」

「あらかじめ、鉱物について調べてきました」

「あっそ」

 そっけない様子のヒルダに、リデュケはちょっと梯子はしごを外された思いで聞いた。

「ヒルダお嬢様は、宝石にご興味がおありなのではないのですか?だから宝石転生者を収集されているのでしょう?」

「宝石?まさか。そんなもの見飽きているわ。転生者は兵器として使われてこそ、その真価を現すのよ、例外なくね」

 贅沢な食傷だ、と思ったリデュケだが、“例外なく”の言葉が意味することに気づいてヒルダを問いただした。

「まさか、これも?」

「ええ。これを次の戦闘で投入するわ」

 こともなげに言った令嬢だが、リデュケも人間社会における財産の概念を知らないわけではない。

「こんな高価なものを、兵器として運用なさるおつもりですか?国宝級とおっしゃたばかりです」

「戦場で目立っていいじゃない。それに、転生者もそれが本望でしょう。彼らは戦うためにこの世界に来た。〈チートスキル〉を使って、無双するためにね」

「〈チートスキル〉……?」

 リデュケは初めて聞く単語をオウム返ししてしまった。様々な種族の言語に通じるリデュケも聞いたことがない奇妙な響き。発音しにくい。

「転生者達はそう呼んでいたようよ。この世界の魔法とは全く別のことわりで動作する、不正なチート技術スキル。レベルを上げることで、段階的に解放されていく。その動作原理については、我々の転生者兵器特科の技術部が目下、調査・分析中」

 それだったのか、とリデュケは思い至った。森での戦闘で見た、オークに粉砕されながらも自己修復して戦い続ける転生者。あれは魔法による現象ではあり得なかった。

「……たとえば、自己修復とかですか?」

「ええ。あれによって擬似的に前衛タンク役が出来るから便利よね。まあ、初期スキルでしかないけれど」

「では、まさか今朝の森で転生者を使役していたのは……」

「やっと私が何者かわかったようね」令嬢は肩幅に足を開く過程で振り返った。白銀の髪の中で青いメッシュが揺れた。「私は転生者兵器を最も上手く操れる〈操演者〉。そして、最強の――この世で最も高レベルの転生者の、未来の所有者よ」

 異形の兵器の前で、ドヤ顔で薄い胸を張る少女の不遜さに、リデュケは見とれてしまった。そして自分が、彼女の誘いを断れないことがわかった。

「あなたに私の〈レベリング〉を手伝わせてあげるわ、鹿さん」


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