公式転生者
骸の王は凍えるため息をついて、氷の玉座から立ち上がって言った。
「では、お前にもう用はない。魔族は配下にしても何を考えてるのかわからないし、人間の配下は脆すぎる。お前のような中立種族なら役に立つかと思ったのだが」
「お役に立てず申し訳ありません」
王は戦場のある方向へ、長い黒ローブを引き摺って歩きだした。端は擦り切れてギザギザになっている。
「この街を奪還するために外で戦っている人間達も、魔族の蟲使い達にも、もはや用はない」
不吉な予感を感じてリデュケは言った。
「どうするつもりです?あの中には〈公式転生者〉もいるかもしれませんよ。殺してはいけないのでしょう」
「何、臆病者のヤツのことだ。こんな戦争に参加しているはずもない。全て殺してしまってかまわんだろう。人間軍が弱体化すれば、より混沌とした世界になる。この世に安全な場所が無くなれば、嫌でもレベリングを始めざるをえなくなるさ」
やっと悪の頭領らしきことを言い出したとリデュケは思った。
リデュケは王の行く手を遮った。そして、出来るだけ毅然とした態度で言った。
「あなたにはそれをやめるという選択肢があります。私は本当は、交渉するために来ました」
「交渉?公式転生者の居場所以外で、何か提供できるものがあるのか?」
「魔法です!」リデュケは朗らかに言った。「我々には、まだあなた方が発見していない呪文を使った魔法や、繊細な生物工学のノウハウがあります。それを使えば、〈公式転生者〉にならなくとも、世界は素晴らしいものになります。
あなたはチートスキルの真の力を行使したいのでしょう。でも、その必要がありますか?魔法は――魔素を使った科学は、不老不死も実現しつつあります。空間の織物を曲げることも出来ます。チートスキルに近づいているのです。
ある空想科学小説家が言った、こんな言葉があります。
〝十分に発達した魔法は、チートスキルと見分けがつかない〟
それなのに何故、公式転生者になる必要があるのですか?何故、チートシステムに頼る必要があるのですか?」
リデュケの、今までにない熱意のこもった演説に、王は戦場へ向かう足を止めた。
「たしかに魔法は驚くべき技術だ。想定されていない魔素の使用法。
三億年前の転生者文明が、魔素に命令するという発想に囚われすぎて、結局魔法を使えなかったのも無理はない。魔素という計算資源の、実に奇妙な使い方だ。間違った命令――命令ですらない詩のような言葉で計算機に負荷をかけ、その負荷で仕事をするとは。
しかしその無駄のせいで出力も低く、精度も低い。ゆえに、いくらチートスキルに近づいても、同等の効率を得ることは永遠にないだろう」
王はそう言って、歩みを進めた。近づくたびに冷気が強くなり、リデュケは白い息を吐きながら話し続ける。
「ええ。あなたの言うとおり、結局のところ魔法は不完全なチートスキルでしかないのかもしれません。でも、一つ明らかに優れたところがあります。それは、再現性があるということです」
「再現性?」
リデュケは両手を広げ、暗い大広間に響き渡るほどの声で言った。これが最後の説得になるだろう。
「魔法は、学べば誰でも使えます!あなた方転生者でも!〈チートスキル〉のように、宇宙で一人だけに与えられた特権ではないのです!
血筋や、種族や、生まれた世界に関係はありません!火薬による兵器は誰にでも使えるが、魔法は魔素に認められた者しか使えないと言う人もいました。でも、それは誤解です。魔法は、誰に対しても開かれています!」
王は苛立たしげに言った。
「お前達のような魔法種族が言っても、説得力はない。やはり選ばれた者にしか使えない特権ではないか」
リデュケは反論し続けた。
「ドライアドが持つ魔素代謝器官――先天的な器官は、たしかに、数百万年前からの祖先達が本能的にやってきたように、決められた魔法を迅速に無詠唱で発動することができます。でも裏を返せば、それだけ。柔軟性に乏しく、発展性が無い。未来があるのは、本能ではなく、理性によって発見される新しい呪文です!」
「理性だと……?お前もそれか」
王は煩わしげに言った。何かが彼の機嫌に障ったようだった。
しかし、リデュケは止めなかった。
「我々は――この世界は、あなた方を歓迎します。手を差し伸べます。あなた方の全てを化石から戻す方法を、一緒に見つけましょう。転生者さま、〈異世界〉へようこそ!」
「黙れ!」
骸の王が怒りを顕にして振り払った平手の軌跡は、空を切り裂く五本の氷の槍となって地面に突き刺さった。そのうちの二本で、リデュケの後ろ足を貫きながら。
リデュケは倒れてしまった。その拍子に、ヒルダからもらったアンモナイトの化石は氷の床に投げ出され、短い距離を滑っていった。
氷の巨大な針はリデュケの獣部分の下半身を床に縫い止めているので、たとえこの耐え難い痛みが消えたとしても、一歩も動けないだろう。
「理性?忌々しい言葉だ。そのような啓蒙の押し付けにこそ、〈異世界転生〉は反抗するものだったのだ。それは真の意味で、どんな者をも救う宇宙を丸ごと一つ用意する。
〝魔法は学べば誰でも使える〟だと?それは学ばない者の拒絶だ。お前達はオークに何をしてやれた?祖先の霊を信仰し、死を名誉と考える民族に、お前の理性とやらは何を提供できた?転生であれば、彼らをも満足させる宇宙を用意するだろう。
お前のような偽善者を見ていると、俺を〝追放〟した三億年前の転生者文明を思い出す」
王は過去を回想しながら話し始めた。
「大量転生が起こったあの時、俺は落下中に〈ステータスウィンドウ〉を開くことに成功した。俺は初期固有スキルとして与えられた〈チートスキル:ネクロマンサー〉を落下中に自己詠唱し、自分の死体に行動を予約入力した。そして修復阻害から抜け出し、息を吹き返した。
俺はそこで、落下を奇跡的に生き延びたわずかな生存者達と生活を共にした。しかし、最初は俺のスキルを頼りにした連中は、自前のスキルを習得し始めた頃に態度を変えた。俺を利用した挙げ句、爪弾きにしたんだ。
やつらが俺無しで、何をしたか?お前の言ったように、理性に従った〝近代的〟で〝合理的〟な文明社会を再現しようとしたのだ。せっかく、その息の詰まる束縛から解放され、この世界に来たというのに!
だから、俺はそれを破壊した。やつらの文明を。それが、転生者が絶滅した理由だ」
王は怒りに任せてまくしたてると、冷たい溜息をついた。
同時に、正面の壁が崩れ落ちた。王の進行方向は開けて見通しがよくなった。
「お前はそこで見ているがいい。人間が炭化し崩れ落ちるのを。死海の塩柱のように、あるいはお前たちが酷使してきた転生者化石のように」
「……」リデュケにはもう反論する活力はない。
骸の王はあくびをするように口を開けた。
顎が関節の可動域を越えて広がるかと思ったが、そこで止まり、深い洞窟に風が吹き込むような音がし始めた。吸熱しているのだろう。
王の赤い目が輝きを増すと同時に、あたりは一段と寒くなって、リデュケは身体を丸めた。
発射の瞬間は閃光が強すぎて、リデュケは見ていなかった。
数秒後に見たのは距離感が狂う巨大な火柱だった。崩れた壁の向こう、円形の空隙を残して融解したこの街並の向こう、地平線近くに音もなく、天高く立ち上る火焔の形は、氷山が崩れて海に落ちるときの水飛沫のようだった。
轟音と衝撃波は、さらに数秒遅れてやってきた。
味方の拠点には、命中してしまったのだろうか?ヒルダは?
その時、リデュケと王の間の位置に落ちていたアンモナイトの化石が、ひとりでにカタカタと震えだした。亀裂が走り、光が漏れている。
化石は弾かれたように飛び上がり、人の背の高さで止まると突然爆発した。
「なんだ?何をした?」王は変形したまま言った。
リデュケは何もしていなかった。
爆発の破片は王を攻撃するわけでもなく、リデュケに降り注ぐわけでもなかった。
それは地面に散弾として撃ち込まれ、結果として円形の弾痕を残していた。
描かれたのは、魔法陣だった。
魔法陣から青い光条が垂直に立ち上がり、天井がなければ宇宙の無限遠まで交わらない微細な平行線をいくつも描いた。
光の糸が消えて現れたのは、青い宝石の転生者だった。
目の位置もほとんど角のような装甲に覆われ、表皮のない剥き出しの牙が伝える敵意だけがその表情の全てであるような、悪鬼。
それは今リデュケに背中を向け、王に対峙している。
「青い転生者……」
リデュケは、ヒルダのお気に入りだったその自動兵器の呼称が〈ブルー〉だったことを思い出した。そして、操演者であるヒルダを探したが、どこにも姿は見えない。こんなところまで信号は届かないはずだ。
「やっと転生者が来たかと思えば……化石ではないか。どこまでも期待外れだな、この世界は」
王はまた失望を表明した。そして、そのまま二発目の砲撃を、リデュケが射線に入る位置で撃つ動作に入った。光が再度収束していく。
〈ブルー〉は直立不動のまま、左の掌を王に向けて掲げた。防御の姿勢だ。
王の目が眩く光って、その光は二つの十字架となって交差した。正面からそれを見た者は生きていられないだろう、上位チートスキルの発動の徴だ。
次の瞬間、リデュケは光の奔流の中にいた。しかしそれは、〈ブルー〉の掌によって幾つもの支流に分かれ、リデュケを避けて通っている。
轟音、熱風、瓦礫、粉塵。それらを後方へ運び去りながら、まだ光の波である攻撃は続いている。
青い転生者の装甲が一片、肩あたりから剥がれ落ち、飛ばされていった。それを合図としたように、各所の装甲が耐久の限界を迎え、散っていく。その隙間には、白や青の何かが見える。
「ああ……」白銀色の髪の毛がなびくのを見て、リデュケは溜息をついた。
砲撃が止み、それに耐えきった装甲は廃棄されて、現れたその小柄な体躯が、四肢の延長としてついていた残骸を蹴って地面に降り立った。
リデュケは見慣れた少女の名前を呼んだ。
「ヒルダ様……!」
ヒルダはオークのように転生者を着ることで、〈転送〉されてきたのだった。
「リデュケ、大丈夫?」ヒルダはトコトコと歩いてきて、傷ついたリデュケの前で屈んで言った。今までに聞いたことがないような優しい声で。「無茶をして……。気はすんだ?」
パーティーの日の夜中の立場が逆転したように、ヒルダの両手がリデュケの頬をそっと包んだ。「知りたいことは知れた?」
「ええ……。すでに自力で予想していたことがほとんどでしたが、言質が得られました。転生システムに起こった不具合の原因は、魔素代謝菌だったようです。あとは――」
「もういいわ。後でゆっくり聞かせて」ヒルダが遮って、「今、スキルポイントを振っているから」
ヒルダの金色の光を間欠的に放出しはじめた。それは、転生者がレベルアップのときに見せる徴だった。そして、目や髪に何度も瞬く青い光は、大量のポイントを消費していることを意味する。
「ヒルダ様、やっぱりあなたが――」リデュケは安心したように、目を閉じて言った。
「あなたが本当の転生者だったのですね」
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