侵略者


 骸の王は、動く骸骨特有の冥府から響き渡る声で解説を始めた。

「〈公式転生者〉とは、化石になることなく標的の異世界に転生する、本来あるべき姿の転生者だ。それは、転生前の完全な記憶と、現地人に対して圧倒的な優位を誇るステータス、無数の組み合わせが可能なスキルツリーを実装している。

 なお、生身で転送されるのではなく、現地人の赤ん坊の身体を乗っ取る形で出現する。それが生まれ変わり、〈転生〉という呼称の由来だ」

「乗っ取る……?」

 リデュケにはその発想がなかった。それでは転生先の幼い魂が消えてしまう。

「まさか、全人類をそのように乗っ取り、種族ごとすっかり入れ替わるのがあなた方の計画だったのですか?」

「それでは意味がない。〈チートスキル〉を使う者は、一つの世界に一人で良い。そうでなければ、優位性が保証されないではないか」

「優位性……」

「人類全員を最強に、あるいは世界一美しく、幸福にすることは出来ない。自己矛盾しているからだ。ある者を勝者にすれば必ず敗者が生まれる。尊厳は相対的だからだ。

 その問題を、世界を複数用意することで解決するのが〈異世界転生〉というプロジェクトだ」

〈異世界転生〉――その内実を何度聞いても、リデュケにとっては、なんだか各種の宗教が、その信者に死後の幸福を約束するための〝天国〟という概念の即物的なバージョンの一つにしか思えなかったが、転生者の世界の技術は、実際にそれを実現してしまったのだ。倫理観と技術力の成熟度が、不釣り合いに思えてならない。

 王は饒舌に続けた。

「本来は、78億人全員分の〈異世界〉が用意してあるはずだった。人間が幸福になるために無限の可能世界から選択された、私的プライベート宇宙が、一人一個ずつ。無限個の宇宙があれば、どんな者でも必ず願い通りの宇宙が見つかる。

 そのはずだった……。しかし、予想外の原因によって、一つの宇宙に全ての転生者が重複して転生し、悲劇的な災害が起こったのだ」

 悲劇的な圧死については碑文通りだろう。ここからが、未知の情報だ。リデュケは尋ねた。

「〝予想外の原因〟とは?」

「フェムトマシンへのアクセスが拒否されたことだ」

「フェムトマシン……?」

「お前たちが〝魔素〟と呼んでいる物質のことだ。原子核サイズ、フェムトスケール(十のマイナス十五乗メートル)の微小機械。ナノマシンよりさらに小さい。

 俺たちの世界の理論物理学者は、宇宙が数学的な構造物に過ぎないことを発見した。というより、そう仮定すると全てが上手くいくことに気づいた。宇宙が数学のみによって表せるならば、逆にいえば、数学によって表せる物理法則と初期値は、全て宇宙と見なしてよいということだ。

 それら無数の構造物からなるメタ構造は探索され、マップされた。

〈現実世界〉を表す法則の近傍に、出力に全く影響せずに、原子の折りたたまれた余剰次元の構造だけを書き換え、極微の計算機として設計し、しかも自由にプログラムしうるバリエーションが発見された」

「よくわかりません」

 そう言ったリデュケの耳は、寒いので折りたたまれている。

「要するに、魔素があること以外、元の宇宙と全く同じ運命をたどる宇宙を発見したのだ。それが、〈異世界〉――ここはその一つだ。しかもその魔素は、お前たちの言う〈呪文〉という命令によって制御される」

「つまり、魔法が使える宇宙を発見したのですね。魔法が無い宇宙のあなた達が。そこまではわかりました」

「その理解で良いだろう。

 魔素は、人間の言葉による命令だけを聞くようにプログラムされていた。人間のような高度な自然言語を操る知的生命体が現れるまでは、魔素はただのありきたりな元素として振る舞う。何も宇宙の歴史を変えずに、百五十億年を待ち続ける。そのはずだった。我々はそのような魔法のある宇宙の一つ――つまりこの宇宙を中継地点として使い、その宇宙の魔素を消費して、七十八億人が七十八億の別々の宇宙へ転生する。その予定だった……」

 そこで王が黙った。

 なんだか沈鬱な表情をしているのかもしれないが、見た目は髑髏なのでよくわからない。リデュケは次の文が逆説の接続詞で始まることを先読みして、続きを急かした。寒いから。

「――しかし?」

「しかし、魔素は、我々を拒絶した。我々の命令を。

 いや。正確には、すでに自らの主人を見つけていたと言ったほうがいいだろう」

「すでに、先住民がいたのですか?」

「それは、先住民と言うには原始的すぎた。知性体ですらなかった。

 我々から魔素へのアクセス権を奪った存在、計算資源の簒奪者、それが〝魔素代謝菌〟だ」

「魔素代謝菌(マナバクテリア)が……?」


 リデュケが転生者にまつわる冒険のために故郷の森を飛び出した、その始まりのときから見守ってくれていた精霊たる微生物達。最初から身近にいたそれが、最後の答え――〈異世界転生〉に不具合を生じさせ、七十八億人を乗せた箱舟を座礁せしめた、まさにその原因だったとは。

――と驚いてみせたリデュケだったが、マーギュリエスとの会話でここまでは予想していた。

 王は続けた。「我々は、人間のような高度な知性を持った生物しか、魔素にアクセスできないと考えていた。しかし、この惑星における数億年の生物進化はその予想を裏切った。我々の世界で言う、〈ミトコンドリア〉。細胞内小器官であるそれの祖先となった、とあるバクテリアの一種が、この惑星で初めて――我々より先に、魔素と密約を結んだ生物だった。酸素同位体の代謝過程を、巧妙に、呪文のような言語として魔素に誤解させることで。

 結果、フェムトマシンのネットワークは自らの主を、我々ではなく土着の微生物のほうだと信じ込んでしまった」

「ふむ」

 リデュケは自分の考察の、答え合わせをするような気持ちで聞いている。


「さて、察しのいいお前ならわかっただろう。〈経験値〉とは何なのか?」

 王が突然出したクイズに、リデュケは一瞬考えてから答えた。

「……報酬です。ミトコンドリアを持つ生物に、死をもたらした転生者への。魔素と密約を結んだ菌から、魔素のアクセス権を奪い返すため、チートシステムは転生者に協力を要請しているのです。殺戮を強く動機づけることで」

 さらに言えば、人間を殺して得られる経験値が、同じ細胞数の他の動物より多いのは、人間のミトコンドリアの代謝率のほうが高いから。フリーラジカルのリークが少なく、有酸素能が高い。

 つまりチートシステムは、魔素を代謝する効率が良いミトコンドリアを、よりたくさん破壊してもらいたがっているのだ。

「その通りだ。この要請は、魔素への完全なアクセス権を取り戻すまで続けられる。権利の奪還は、かつてないほどの大量死の末に実現するだろう」


 転生者は本当は魔素を使いたかったのだ。しかしその認証を拒否されて、仕方なく〝熱〟という動力源に頼った。それが負荷をかけるとすぐに凍結してしまう、現状の不完全な転生者の正体。もし魔素から動力を得ていたら、今とは比べ物にならない能力を発揮しただろう。元素変換や、質量保存則の無視。アイテムを無限に増殖させたり、真空から水を取り出したり。時間を逆行させ、何度も失敗を取り消したり。物理法則を裏切る、いかにもチートらしい挙動を示しただろう。そんな手に負えないチーターが現れなくてよかったとリデュケは思った。


「さて、改めて訊こう。〈公式転生者〉はどこにいる?

 ここまでの情報を踏まえて、現地人が知りえない情報を知っていた者はいないか?」

「見つけ出してどうするのです?」

「何、面白いものではない。簡単な儀式をして、公式の座を俺が引き継ぐだけだ。

 そのためには接触する必要がある。だから無闇に人間を殺して回るわけにはいかなかったわけだ」

 殺すのだろうとリデュケは思った。この街の住民から言語を奪ったときのように。

 しかし、まだ協力的態度を崩さないように言った。

「でも、すでにステルスのチートスキルを取得して隠れている場合は?絶対に見つからないでしょう」

「俺が最大値まで取得した知覚スキルは、他者のチートスキル発動に伴う吸熱現象を検知できる。レベルアップ特有の放射も。だから戦場で活動している転生者化石の位置やレベルは、今も手に取るようにわかる。この地上のどこにいても。

 しかし、人間の個体でそれらしき反応を持つ者は現れなかった。これが何を意味するかわかるか?」

「……いいえ」

「その者は、〈公式転生者〉は、一度もレベルアップせず、一つたりともチートスキルを取得していないということだ。一体何を考えているのだと思う?スローライフ?隠遁生活?〈加護〉がなければ、事故や病気で死ぬかもしれないのに。正気とは思えない!」

 大げさに両手を広げるジェスチャーとともに、薄暗い大広間に王の声が響いた。

「だから俺はオークを追い立て、魔族をけしかけ、ガーゴイルで王都を荒らした。そいつが経験値を稼ぎやすいように!もしそいつがまともな共感性を持っていたら、自分のチートスキルを使って同胞を守ろうとするはずだ。しかし、そいつは沈黙を守った」

「では、まともじゃないか腰抜けなのかもしれませんね」リデュケは冷笑的に言った。

「あるいは、〈知識チート〉を使おうと企んでいるかだ。その場合も検知できる。各地の転生者化石が、言語活動をモニターして俺に知らせてくるからだ。この世界の科学レベルに不釣り合いな情報は、〈思想警察〉スキルによって検閲される。

 しかし、それすら無いのだから、やつは完全に一人の平凡な人間として溶け込んでいるということだ」

「よほどのひねくれ者でしょうね。フフ……」リデュケは笑った。

「だからお前に長々と説明したのだぞ、ドライアド。協力する気はあるのか?」

「すみません。協力できません」

 リデュケは拒否した。

「それがお前の返礼か?ここまで親切に説明してやったことへの」

「わたしが知りたい情報ではありませんでしたから」

 それは正直な気持ちだった。この異界からの訪問が、私欲に満ちた、何の理念もない侵略だと知りたくはなかった。

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