宴の終わり
宴も佳境になって、パンディエンのシェフが酒を口に含んでから火を吹く芸を見せた。
魔法で制御された火は、しばらく蛇のような胴を持った異国の竜の姿を成してから消えた。
種族問わず、客は歓声を上げた。目の肥えた貴族がいたとしても、拍手するであろう、卓越した芸だ。
これは単に炎に竜の形を取らせただけの魔法だが、それを実際に戦闘用の召喚獣にまで昇華させるのが召喚士という職業だ。彼らは、魔力で維持される様々な獣を使役して、敵にけしかける。
魔法で炎や水の形を操ることが出来ても、どうやって動物の姿を取らせることが出来るのか?魔素が細胞内呪詛を読んで、それをタンパク質ではなく炎に翻訳するのか?炎に細胞は無いのだから、それは成立しそうにない。遺伝子は関係ないのだ。
召喚士が模倣するのは細胞単位の詳細な配列ではなく、神経系の形状なのだそうだ。それも、運動神経。一時的な命しかもたない召喚獣に、内臓の神経網は必要ない。
そして、意外にも召喚士たちが重視しているのは、脳という臓器も必要ないのだから、詳細に模倣しないということだ。
意識を持って苦痛を感じる動物を使役して戦わせることに倫理的な問題を感じた古代エルフ達が、より複雑な技術を使って編み出した魔法。だから、あえて召喚獣に自己認識は持たせない。
エルフという種族は、単なる魔法と力の追求だけではなく、人道的なそれを目指していた。その数千年紀に及ぶ追求の果てが、現在のように聖域に引きこもることだというのは、リデュケを悲観的にさせる。
まあ、このパンダの獣人が使ったのは、先程の分類でいえばただの装飾であり、厳密に言えば召喚魔法ではない。だから、どうでもいいのだけど。
リデュケは発酵した茶葉で淹れた異国のお茶を飲みながらそう思った。
ヒルダは脱脂したカカオマスを熱い牛乳に溶かしたもの、つまりココアを飲みながら言った。
「リデュケ、あなたは甘いわね。あまあま。転生者は経験値目当てに大量虐殺を起こしたとは限らない。意図せざる悲劇だったのかもしれない、と言いたいのでしょう?」
リデュケは、ヒルダが自分のことを名前で呼んでいることに、今更気づいた。
いつからだろう?さっきからのような気がする。舞踏会場では、正体がバレないかと緊張していたので、よく覚えていない。
ヒルダが続けて、「それは、推理輪転小説で言うなら、十分な動機がある容疑者と凶器と死体があるのに、それでも故意ではない、事故だったと言うようなものよ」
リデュケは反論した。
「でも、もし竜が経験値に魅入られた殺戮者なのだったら、大噴火を起こしたあと、大人しく眠っているというのがわかりません。さらなるチートスキルを試してみたくなるのではないでしょうか?」
「収穫期を待っているのかもしれないじゃない」ヒルダは猜疑的だ。
「双方の言い分はわかるのだが」ヘイゼンレストが割って入って、「そもそも経験値は入らなかったのかもしれん。なぜなら、地球の長い歴史上、プルームによる巨大噴火があっても、そこまでの絶滅が起こらなかった事例もあるからだ」
「でも、その噴火では絶滅が起こったのでしょう?じゃあ、犯人は噴火を起こした転生者に決まっているじゃない」
「ああ。推理小説の例えで言うなら、犯人の一人であることは間違いない。しかし、容疑者単独では殺人が成立しないのならば、共犯者がいるということになる。さて、殺人者に報酬を与える狂ったシステムが、共犯者のほうを罪が重いと審判したらどうなるかの?」
「共犯者に経験値が全部行く?」
「そうかもしれんし、消えてしまうのかもしれん。
わしに確実に言えるのは、〝大量絶滅は複数の原因が積み重ならければ起こらない〟ということだけだ。
陸地の岩石による、二酸化炭素の除去機能が機能しておれば、過剰な温暖化は抑えられる。陸地が単一の超大陸として集合しておるかどうかも、重要な条件になるだろう。
そんな複雑な作用の連携の中、チートシステムはどうやって犯人を特定しておるのだ?
それに、チートシステムのキル判定は、個体の殺害を数えるものであり、数世代に渡る種の絶滅を対象にしたものではないだろう。
要するに、経験値の行方はわからん」
「たしかに、ヘイゼンレスト氏の言うように、経験値については棚上げして、もう少し大量絶滅と惑星環境の関係についての検証が必要かもしれませんね」
とリデュケは同意した。
「それで、今までの議論は、〈骸の王〉を攻略するにあたってどう活かせばいいの?」とヒルダが言った。
「ヒルダ様、たとえば今日、宇宙の彼方を望遠鏡で覗いて、強い重力源による光の歪みが検出されたからといって、明日の戦争の役に立つとは限りませんよ」とリデュケ。
「じゃあ、今までのは全部役に立たないの?なんでこのタイミングでこの話をしたの?」
「そりゃ、発見したからじゃよ。それに、仮にすべての経験値が竜ではなく〈骸の王〉に入ったことがわかったからといって、どうしようもないがの。そんな転生者にはお手上げだ」
「なんか、勝つためのヒントにならない?」
「さあ。なるかもしれないし、ならないかもしれないですね。基礎研究とはそういうものでしょう」
「はあ……それ聞いて眠くなった」
ヒルダは樫の木の、穴だらけのテーブルに突っ伏して眠ってしまった。
と思ったが、硬くて痛いことに気づいたのか、リデュケに寄りかかってから、やはり眠ってしまった。
*
酒場の外に出た三人。
空気は涼しく、ヒルダは背中に乗ったまま眠っている。
「お前さんは、これでいいのかね」
ヘイゼンレストが、リデュケに向かって言った。
「何がですか?本当はこれが、〈骸の王〉を倒す手がかりになるかもしれないことですか?」
「ハハ、それはどうかな。考えてもみなかった」ヘイゼンレストは笑って、「そうではなく、わしが言いたいのは、突然現れた余所者のドワーフに、自分が進めていた〝謎解き〟の楽しみを奪われて、よいのかね、ということだ。探求者として、満足いかんだろう」
「そ、そ、そんなことはないですよ」リデュケは挙動不審になって言った。
「遠慮せずともよい。もちろん、わしがこの研究を発表する際には、お前さんの名前を添えることを約束する。しかし、そのような名声より、自分の手で謎を解く喜びは何にも代えがたいだろう。……ドライアドとは、そういう種族だ」
「自分一人では無理でした。ドワーフの観測技術がなければ、地殻の表層よりはるか下のことなんてわからないですし、空洞はそんなに重要視していませんでしたし。それに……」
「それに?」
「これは、わたしが主に追っていた謎ではないんです。転生者の引き起こした影響のうち、生物大量絶滅よりも他に、興味があるものがあったんです」
「というと、いくつもあるわけではないの。限られておる。GME――惑星大気の大規模な魔素化イベント(Great Mana-Oxidation Event)についてかね?」
「そうです。転生者の出現時期を境に、大気中の魔素濃度が増加し、この惑星がマナで満ちた。魔法の惑星になったことです。
奇妙ではありませんか?転生者は魔法を使えなかったにも関わらず、彼らが魔法をこの世界にもたらしたんです」
「確かにそれは、お前さん向きの研究対象だな――生物学の。おそらく、魔素代謝菌が関わっておるのだから」
「はい。でも、全ての分野の知見が必要です」
「わかっておる。わしも協力は惜しまない」
「ありがとうございます」
二人の亜人はそこで別れて、ドワーフの方はまた酒を飲みに店内に戻っていった。
*
リデュケは、こっそり館に再侵入してヒルダを寝室まで運んだ。護衛の目を盗むのはたやすいことだった。
小さな身体をベッドに横たえながら、リデュケは思った。
自分はこの異種族の娘に、正しいことをしているのだろうか?
ヒルダが、その未来に殺戮しか待っていない隘路に入り込もうとしていた、その直前に、手を引いて自分の道に引き寄せた。
分岐を切り替えた。
もっとも恐ろしい意味においての悪役令嬢(乙女の恋敵的な悪役ではなく、生命体全てに対する天敵としての悪役)が登場する一幕に向かって、運命のラチェット付きの歯車が、舞台を回転させる前に。
全ての種族に優越する人間の化身としての転生者を使い、チートスキルという名の神罰を執行する女神。滅亡の
貴族達の書いた脚本では、その不相応な大役をこなす予定だった娘。ヒルダがその役割を演じないとすれば、誰が代役のポジションに収まるのだろう?
少なくとも、ヒルダが操り人形のように扱われるのを見ていることは出来なかった。まるで転生者が操演されるように。
***
ヒルダは夜中に目を覚ました自分に気づいた。あるいは、明け方が近いのかもしれないとも思った。夜に光る魔石時計は落ち着かない気分がして置いてないので、今が何時かはわからない。
リデュケはまだそこにいた。
窓枠の下に獣の脚を折りたたんで座っており、手は何やら、光の糸を使った綾取りのようなことをしている。
伏し目がちに、その謎めいた作業に没頭していて、ヒルダが見ていることに気づいていない。
おそらく満月に近い月の明かり(月そのものは位置的に窓から見えない)で、その鹿のようなシルエットが見える。
背筋を伸ばした上半身は彫像のように緩やかな曲線を描いて安定していて、こうしていれば椅子が要らないのかもしれない。継ぎ接ぎのようなキメラの身体も、案外合理的なデザインに思えてくる。
もしかしたら、人間の身体にもあるはずだったのに、何かの手違いで失われたのがあの半身なのかも、という気までしてくる。
その横顔の、形の良い顎のシルエットが、髪の毛の影に埋もれて、代わりに尖った耳が現れた。つまり、顔が回転してこちらを向いたのだった。
その双眸は暗所にも関わらず緑色に光っていて、鹿というより肉食獣を思わせる。
「お目覚めですか?」
光の網をどこかの空間にしまって、身体ごとこちらに向きなおったそれが言った。
ヒルダは、領主の演説を聞いているときに途中まで言いかけた言葉が、再び喉元まで出ていた。
怖い。ときどきリデュケのことをそう思うのだった。
だからヒルダが言ったのは、うわ言のような言葉だった。
「わたしの枕元に立つあなたは、誰?不道徳な夢魔?それとも、夢を食べる妖獣?」
「まだ夢の中ですか?ヒルダ様」
「いいえ、あなたは獣よ」
今度は、はっきりと言った。
「あなたは、好奇心の獣。謎を食べるために現れて、食べ尽くしたら去っていく。きっと本当は、人類のことなんか興味がないの。
もし転生者の謎を全て解決したら、この領地から出ていくのでしょう?」
リデュケの表情はうかがいしれない。でも少し目を細めて答えた。
「いいえ、まだヒルダ様という謎が残っています」
「わたしの元に留まっているのも、わたしの正体を暴きたいから。じゃあ、その後は?正体がわかれば、謎が無くなれば、わたしの元から去ってしまうのでしょう?興味をなくして」
「もちろん、暴いてさしあげます」
リデュケの両手が、ヒルダの頬を覆った。その瞳は、本当に人間の夢の中に現れる魔物のそれに見えた。
「その後のことはわかりません。わたしはそうせずにはいられないんです」
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