異端審問
「あのー」
リデュケの素っ頓狂な声が響いた。「わたしもヒルダ様と同様、正体を隠していましたので、罪をさばいてください」
「へ?」
ヒルダが目を開けると、リデュケが最前列に出てきて発言権を求めて挙手していた。「お取り込み中のところ悪いのですが……」
こんなに近くにいたなら、〈クエーサー〉を発動しなくてよかったとヒルダは思った。
他の参列者は呆気にとられている。
しばしの沈黙の後、自分が話しかけられていることに気づいた枢機卿が、他に誰も対応しようとしないので、言い返した。
「……いや、今言うことか?後にしなさい」
「でも、ここは異端審問にも使われたという場所ですよね?私、かなりの異端ですが」
参列者はざわついた。だが、この闖入者が関係者らしいというのは皆知っているので、何か意味のある儀式の一幕なのではないかと思って様子を見ている。
枢機卿が煩わしげに言った。
「君の宗派など知らんよ。ドライアドは勝手にアニミズムでも信仰しておればよろしい」
「ドライアドの宗教はアニミズムではありません。精霊(微生物)は操作の対象であって擬人化しておりません。菌は自己創出システムですが、自己言及システムである意識を持っていないからです。
そんなことはどうでもよくて、わたしが言いたいのは、わたしの正体の話です」
「正体?まさか、自分も転生者だと言い出すわけではあるまい?」
「今度はどの異世界から来たのかな。四つ足の人間しかいない世界?」「ハッハッハ」王族が茶々を入れた。
「魔界です。わたしの出身は」
「は……?」
「わたしは魔族なのです。証拠をお見せします。失礼」
リデュケはひらりとスカートを翻し、貴族たちが座っている異端審問官用の法壇(長机)の上にトトンと登った。
「ひっ!」ヒルダの母は、もともと亜人全般が苦手ということもあって、驚愕の表情を浮かべて、リデュケをまじまじと見つめて言った。「ヤギの角と蹄、かかとの無い足、とがった耳、硫黄の匂い……たしかに悪魔の特徴だわ!どういうことなの、あなた!」
「いや、そんなはずはない。みなさん、ご安心を。これはただのドライアドです」アルベルトは場を収めようとして言った。
ヒルダはリデュケの外見の相違に気づいた。
「角……?」
いつのまにかリデュケのこめかみ辺りからは、赤い髪の奥から対の角が生えており、しっぽや蹄の上の毛が青紫の炎のような色彩でゆらめいている。
リデュケが淡々と言った。「わたしは硫黄呼吸をする魔族で、酸素大気中に捨てられたところを、ドライアドに拾われて酸素呼吸用の第二の胴体を追加された、キメラなのです。赤い髪のドライアドなど、いません。ドライアドの髪の毛は普通、みんな緑色です」
「はあ?」とヒルダ。
「ええ?」「何だと?」「王都に悪魔を入れたのか?」会場は騒然とし始めた。
「クナーグ卿、どういうことだね?」大臣がアルベルトを責めた。
「わ……悪ふざけはよしたまえ、准尉」アルベルトが久しぶりにリデュケを階級で呼んだ。「君がドライアドであることは皆が知っている。生態や魔法から明らかだ。それはただの偽装魔法か何かだろう」
「たしかに、見た目だけでは証明になりませんね。ですから、証拠となる呪い属性の魔法をお見せします。皆さんの足元を御覧ください」
いつのまにか、参列者の膝辺りの高さに、青紫の光の薄膜のようなものが水面のように張っていた。まるで建物全体が浸水したように見える。
「その下は致死濃度の硫化水素です。わたしは死にませんが。まったく臭いを感じないのは、境界面を魔素で制御されているからです。急に動くと界面が破れるかも。だから私がその、娘の形をした異界の兵器を掠奪するまで大人しくしていて下さい」
「わたしのこと?」兵器扱いされたヒルダが言った。
「聞いたか?これはテロだ」大臣が言った。
「魔物を討伐しろ!」と衛兵隊長。
王立軍の衛兵達が横列をなして、銃剣を構えた。
「やめたほうがいい」シェレカンがその銃口の一つを押し下げて制止した。「あのキメラの胴は、硫黄代謝器官と魔素代謝器官が詰まっている。穴を開けると呪いが撒き散らされます」
「頭を狙えばよかろう?」
「足元の紫の境界面が消え、全員が有毒の霧を吸い込むことになります」
「ではどうしろと?」
「特にありません。侵入された時点で終わりであります」
兵士達が何か打てる手がないか考えている間、呪いの境界面は起立を余儀なくされた参列者の腰から胸のあたりまで上がってきた。
参列者達は恐慌に駆られて逃げようとしたが、地獄の業火さながら、扉や壁面を覆い始めた青紫の炎に阻まれた。儀式はまるで拝火教の集会かサバトのような様相になってきた。
リデュケという名前だった悪魔は、あろうことか聖堂の真ん中で、法壇に蹄を打ちつけると、勝ち誇ったように演説を始めた。
「領主よ、あなたの願いは叶ったか?娘を制御するという。
戦争屋たちよ、あなた方の願いは叶ったか?敵を滅ぼすという。
商人たちよ、あなた方の願いは叶ったか?呪いを資産に変えるという」
ヒルダから見ると、少々演技じみたリデュケの口調。しかし、今までの言葉遣いが演技だったのかもしれず、本来はこのような尊大なやつなのかもしれない。
「叶わなかっただろう!
なぜなら、それらのシステムは人間に興味がないからだ。
戦争も、市場も、あなた方に関心がない。見えないのだ。不可視の怪物であり、それ自身も盲目だ。
それらは自身のコードに従って動くものの、コードの意味を理解していない。戦争は勝利を理解していないし、市場は価値を理解していない。
環境と自己をわける選択を行っているだけ。環境にエントロピーを排出し、構成素である殺戮や、取引を取り込む。
それは一歩先の未来に対しても盲目なまま、あなた方をその背に乗せて、どこかへ確実に連れて行ってくれるだろう。
楽園か、異世界か、屍蝋の海へ」
リデュケの演説は、なんだかよくわからないという意味ではいつもと同じだが、いつになく悲観的でヒルダは悲しくなった。本当に別人のようで、今までの明るい態度は嘘だったのだろうか。
逃げ惑う人々を尻目に、カルヴィンは落ち着き払って発言した。
「あなたが我々をいつでも殺せるというのはわかった。だが、取引の余地はないのか?
その娘を渡し、我々の命も見逃すための交換条件などは?」
カルヴィンは喉元に呪いをつきつけられた状態にしては怖いもの知らずに、リデュケと交渉しようとしていた。
リデュケは答えた。
「ご存知ではないのか?魔族は取引をしない。あなた方のゲームに参加しないことを表明するために。
「ルールに無いもの?」
「魂だ。悪魔が願いの対価として求めるものは古来からそれしかない。
チートシステムの求める経験値のようなごまかしは効かない。私に言わせれば、あんなものはいくらでも合成できる。ミトコンドリアDNAは解読不可能な暗号ではない。
汝の魂を捧げよ。複製できないものを捧げよ。それが唯一の等価交換だ」
リデュケが長い爪の先の紫炎を、カルヴィンの鼻先を焦がす距離に近づけると、さすがの彼の表情にも怯えが浮かんだ。
主人を守ろうとしてか、処刑用転生者が外から扉を破って突入してきた。
「待て。撃つな!」
カルヴィンの制止も聞かずに、処刑用転生者はニードルガンを撃ち始めた。自律型なのも困ったものだ。転生者は人間にとって致死的な毒が発生しようが気にしない。
リデュケは宙返りして鉄の矢をよけると、ヒルダの脇に立って、慣れた手つきでヒルダを背中に乗せてしまった。
「きゃっ!」
ヒルダは転生後の人生で初めて悲鳴をあげた。
リデュケは何か見えない糸に釣られるように不自然に跳躍して、建物の吹き抜けを上昇し、天窓に達する寸前、身体の上下を反転させて蹄でガラスを割った。そして、夜の闇に飛び出した。
王都の街並みが見える。街灯が煌々と街路を照らしているので、逆光でレンガ造りの屋根が黒っぽく見える。
逆立ちで上昇しながら減速しているので、夜空に落ちるような混乱した重力感覚の中で、ヒルダは訊いた。
「悪魔は空を飛べるの?」
リデュケは空中に静止すると、くるりと上下を元に戻して言った。王都の夜景が一望できる高さで。
「ヒルダ様まで騙されていたんですか?私は今も昔も、ただのドライアドです。ドライアドは、飛べません」
青紫の炎が消えて、いつものリデュケにほぼ戻っていた。
硫化水素の匂いに関しては、全くしない。おそらくあれは全部はったりだったのだろう。境界面と言って何もない空気を光らせていただけで。
「でも、その角……」
「これは転生者を鎧として着ているだけですよ。青紫の炎も、初歩的な偽装魔法です。舞台と演出のおかげで効いたようですね。少佐は本当に騙されたのか知りませんけど」
「じゃあ、浮いてるのはなぜ?」
地上からサーチライトが照射されて、すぐに全てのライトの照準が二人を捉えた。
下から照らされると、ピアノ線のようなものがリデュケの腰あたりから上空に向かって伸びているのがわかる。吊り下げるように。
転生者が操演されるとき出現する、レーネセンが〝時間軸〟と呼んでいた謎の光線。操演線とも呼ぶ。
「飛んでいるのは、自分を操演しているからです!」
リデュケがそう言いながら操演線を消すと落下が始まったので、ヒルダはひやりとした。
「消失点が無限遠に固定されていたものを共形完備化すれば、有限のどこかに固定しなおすことができます!」
リデュケは新しい線を前方のどこかに出現させて、その上端を支点にスウィングしながら移動していく。空中ブランコのように。
サーチライトが追ってきて、警報のサイレンの音がそれに続いた。
ヒルダが金属が擦れ合う音を聞いて眼下を見ると、巨大な半球形の砲塔が回転して、こちらを向いている。
対空放火。ガーゴイルから王都を守るために建造された二連装の高射砲。王都の城壁や広場に設置された全てが稼働している。
〈ステータスウィンドウ〉という特権を持ったこの世で一つしかない転生者兵器を、悪魔の手から取り戻すために。
対の光弾が群れをなして、夜空に泡のように、鍋を走る油滴のように跳ね上がった。
リデュケは操演線を切り離したり前方の空間に固定したりを繰り返しながら、不規則なスウィングで避けていく。
「自分自身を上手く操演すれば、ドライアドが空を飛ぶことも可能です!」
砲弾が空気を擦る音がヒルダの側を通り抜けていった。
「でも、ヒルダ様は、誰にも操演されないで下さい!自らの手以外では、誰によっても!」
近くで砲弾が炸裂する中、リデュケは叫んでいる。
「血によってさえも!我々は、血を操演すべきであって、逆ではありません!」
ほとんどの対空砲の射程を抜けたころ、グリフォン騎兵がスクランブル発進するのが見えた。
訓練された騎兵達は、低空を城壁や建物を盾にしながら接近してくる。
リデュケが空中ブランコの頂点で宙返りするときに大きなスカートからたくさんの魔石がバラバラと落ちてきた。
それは落下の途中で緑色の炎を噴射して爆発的に推進し、グリフォンを追尾する飛翔体となった。その航跡は花火のように残った。
グリフォンは錐揉み飛行しながら回避し続けたが、結局全て撃墜されてしまった。
花火の煙が風に流された後、王都のサーチライトは標的を見失った。
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