戦術的誤射
突然、操演盤の電源が切れた。ヒルダは魔法に関する回想を断ち切られた。
盤上の映像を見やすくするために照明を落としてある指令所〈聖堂〉は、光を失った木製の楽器めいた装置と将校達、そしてヒルダを含む八人のオペラトエールを残して、薄暗がりに沈んだ。
「何だ、どうした?」
「発電機か?」
混乱の中、ヒルダだけは安堵していた。通信が切断される前に、育てた転生者を自陣に回収できてよかった。回収していないものは、その場で近場の敵を攻撃し続けるだけになってしまう。
〈聖堂〉は、文字通り教会の聖堂を転用した施設だ。
なぜ教会なのか。この要塞全体は建設用転生者のチートスキル〈再演〉によって建設されたので、基本的に既存の要塞のレプリカだ。なぜなら転生者には、新規の建物の設計図を見せても理解できないから。
モデルとなった要塞になかった設備として軍が必要としたのは、複数の操演盤を一箇所に集めて、配線を束ね、送信塔に接続できる施設。大型のパイプオルガンを壁面に埋設した教会の構造はそれに最適だった。軍は転生者を使って、リレサント中心部にある澄んだ歌声の聖歌隊で有名な小さな教会を複製した。
なお、余談だが、モデルとなった教会は複製に際して、最小部品単位まで完膚なきまでに解体された。転生者は過去方向への破壊を行うことで未来方向へ建設するのだから、まずは複製元の破壊を実演しなければならないからだ。
リレサントの聖歌隊の子供達は安息日の朝、昨日までは町のシンボルだったものを構成していた瓦礫の前に佇み、途方にくれた。
沈黙は、外側から破られた。
扉を破壊するほどの勢いで、何か重い鉄の塊が飛び込んできたからだ。
それは聖堂を守っていた衛兵の、鎧を着たまま戦闘不能になった姿だった。二人いた衛兵のうち、もう一人は熟練の衛兵隊長で、彼はオークと剣で交戦しながら入ってきた。それは、緑色の肌を黒い呪術的な装飾で覆った、一体のオークだった。
〈ゴースト〉と名付けられたその個体は、ヒルダにとっては他のオークとは見間違えようがない、不吉な雰囲気を纏っていた。
オークは衛兵隊長を倒し、またステルスを使って消えてしまった。
将軍が命令した。「護衛!防御陣形を取るのだ、名誉を守るために!」
王都から派遣された四人の護衛が将軍を中心の陣形を取った。しかしオペラトエールの子供たちや、この地の軍人は無防備なままだ。〝名誉〟とは〝上官〟を指す暗号か何かなのだろうか?ヒルダは疑問に思った。
目立つからだろうか、なぜかオークは将軍達を狙った。三人がかりで一体と互角という評価通り、護衛騎士は耐えた。接触している間はステルスが解除されるという特性を見抜き、掴みかかる者もいる。しかし掴んだ部分が凍傷となり、離してしまった。その隙に、オークは将軍を人質にとった。鉤爪のような武器を首元に突き付けている。何かグルグルと発音しているが、それが言語かどうかもわからない。言語だとして、解する者はいない。
将軍は大型操演盤を背に追い詰められ、オークはそのいかにも司令官然とした人間族の一個体の息の根を止めるために振りかぶった。
次の瞬間、オークは将軍ごと凍りついていた。
動きを止めたという意味ではなく、文字通り凍ってしまったようだ。霜が張り付いて白くなっている。
オークは凍っていない半身をなんとか動かして、自らの敵に相対した。そこにいたのは、義手の掌をオークに向けてかざしている、少佐だった。氷属性魔法か何かによって攻撃したようだ。
「シェレカン!」
ヒルダは叫んだ。助けに来てくれて嬉しいというより、少佐の行動に理不尽さを感じたからだ。
「味方ごと攻撃することはないじゃない!」
ガリツォス将軍と護衛騎士達は氷の彫像になってしまっていた。
「いえ、敵が装備した転生者化石による吸熱のせいでしょう。ご覧ください、やつは転生者を〝着ている〟のであります」
「着ている?」
「我々が呪術的な装飾だと思っていた意匠は、黒く塗装した転生者の骨だったのであります。鉤爪のような武器は、転生者の前腕部の骨。それだけでは脆いのか、鉄で補強してあります」
そう言われてみるとヒルダには、その捻れた二本の刃は、人間の腕の骨――尺骨と橈骨にしか見えなくなった。脊椎や肋骨のような鎧も、転生者のパーツ。山で見かけたときは狼に転生者を積んでいるのかと思ったが、まさかバラバラにして装着しているとは。
「転生者が殺しているのだと、〈チートシステム〉に誤解させる。そのために、まるで転生者が自力で動いているような位置関係で部品が動くように、化石を装備しているのであります。こんな簡単なことで、オークの分際で〈チートスキル〉を使い、レベリングすることさえ出来るとは」
ヒルダは少佐の義手に注目した。黒い手袋を取ったそれは、転生者化石の左手なのだった。
「あなたも〈チートスキル〉を使っているの?人間の身で?」
「いいえ。これは単に、転生者が稼働するときの吸熱現象を利用しているだけであります。それを氷属性魔法によって増幅しているだけです」
少佐は再び、その義手である左の掌をオークに向けた。それは何かのノイズを立てながら次弾を
オークは空間の後ろに隠れるように一歩下がった。すると実際に、オークの姿は空気と同様の透明度になってしまった。つまり、見えなくなった。
「また消えた!」子どもたちが叫んだ。
「狼狽えるには及びません」
少佐は義手で空間を探査するようなジェスチャーをしながら、彼らに解説し始めた。「〈チートスキル:ステルス〉の原理は、光の進路を曲げて術者のいる領域を迂回させ、本来通るはずだった進路に再配列する、というものであります。
あらゆる波長の電磁波を曲げるのだから、紫外線や赤外線でも検知できない。赤外線として自らが出す体温も、動力として利用して相殺しているから、事実上、あらゆる観測機器で検知不可能であります」
「そんなものをどうやって補足するの?」ヒルダが訊いた。
「単に要求すればいいのであります。転生者化石は、周囲にある熱源から“必ず”熱を奪う。因果関係として奇妙ですが、対象がわざわざ熱を転生者に送信してくれるのであります。この義手は、それを指向性にし範囲を絞っただけの代物ですが、ステルス看破にはこれで十分」
〈転生者の左手〉の照準が、何かを追尾しながら〈聖堂〉の壁を凍結させていく。
その携行転生者兵器が薙ぎ払うように旋回すると、一瞬遅れて、氷霜の花が列柱を幹にして無数に咲き、側廊のステンドグラスが次々に砕け散った。
ヒルダは気が気でなかった。落ちてくるガラスの破片に子どもたちが傷つくことにではなく、オークが手強い敵を認識したときに取る行動といえば、もっと弱い対象を見つけてレベルをあげようとすることだからだ。例えば、非武装の子供とか。ヒルダならそうするし、実際そういう戦略を取ってきた。
しかしオークの選択は違っていた。オークは左右移動をやめ、少佐に向かっていった。
驚いて眼前に構えたシェレカンの義手は、半ば破壊されながらもオークの爪を受け止め、直接、敵の熱を吸収して、半身を無力化させた。オークの残った拳が迫るが、それは火花を散らして弾かれた。銃声が響いていた。
「やはり、最後は火薬に頼ることになるか」
シェレカンは、ホルスターから拳銃を取り出していて、爪を破壊したのだった。そのまま至近距離で、全弾をオークに撃ち込んだ。
ようやく決着がつくかと思われたが、オークの狼乗り兵が割れた窓から飛び込んできて、〈ゴースト〉を乗せると逃亡してしまった。
シェレカンは追撃しようとしたが無駄とみて、再装填した銃を下ろして言った。
「レベルが上がった転生者を使い捨てず、大事に使う。オークは、このゲームの戦い方を心得ている」
***
「護衛ご苦労、シェレカン」
ヒルダは皆から少し離れた場所に少佐を呼び出して言った。
整備兵たちが荒らされた指令室の中、操演盤と転生者の通信を再接続している。
「御身がご無事で何よりであります」
「ところで、あなたはやはり味方を巻き込みながら攻撃していたと思うわ。このことは上に報告したほうがいいかしら?」
「敵へと渡ることが確定していた経験値の、
〝戦術的〟な〝誤射〟……?なんだか奇抜な言葉の組み合わせで誤魔化されているようだが、救出する努力を放棄している。それどころかシェレカンがやりたかったのは、邪魔な上官に対する意図的な
考えているヒルダに少佐は言った。
「これはヒルダ様から学んだ戦術です。私は以前から気づいていました。あなたは敵のとどめだけではなく、味方の転生者歩兵のとどめもさしていた。そうすることで、戦場全体の経験値が巡り巡ってあの青い転生者に集中したのです」
レベル1の転生者は経験値を供与しない――いわば、空っぽだが、すでにレベルアップした個体はその限りではない。集めた経験値を自身に保存しており、倒した転生者にすべて移譲される。
「確かに私はそうやってレベリングした。でも、化石と人間を一緒にしないで。人命を
「ハァ……」
少佐はわざとらしくため息をついて、どう説明したものかと考えてから言った。「ヒルダ様……今どき、そういうのは受けません。戦争中なのに不殺を貫くとか、前近代の世界に人権を持ち出すとか」
「受けるとか、そういう問題じゃないでしょ……」
「ヒルダ様、ゲームに適応してください。チートシステムは、味方を殺してはいけないとか、人命を計数してはいけないなどというルールを持っていません。そのような禁則は無いのです」
シェレカンはたしかに、チートシステムが定めるルールに、最も順応している人間の一人だろう。あたかも、人の定めた法や物理法則さえも、チートシステムの下位ルールだとでも言うように。
「まるで、あなた自身が転生者になりたいみたいだわ。終いには全パーツを転生者に置き換えるんじゃない?」
「ふふ、そこまではしません。チートシステムがもたらしたのは、死を観測することによって縁取られた、世界の輪郭です。それは、明確な目的をプレイヤーに提示できるデザインの動線です。そして、ヒルダ様、あなたもその世界で、優秀なプレイヤーになる素質がある。まるで、転生者そのもののように」
「……」
「ここだけの話ですが、もしこの戦争に負けたら、防衛ラインは海の向こうに後退します。わたしの故郷デーンウォート連邦国に。つまり、この国は見捨てられる。その時、ヒルダ様だけは助けてもいいと思っているのです。あなたは他と違う」
最近は、ヒルダをどこかに誘うのが流行っているのか?この領地に見切りをつけて。しかし、鉄道が走る連邦国の大地は、少なくともドライアドの森よりは魅力に欠けるように、ヒルダには思われた。
「残念だけど、わたしは転生者のように生きるなんて、死んでもごめんだわ」
ヒルダは背を向けて、すでに仲間の操演者達が待っている〈聖堂〉の、電源の復旧した操演盤に向かった。
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