無双


 第三層の城壁が完全に崩壊し、異形の蛮夷達が雪崩込んできた。オーク達は周囲を睥睨し、彼らの体格からすれば玩具のように見える転生者の隊列を認めた。しかし彼らは転生者化石の脅威を知っており、相手として不足はないと感じたようだ。

 喊声を上げながら突進してくるオークの群勢ホード。対して、物言わぬ傀儡の隊列として歩を進める転生者化石。

 両者の戦線が交錯した。砕け散り、あるいは全身ごと弾き飛ばされ、宙に舞う転生者。しかし、愚鈍なゴーレムと評される転生者化石とはいえ、石は石であり、それなりの質量を持っている。突撃の勢いを殺した後、多重の横列は足止めとしての役割は果たしている。

 ヒルダは右手で後衛のボウガンを持った転生者全員を範囲選択し、敵一体を攻撃指定した。八体による集中砲火は、タウレンを怯ませ、オークに大ダメージを与えた。

 転生者は特に命令をしないと漫然と一番近い敵を攻撃するが、このように火線を集中させなければ無視できるレベルの火力となってしまう。ヒルダ以外のオペラトエールはフォーカスに慣れておらず、火力としては心もとない。

「斉射!」

 その号令はドワーフの傭兵隊長の髭で覆われた口から発せられたもので、ドワーフ銃兵ライフラー達は命令に従った。足止めされたオーク兵に銃弾が命中する。オークは早くも転生者を盾にするという対策を編み出したが、ドワーフ達は構わず、転生者ごと撃ち抜いていく。

 足止めと火力が揃い、防衛としては申し分ない。しかし敵は転生者を投射する投石器で一方的に砲撃できるのだった。戦線を維持するだけでは、いずれ防壁を突破されてしまうだろう。



   ***


 そのころ、侵入者を追うシェレカン・アキシュメラ少佐の視点。(彼女の名前は、飼い猫のようなファーストネームで、揚陸艦のようなファミリーネームと言われる)

 要塞と鉱山の間に位置する転生者の一時保管庫には、発掘されたばかりの転生者化石が積み上がっている。しかし、今やその一角に、転生者以外のものも横たわっている。死傷した鉱夫や護衛達だ。

 透明化のスキルを使うオーク一体によって、逃げ惑う鉱夫達の半数が殺されてしまった。怪我人は、衛生兵の手当を受けているが、長く持ちそうにない。


 シェレカンは、無傷で生き残っている曹長に言った。

「まだ息のある者もいるな。衛生兵に、助かりそうにない者には、適当な方法でとどめを刺せと言っておけ」

 包帯を取り替えておけ、というような気軽さで言われたその言葉に、曹長は耳を疑った。

「とどめ?苦痛を長引かせないようにということですか?」

「いや、このまま死ねば、オークが殺したことになり、経験値はヤツに渡る。我々の手で殺すことで、敵の経験値獲得を拒止denyすることができるのだ」

 予想外の理由を聞いて、曹長は狼狽した。

「そ、そんな命令は受けていません。軍規違反です」

「人間を殺して得られる経験値量も馬鹿にならん。さらにレベルアップされたら手に負えなくなる」

「従いかねます!そもそも、オークが経験値を求めているという証拠がありません。オークが転生者のようにレベルアップするなど、荒唐無稽であります!」

 下士官が佐官の命令を聞かないのは異例だが、シェレカンは他国から派遣されたばかりなので部下からの忠誠心も得ていない。

「はあ……」

 シェレカンはため息を一つついて、懐のホルスターから拳銃を抜いた。なぜかサイレンサーがついている。

 曹長は粛清を恐れて、たじろいだ。

 シェレカンは、瀕死の重傷者の頭部を撃ち抜いた。

「な……なんてことを!?」

 曹長が非難の目を向けた。

 シェレカンはそのまま室内の重傷者全員のとどめを刺してから言った。

「曹長、軍規に従って私の命令を無視した、貴官の判断は正しい。そこは評価に値する。しかし、転生者以外が〈チートシステム〉を使う前例は、すでにあるのだ」

「前例、でありますか?」

「例えば、我々連邦国軍では、すでに似たようなもの――携行式の転生者を使っている」

 シェレカンはそう言うと、銃を持った左手を覆う袖付きマントを翻した。

 現れた義手の異様さを見て、曹長は反論するための言葉を失った。



   ***


 投射される敵の転生者石弾を受け、ついにアロータワーが陥落してしまった。〈群勢〉は勢いづいて、第二防壁に押し寄せた。指揮所に満ちる焦りの声。

「持ちこたえられない」

「転生者歩兵は何をしている?」

「思うようにレベルが上がりません。経験値が分散しているのかと」

「壁にすらならないのか?仕方ない、キリアントール師に大魔法の準備を要請しろ」大尉が言った。

 カドガー・キリアントールは大魔導師で、要塞の最終防衛線の魔法搭に控えている。第二防壁が破られた際の切り札のような存在。

 しかし消費する魔石が巨大で、鉱山防衛に成功してもしばらくは返せないほどの赤字になってしまう。

「まあ待て」将軍が大尉を止めた。「まだ騎士達がいるだろう。彼らにも活躍の場を与えてやれ」

「……了解しました。第二防壁付近に騎兵部隊を展開」


 異種族との戦では人間の鎧騎士にも出番があるとはいえ、オークとやりあうと犠牲は避けられない。

「ヒルダ様」レーネセンが耳打ちした。「まだ育たないのですか」

「もう少し稼ぎたかったけど、後は前線で稼ぐしかないか」

 ヒルダはそう言うと、大破したアロータワーの1つを表示し、内部パーツの一つに指示を送った。それは鉱物で、他のパーツを自分から切り離して自由になった。

 倒壊しつつある塔から、比較的大きな石塊が落ちる。金属音のような硬質な音を立てて、人型の鉱石はオークの進路を塞ぐ形で着地した。

 煙塵の中、ゆっくり立ち上がったそれは、ヒルダがレベリングしていた青い転生者だった。各所の装甲がレベルアップに伴い、より禍々しい形状に変化している。アロータワーからの射撃でとどめだけをかっさらい、経験値を稼いだのだ。交差した両腕を振り下ろすと前腕部に収納されていたニードルが両の拳から出現した。謎の推進力によって、滑るように移動しながらオークに襲い掛かる。


 ホバー移動の勢いを利用して一体のオークを串刺しにする転生者。敵が息絶えるのを待つ数秒間が無駄なので、ヒルダは画面を切り替えて後衛のターゲット指定と、生産ラインでの換装に指示を出す。そして画面を戻すとオークが死んでいるのを確認し、刃を抜いて次の獲物に向かう。

 このように操演という作業は、戦場の複数個所を把握し、見ていないときも意識し続ける必要がある。操作量はいくらあっても足りず、操演者の指は痙攣するように盤上を踊る。


 青い転生者は、取得したチートスキル〈自動回避〉〈範囲斬撃〉などを駆使して敵を屠っていく。無双状態である。

 チートスキルは一目でわかる、不自然な挙動を示す。例えば〈自動回避〉を使う転生者は、槍などの投擲物をギリギリで避け、それが身体を掠めた後、後ろから身体の一部を接触させて加速させる。槍は来たときより大きな運動量を持って地面に激突したり、背後の何かを代わりに破壊したりする。避けた後に槍の尻を叩くという、この全く無意味な行為が、何を意味しているのかはわからない。時間逆行物理学の専門家に言わせれば、未来から迫ってきた槍の運動を利用して、過去方向に向けて避けている、ということになるが、よくわからない。

 異様な動きが目立って、青い転生者はオーク斧兵に囲まれてしまった。こうなると勝てないので、ヒルダは余ったポイントで〈短距離転移ブリンク〉を取得させた。地面に円陣が出現し、転生者は操糸にほだされた光の帯となってテレポートした。

 出現地点は、投石機を操作しているオーク兵の後ろだった。

 目の部分が装甲に覆われ、拷問器具のような顎部が開放している青い転生者。吐き出す息は排熱ではなく、熱を喰われた後の気流の副産物である冷い霧だ。もはや返り血に染まって青が紫がかっているその姿に、本能的な恐怖を感じない種族がいるだろうか?オークの整備兵達は恐慌の中、〈ブルー〉の刀の錆ならぬ、経験値となっていった。

「これが、碑文では勇者として異世界を救うと記された、転生者の姿なのですか?これではまるで……」とレーネセン。

「さあ?わたしは弱そうなやつを優先して狙ってるだけだけど」そう言ったヒルダにも、転生者としてどのような戦い方が正統なのかはわからない。少なくともレベリングの方針としてはこれで合っているはずだ。


 操演盤から、聞き覚えのある声がした。

「ヒルダ様?聞こえますか?」

 リデュケの声だった。鉱石通信の塔に中継されて、この木製の便利な万能器械が受信した音声。リデュケは転生者の頭部から、通話用のアンモナイトを持っていったのだった。

「あら、鹿さん。今頃何の用?」

 ヒルダは出来るだけそっけなく聞こえるように答えようと努力したが、それは予想以上に簡単なことだった。光の駒を弾いて異種族を殺すゲームをやっているときほど、他人に対して冷淡になれる時間はない。

 ヒルダは、リデュケのモフモフ部分(耳、下半身、尻尾部分)を触っているときに感じる温かい精神状態は、転生者の操演のときに自分が埋没しているとき、つまり今感じているような冷たい無感覚と真逆だと思う。

 その無感覚は、モフモフ感を消し去ってしまう。戦いが終わった後でさえ、数時間の間は、モフモフした感覚を思い出すことすら難しい。実際に触らなければ、どんな感覚だったかの手がかりさえ無いのだ。

「モフモフ……」ヒルダの指が存在しない尻尾をまさぐるように彷徨った。

「――ヒルダ様?聞いてますか?」

「はっ!」

 ヒルダは妄想に耽っていて、操作が止まっていた。

「邪魔しないでくれる?せっかく育てた転生者が破壊されてしまうわ」

「す、すみません」リデュケは謝ってから続けた。「敵について、先ほどのブリーフィングで言われてないことがあったので。オークは古来から、風属性と土属性の魔法を使います。これは、窒素や珪素と魔素を反応させる技術です。珪素は鉱物の主成分、二酸化珪素(SiO2)に含まれる元素です」

「何が言いたいの?」

「土属性魔法は、〈操演盤〉や〈演目〉の補助なしに直接、化石を操れるということです」

「それって……」

 ヒルダは注意を盤面の青い転生者に戻し、無双を再開させようとしたが、動かない。光の細工である駒をつまんで移動を命令しても、現在位置はそのまま。

「壊れた?」

「いえ、敵の行動妨害魔法です」レーネセンが解説した。「雷魔法の〈浄化パージ〉によって操演盤との通信を一時的に絶ち、土属性魔法で強引に操るつもりでしょう」

 転生者は長い不気味な手足を震わせ、擬人的に言えば葛藤しているように見える。

「あれを盗まれるとまずい。緊急退避!」

 ヒルダがコンソールの隅を叩くと、青い転生者の、元はアンモナイトが入っていた部分に詰め込んだ魔石が爆破された。魔石は巧妙に出力を抑えて爆発し、転生者の表面に演目を打刻した。魔石は別ルートからの通信により、独立して動作するのだった。

 転生者は先ほどのように〈短距離転移ブリンク〉を使い、自陣の安全な場所に転送された。鹵獲は免れたが、修復限界が近くしばらくは戦えない。


 操演妨害の魔法を使っていたのは、白銀の狼に乗って指揮官然と戦場を見下ろす高位のオークシャーマン、〈遠見師ファーシーア〉だった。

「あんな危険な魔法があるのは先に言って欲しかったわ」とヒルダ。

「我々の魔法学は完璧ではないのだ、わが生徒よ」

 そう言って通信に割り込んできたのは、大魔導師カドガー・キリアントールだった。

「〈遠見師〉は私と同程度に強力な魔法使いと見ていいだろう。彼らの部族は風と土属性の魔法を使う。人間が使う火と水属性に対して四大元素の表では真逆の呪文体系だ。だから研究が進んでいないのだ」



   ***


 魔法学校で、ヒルダに即席の講義を施したのは、熟練の魔道士――大魔導師アークメイジだった。その大魔導師は、父よりは一回り若い長身黒髪の男で、名前をカドガーと言った。

「もっとも単純な魔法とは何か、わかるかね?」

 カドガーは、黒マントの中で両手を後ろ手に組んだまま問題を出した。

 火属性だということはわかっている――そう考えて、ヒルダは言った。「ファイアーボールとか?オグルが使うような?」

「正解は、これだ」

 そう言って、カドガーは持っていたマッチを擦って火をつけた。

 一燈の小さな炎は、ヒルダの目前で静かに燃え続けた。それだけ。次に続く見世物はなかった。

「は?」ヒルダは喧嘩腰で言った。「これが?呪文も魔素も使っていないのに?」

「呪文は、解釈によっては使っていない。魔素は、微量ながら使っている。しかしながら、このような発火――つまり酸化が、最も制御されていない形での魔法の行使なのだ」

「誰もこれを魔法とは認めないわ。これは、化学反応よ」

「そう、魔法から全てを削ぎ落としていけば、化学反応が残る。

 水素や炭素と安定に結合している魔素は、本来分離するときにエネルギーを必要とするはずのその結合を、無料で自由自在に切ったりつなぎ直したりする。

 火炎による攻撃魔法とは、いわば空気といくぶんかの水を炭化水素という燃料に変えて、それを火の通り道とする技術にほかならない」


 カドガーは、主要な四元素について黒板に書いた。

〈火〉属性は、炭素と魔素の反応。

〈水〉属性は、水素と魔素の反応。

〈土〉属性は、珪素と魔素の反応。

〈風〉属性は、窒素と魔素の反応。

 他に、硫黄元素を使う〈呪〉属性などもあるらしい。

 魔素というのは、一般的な酸素より中性子が二つ多い、ただの酸素同位体。なぜかその組み合わせだけが魔素という特異元素になる。酸素全体に対する天然での存在比は約0.2%。魔法とはその0.2%をかき集めて使う技術。


 カドガーは続けた。

「魔法の威力を決定するものは何だと思う?ヒルダ」

「精神力とか?集中力?」

「違う」

「イメージする力?強い感情?」

「全然違う」

「じゃあ才能ね。生まれつきの血統」

「それも違う。答えは魔素の量や濃度だ。同じ呪文であれば、誰でも結果は同じ。投入する資源が威力を決める。次に、呪文とは何か?これも答えてみなさい」

「魔法を発動させるための、魔素に対する命令文みたいなものでしょう」

「命令文?それは、転生者を動かす〈演目〉の発想に影響されすぎだ」

「命令ではないのに、なぜこちらの言うことを聞くの?」

「呪文とは、間違った言語体系による宇宙の記述だ」

「よくわからないわ」

「宇宙は一つの形式言語で動いている。対して、我々は自然言語を使う。しかし宇宙は曖昧さを嫌うから、曖昧な自然言語を、無理矢理宇宙の言葉に翻訳しようとする。その翻訳の負担を、魔素が負うことになる。間違った言葉で、宇宙に負担を押し付けること。それが、呪文を唱えるということだ」

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