第7話 一般治療師による普遍的な知識

 ルドが大通りに出ると、クリスは再び人々に囲まれていた。予想通りの状況だったため、ルドは慌てることなく人をかき分けると、手際よくひょいとクリスを肩に担いだ。


 二度目ともなると慣れてきたのかルドの表情にも余裕がある。だが、クリスを囲んでいた人々と、クリス本人は突然のことに唖然となった。


「ルド……」


 クリスが文句を言う前にルドが言葉を被せる。


「早く治療院に戻った方がいいですよね?走って戻りますから、口を動かすと舌を噛みますよ」


「ぐっ…………」


 クリスを黙らせたルドは、周囲の人々が騒ぎ出す前に素早く抜けて走り去った。

 人を肩に担いでいるとは思えない身軽さで常に同じ速度で走っており、かなりの筋力と体力があることが分かる。


 それでも街中の人々から奇異の目で見られる状況であることにかわりはない。

 クリスはその視線を見なかったことにするため、目を閉じて現実逃避をした。


「これは馬だ。馬車だ。私は馬車に乗って移動している……」


 必死に自分に言い聞かせていると、思ったより早く揺れが止まった。

 クリスが顔を上げると目の前に治療院があった。


「師匠、着きました」


 治療院に入ったところでルドがクリスを肩から降ろす。そこで受付の男性が声をかけてきた。


「お疲れ様です。テオ様は二階の休憩室にいますよ」


「……あぁ、わかった」


 クリスが疲れた様子で二階へ移動する。担がれていただけなので肉体的には疲労していないのだが、精神的に疲弊していた。

 そしてクリスを担いで走ったため疲れているはずのルドは、そのような素振りは一切なく、軽く肩を回しながら平然とクリスについて行く。


 そんな対照的な二人は二階の奥にある部屋へと移動した。絢爛豪華というほどではないが、他の部屋のドアよりは明らかに良い造りのドアがある。

 クリスが軽くノックをすると部屋の中から声がした。


「どうぞ」


 ドアを開けると、そこは机と椅子、そしてソファーがあるだけの部屋だった。採光のための適度な大きさの窓に、クリーム色の壁紙、足元にはふかふかの絨毯、と華美な装飾はない。

 だが、机と椅子、ソファーは見るからに頑丈な木で造られており、職人による一点物だということが分かる。


 そんな椅子にテオは普通に座って昼食をとっていた。そんなテオにクリスが声をかける。


「食事中に悪いな」


 クリスの言葉にテオが軽く手を振る。


「こっちのことは気にしないでくれ。で、報告ってなんだ?」


「研究室で小さな爆発がおきてな。机と椅子が破損した」


「ほう?クリスが研究室で爆発を起こした?珍しいな」


 軽く驚くテオの前にルドが出てきて頭を下げる。


「自分が原因です!いや、自分が爆発をおこしました!ですので処罰は自分にして下さい!」


 潔いルドの態度にテオが笑う。


「そうは言っても君ではまだ出来ないことだからな」


 ルドがテオに詰め寄る。


「どのような処罰ですか?」


「そんなに大変なことじゃない。損壊した分だけタダ働きしろってだけだよ。机と椅子の破損具合にもよるけど、クリスなら一日、どっかの治療院で仕事をしたらノルマはクリアするだろ」


 その説明に言葉が出ないルドにクリスが言った。


「そういうことだ。おまえでは出来ないと言った意味がわかったか?テオ、スケジュールが決まったら教えてくれ」


「わかった」


 クリスが歩きだし、テオが昼食を再開しようとしたところで受付の男性が部屋に入ってきた。


「すみません。至急、診てほしいと言う人が来まして……休憩中だと断ったのですが……」


 遠慮がちに受け付けの男性が言う。その姿にルドが首を傾げた。


「緊急なら、それだけ症状が酷いってことですよね?それなのに何故、そんなに申し訳なさそうに言うのですか?堂々と治療を依頼したらいいのに」


 ルドの疑問にクリスが答える。


「大抵の治療師は規定時間以外での治療を嫌がるんだ。あいつらにとって治療は嫌々やらされている仕事だからな」


「治療師なのに?」


「そうだ。それでも神の加護があって治療魔法が使えるっていうんだからな。神が加護を与える判定基準を知りたい」


 クリスが愚痴っていると、テオが椅子から立ち上がって受付の男性に声をかけた。


「すぐ診よう。どういう症状だ?」


 二人が部屋から出て行きながら話す。


「助かります。患者は腰痛を訴えていますが、その痛み方が尋常ではないのです。何度か軍付きの治療師から腰痛の治療を受けているそうなのですが、また再発するようです」


「そうなのか。では軍の治療院から治療記録の聞き取りをしてくれ」


「今、他の受付員がしております」


 クリスが二人の後ろ姿を見ながらルドに言った。


「その中でもテオは奇特な存在だ。こうして自分のことより相手のことを第一に考える」


「それが普通ではないのですか?何故、他の治療師たちは治療をすることを嫌がるのですか?」


「研究所にいる治療師たちは研究がしたいんだ。他人のことなんてどうでもいいが、潤沢な研究費と快適な研究場所を確保するためには、定期的に治療院で治療をして結果を残すことが条件になっている。治療成績が悪いと研究所を追い出されて、地方の治療院で治療しかできなくなる。だから嫌々ながらも定期的に決められた治療院で治療をしているんだ」


「せっかく治療魔法が使えるのに治療をすることを嫌がるなんて……」


「考え方は人それぞれだ。それに治療をやりたい治療師は治療院務めをしている。治療師全員がそういう考えではない」


「そうですよね!」


 落ち込んでいたルドの声に張りが出る。クリスはそんなルドを無視して階段を降りていく。


 すると懐疑的なテオの声が聞こえてきた。


「この記録はなんだ?すごく痛がっていたのに治療する前に痛みが引いただと?本当か?何かしたんじゃないのか?」


「いえ、何もしていないのに急に痛みが引いたそうです。ですから、この人の治療をするのを嫌がる治療師もいるそうです。この痛みは嘘なんじゃないかって」


 その言葉にクリスが足を止める。


「師匠?」


「少し覗いていく」


 クリスが踵を返して建物の奥へと廊下を進んでいく。少しするとうめき声が聞こえてきた。


「ここが痛いですか?」


「あ、あぁ……くっ……」


 声を出すのもやっと、という雰囲気でとても嘘を言っているようには聞こえない。


 クリスが静かにドアを開けて部屋に入ると、老人がこちらに背を向けてベッドに寝ていた。着ている服装から軍人であり、その中でもかなり位が高い将軍位であることが分かる。

 

「では、治療をします」


 テオは老人の腰に手を当ててうつむくと祈りを始めた。


『我らを見守りし神よ。どうか、この哀れな子羊に慈悲と救いを。痛みからの解放を……』


 老人の腰が内側から光り、うめき声が消える。テオはホッとした様子で老人に声をかけた。


「どうですか?痛みは消えましたか?」


「あ、あぁ。だいぶん楽に……痛っ!」


 上半身を起こそうとしていた老人は腰を押さえながら再びベッドに沈み込んだ。


「何故だ!?治療魔法をかけたのに、どうしてすぐに痛みが出てくるんだ!?」


 驚くテオにクリスがため息を吐きながら訊ねた。


「どこに治療魔法をかけたんだ?」


 テオは腰から背骨にある古傷を指さした。


「この古傷だ。古傷が痛むことは、よくあることだ」


 その説明にクリスが呆れたように言った。


「本当にそれが原因なら今までの治療師がかけた魔法で治っているはずだ。それなのに、こんな短期間で痛みが再発しているということは、原因は他にある。治療魔法は異常状態を改善する効果があるが、かける場所を間違えれば効果はない。いや、場合によっては状態を悪化させる。どけ」


 クリスがテオを押しのけて老人の腰に手を当てる。深緑の瞳を細めてゆっくりと広範囲を撫でていった。

 その間も老人は声を出さないように苦しんでいる。職業柄のせいか相当、我慢強い人間のようだ。


 クリスは腰の右側で手を止めて訊ねた。


「赤い尿が出ることはあるか?」


「あ、赤くはないが……朱色のような色のことはたまにある」


「だろうな」


 クリスは手を放して腕を組んだ。


「さて、どうするか」


「どうしたのですか?」


「いや、治療を……」


 クリスが振り返ると、ルドがドアの近くに立ったまま、こちらを覗いていた。

 部屋に入ってこようとしないルドにクリスが首を傾げる。


「なぜ、そんな離れたところにいる?」


「いえ、自分のことは気にしないで下さい」


 ルドは平静を装いながらも、そこから動こうとしなかった。クリスはさほど気にすることなく再び視線を老人に向けた。


「治療をしたいのだが、私には不向きな魔法を使わないといけないから魔力が足りな……」


 そこまで言ってクリスは何かを思いついたかのように顔をあげて再びルドを見た。


「よし。ここに来きて屈め」


「え、あ、いや、でも……」


 近づくことを嫌がるルドにクリスが自分の隣の床を指さして強く命令した。


「来い!」


 ルドがおずおずと指示された場所に歩いていく。


「座れ」


 無言でルドが片膝を床について姿勢を低くする。


「ますます犬と主だな」


 テオが苦笑いしていると、クリスが躊躇うことなく左手でルドの赤毛を掴んだ。突然のことにルドは驚いて立ち上がりそうになったがクリスが押さえつける。

 そのためルドは声だけで抗議した。


「し、師匠!?何をするつもりですか!?」


「動くな。魔力をもらうぞ」


『は!?』


 クリスの一言にテオとルドの声が重なる。


「クリス、それはやめろ!危険すぎる!他人の魔力を体に入れて反発したら怪我では済まないぞ!」


「私を誰だと思っている?そんなヘマをするわけないだろ」


「だが……」


「師匠」


 いつもどこか落ち着きがない声をしているルドが静かに重く言った。


「いくら師匠でも、こればかりは協力できません」


 頭を下げたまま王に進言するようにルドが言葉を続ける。


「自分は魔力が大きすぎるのです。それは普通とは比になりません。師匠が少しのつもりでも、自分の魔力は師匠の体を蝕み傷つけます。どうか、考え直して下さい」


 ルドが両手に力を入れるが、全身が微かに震える。


 脳裏によみがえる記憶。この大きな魔力を利用しようと、自分の意思に反して手を出してきた大人たち。そのほとんどは傷つき、中には目の前で悲惨な最期を迎えた者もいる。


 ルドがきつく目を閉じる。そこにクリスがルドの頭を軽く撫でて手を離した。


「師しょ……」


 ルドはクリスが自分の意見を聞き入れたのだと思い、嬉しそうに顔を上げた。だが、その顔はすぐに凍り付いた。ルドの眼前にクリスの靴裏が迫っていたのだ。


「危なっ!」


 ルドが避けるとクリスは舌打ちをした。


「グダグダうるさい。これ以上、文句を言うなら気絶させて魔力をもらうからな」


「ですが!」


 クリスがルドの襟首を掴んで顔を近づける。


「おまえが誰と比べているかは知らないが、私はそんなことにはならない。それに今、治療をしないと、この者は死ぬぞ」


「死!?え?腰痛で?」


 驚くルドの襟首からクリスが乱暴に手を離す。


「死なせたくなかったら黙っていろ」


 クリスが草を引き抜くようにルドの赤毛を鷲掴みにする。ルドは髪の毛が根こそぎ抜けると思ったが、実際は魔力が抜けただけだった。


 クリスが再び老人の腰に右手を当てて宣言した。

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