第3話 先輩治療師による簡単な施設案内

 翌日。


 ルドは門の前で深呼吸をしていた。今日からここで学べると思うだけで、緊張で固まる体をほぐしているのだ。全身を覆うマントを羽織って、深呼吸を繰り返す姿は怪しいが、街から外れているため周囲に人はいない。


 深呼吸を数十回ほどしたところで、ルドはようやく門を開ける決心がついた。


「よし!」


 ルドがマントの隙間からストラを出したところで、隣を小柄な人が通り過ぎる。その人物はマントの隙間から白いストラを取り出して門にかざすと、悠々と入っていった。


 その様子を呆然と見ていたルドが慌てて追いかける。


「兄貴(マーヨルフラーテル)!待って下さい!」


 その言葉に先を歩いていた人物が実に嫌そうな顔で振り返る。


「……なんて言った?」


 できれば聞き間違いであってほしいという気持ちとは裏腹にルドは満面の笑みではっきりと言った。


「待って下さい!」


「違う。その前だ」


「……兄貴(マーヨルフラーテル)ですか?」


 ルドが純真無垢な目でクリスを見つめてくる。これが子犬や子どもなら可愛らしいのだが、相手はむさくるしいほど大きく育った青年だ。顔立ちは整っており見た目は悪くないが、年齢を考えると不相応である。


 クリスは不機嫌な声で言った。


「その呼び方は止めろ」


「え!?一晩考えたのですが、気に入りませんでしたか?」


「そんなことに一晩使うとは贅沢な時間の使い方だな」


「そうですか?」


 ルドが照れ笑いをしながら後頭部をかく。クリスは盛大にため息を吐いた。


「嫌味も通じないとは、語学力は低そうだな。とにかく、その呼び方は止めろ」


「好きに呼んでいいって言ったじゃないですか」


 素直に不満を口にするルドにクリスが再び歩きだす。


「一年したらフラーテルは解消される。そして、新しいフラーテルを組むようになる。その時にそんな呼び方をしていたら周囲が混乱するだろ」


「なるほど」


 ルドは頷いた後、少し考えてから言った。


「では、先輩と呼んでいいですか?」


「……その方がまだマシだな」


「ありがとうございます!」


 早足で歩くクリスの後ろをルドが大股でゆったりと歩いていく。対照的な歩き方だが、歩く速度は同じだ。それは単に足の長さの違いによるものだが、クリスが短足というわけではない。ルドの手足が長いのだ。

 こればかりは、しょうがないことなのだがクリスは眉間にしわを寄せて足を速く動かしていく。だが、ルドは余裕の表情で後をついてくる。


 建物の中に入り、白いドアの前に立った時には、クリスは息が上がっていた。


「大丈夫ですか?」


 息一つ乱れていないルドをクリスが睨む。


「いいから、入れ」


 ルドは部屋に入ると、昨日と同じように壁に大きな白い紙が貼られていた。


「先輩、これは何ですか?」


「少ない魔力で効率よく魔法を使うための式を考えている途中だ。他のものには触るなよ」


 そう言われてルドは部屋の中を見回した。机には無造作に積み上げられた本の山、棚にはさまざまな色の粉が入った瓶が並んでいる。


「マントは適当に置いておけ。簡単にこの建物の中を案内する」


 クリスがマントを椅子にかけ、部屋から出て行く。ルドもそばにあった椅子の背にマントをかけると急いで追いかけた。


 建物の奥に向かって廊下を歩いていると、開けた場所に出た。左右には二階へ上がる階段があり、中央には円形のカウンターがある。


「ここが、この建物の中心だ。あれは事務室で、なにか必要なものがあれば、あそこに注文するといい。大抵のものは手に入る」


 事務室というには仕切りも何もなく、中が丸見えである。そこには一人の老人がいてウトウトと舟をこいでいた。


 仕事中に堂々と寝ている老人にルドが驚いていると、クリスが説明の続きを始めた。


「左側にトイレ、右側に浴場がある。この奥は寮になっているが寮に限らず、ここでは部屋の持ち主の許可なくドアを開けるな。命の保証はないぞ」


「命……ですか?」


「あぁ。どんな研究、実験をしているか分からないからな。ある時、清掃員が勝手にドアを開けて部屋が爆発したことがある」


「爆発って、この建物まで壊れるじゃないですか!ここは攻撃魔法の研究所ではないのですよ?どういう研究をしたら、ドアを開けただけで爆発するんですか?」


「各自の部屋の床には防壁魔法陣があり、それが衝撃を吸収するから、爆発してもその部屋以外に被害はでない。そもそも、ここは変人の集まりだ。何を研究しているのか、どういうことをしているのか不明だ」


「ですが、ここは治療院研究所ですよ!傷ついた人を治す研究をしているのに……」


 納得のいかないルドを無視してクリスが歩きだす。


「上に行くぞ」


 ルドが渋々ついて行く。階段を上がると一階では事務室があった場所が壁になっていた。


「この中が食堂だ」


 少し歩くとドアがあり、室内に入るといい匂いが漂ってきた。円形のテーブルと椅子が整然と並んでいる。壁際には長テーブルがあり、その上には蓋がされた銀色の皿が並んでいた。


 クリスが無造作に蓋を取って中をルドに見せる。そこにはパンに野菜や肉を挟んだ軽食があった。


「あの鍋にはスープが入っている。他にも別の料理が入っているから、あそこにある食器に好きなだけ入れて食べたらいい。使った食器はそこに下げるように」


「好きなだけ食べられるのですか!?そもそも、どうして作りおきをしているんですか?シェフはいないんですか?」


 驚くルドにクリスが自嘲気味に笑う。


「ここにいる変人の中には人と話したくないっていう奴もいるらしくてな。勝手に取って食べたいんだそうだ。あと夜中に研究している奴も多くて、好きな時間に食べられるように考えた結果、こうなったらしい。なんにせよ、贅沢なことだよな。ここにいるやつらは研究に夢中で大して食べないのに」


「確かに贅沢ですが、治療院研究所がなければ治療師は育成されません。国がここを重要な施設だと考えている結果だと思います」


「一定数の治療師を育成して、国民に衣食住と治療を無料で受けられるようにしているからな」


「あと、この国の治療魔法のレベルが高いのも、この治療院での研究結果があるからだと思います」


 ルドの言葉をクリスが鼻で笑った。


「若返りだの永遠の命だの、無駄な研究をしているやつが多いがな」


「無駄ですか?」


「あぁ」


 クリスが食堂から出て自室へ歩いて行く。


「どうして無駄なのですか?若返りや永遠の命も治療に役立つと思います」


「確かに若返りの魔法式が発見できれば治療にも役立つ。だが、そんなものは発見されない」


「何故ですか?」


「今使われている治療魔法の魔法式でさえも、治療結果にバラつきがあるんだ。それを改善しようともせず、ただ治療魔法の構築式を頭に浮かべて、神に『助けてくれ』と願いながら魔法を発動する奴らに、それ以上の成果が出せるわけないだろ。そんな状況で、たとえ若返りの魔法式が偶然発見されても、どこまで若返るかは不明な上に、文字通り神頼みになるだろうな。そんな魔法は恐ろしくて使えん」


「では、どうすればいいのですか?」


「まずは基礎基本を理解しつくすことだな」


「それなら、基礎基本を理解すれば出来るようになるのですか?」


「それならいいが、そう簡単にいくものでもない」


 クリスが白いドアを開けて部屋に入る。


「私はそんな無駄なことに時間をかけるより、確実な方を選ぶ」


「それで少ない魔力で効率よく魔法を使う方法ですか!少ない魔力で魔法が使えたら、それだけ多くの人を治せますからね!」


 嬉しそうに言うルドにクリスが釘を刺す。


「それは使う魔法による。人を傷つける魔法であれば、それだけ多くの人が傷つく。少しは考えてから話せ」


「はい……」


 ルドが我慢するように少しだけ項垂れる。その姿を見てクリスは家にいる番犬が叱られた時のことを思い出した。


「まったく。叱ったわけではないのだがな」


 クリスは小さく呟くと話題を変えた。

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