第2話 まとめ役による理不尽な顔合わせ

『期間は一年。それが過ぎたら戻るんだ』


 頭の中で低い声が響いたが、それを振り払うように青年は頭を軽く振った。襟足だけを長く伸ばした赤髪が左右に揺れる。

 青年が顔を上げると、入る人を見下すように門がそびえ立っていた。


「やっと来ることができた」


 その声は淡々としていたが、琥珀の瞳は星のように輝いている。

 青年は興奮と緊張で震えそうになる指に力を入れ、懐から一枚のカードを取り出した。そのまま門にかざすと、カードの中心に文字が浮かびあがり静かに門が開いた。


「よし」


 青年が喜びで走り出しそうになる足を一発叩く。物心がついた頃より感情の制御は徹底的に教育されていたが、それでも抑えきれなかったのだ。

 意識しながらゆっくり歩いて門を潜る。その先には石畳みの道が真っ直ぐに伸びており、左右には背の高い木々が太陽の光を遮っていた。


 昼間なのに幽霊でも出そうな暗さに包まれた道を歩いていると、目の前に大きな建物が現れた。三階建てぐらいの高さでレンガ造りなのだが何故か窓の数が少ない。しかも、円形の見張り台のような塔まであり、戦場の最前線に建つ古城のような風格と威厳が漂っている。


 そんな不気味な建築物を前にして青年は感無量の様子で呟いた。


「ここが……」


 五年かけて父を説得し、十年をかけて祖父を説得し、その間にこっそりと猛勉強をした結果、幼い頃より憧れていた場所に立っている。


 この国では総力をあげて魔法の研究をしており、他国より抜きんでていた。その中でも、この街は王都に次いで大きく、様々な学校が集まる学問都市でもあった。

 そんな勉学の街の外れで治療魔法を中心に研究しているのが、ここ治療院研究所である。


 青年が厳しい顔をしたまま心の中で感動していると、建物の重厚な扉が開いた。


「ルドヴィクスか?」


「はい!」


 名前を呼ばれ、反射的に返事をすると同時に姿勢を正す。扉から小太りの中年男性がひょっこりと顔を出した。濃い茶髪には白髪が混じっているが、茶色の瞳は柔らかく親しみやすさがある。


 中年男性は青年を足先から頭まで見ると軽く頷いた。


「私の名前はテオドルス。まあ、簡単にテオと呼んでくれ。知っているだろうが、ここだと身分は関係ない。だから身分を表す姓は名乗らないし、聞くことも禁止されている。あと私は治療師だが何故かここのまとめ役のようなこともしているから、困ったことがあったらいつでも相談してくれ」


「わかりました。自分のことは、ルドと呼んで下さい。よろしくお願いします、テオ」


 ハキハキと答えるルドの姿にテオは軽く笑った。そのことにルドがますます姿勢を固くする。


「なにか失礼なことを言いましたか?」


「いや、そうではない。気を悪くしたなら、悪かった。君のように威勢がいい人間を久しぶりに見たと思ってね。ここにいる連中はみんな一癖あるうえに挨拶もろくにしないんだ」


「そうなのですか?」


「ここで生活していれば、そのうち分かるさ。さあ、君の兄弟(フラーテル)を紹介しよう。わからないことは彼に聞いたらいい」


 建物の中に入ったテオを追いかけながらルドが質問をする。


「フラーテルとは、どういうことですか?」


「新入りには一年ほど指導する人が付く。それをフラーテルと呼ぶんだ。彼は優秀だから、いろいろなことを学べるぞ」


「はい」


 少し歩いたところでテオが足を止めて左側を向いた。そこには白いペンキで塗られたドアがある。


 テオが軽くノックをしたが返事はない。予想通りだったのかテオは平然とドアを開けた。


「入るぞ」


 部屋に入ったテオの後に続いてルドも入る。そこで始めに目に入ったのは壁一面に貼られた紙だった。白い紙に様々な図形や呪文が書かれており、その紙の前には腕を組んで睨みつけている人がいた。


 二人が入ってきたことに気が付いていない様子の部屋の主にテオが声をかける。


「クリス、ちょっといいか?」


「なんだ?」


 振り返った人はルドと同い年ぐらいのようだが、青年というより少年のような幼さがあった。


 長い茶色の髪を一つにまとめ、詰襟の黒い服を着ている。首には腰まである長い白布をかけており、先端にはこの建物の扉にあった紋章が黄金の糸で刺繍がされている。テオも同じデザインの服を着ているが、首にかけている布は橙色で、紋章は緑の糸で刺繍されていた。


 長めの前髪に隠れた深緑の瞳が不躾にルドを見た後、テオを睨んだ。


「どうして、ここに部外者がいる?」


 テオが人当たりの良い笑顔で説明をする。


「彼はルドヴィクス。明日からここで学ぶ予定だ。そこで君にはルドのフラーテルをしてもらう。ルド、彼はクリスティアヌスだ。みんなからはクリスと呼ばれている」


 突然の紹介だったがルドは直角に腰を折って頭を下げて大きな声で言った。


「初めまし……」


「うるさい」


 ルドの大声での自己紹介が冷淡な声で斬られた。そして、氷の刃となった声がテオへと向けらる。


「私は弟(ミノルフラーテル)を取ることを許可した覚えはない。研究の邪魔だ、出ていけ」


 それだけ言うと二人に背を向けて紙に視線を戻した。


 バッサリと断られたがテオにダメージはなく、むしろ軽く思い出すように言った。


「君はここに来て何年になるかなぁ?確か十年は経っていると思うが?十年もここにいてフラーテルを経験していない人は君以外にいないぞ」


 十年という言葉にルドは内心で目を丸くした。十年前といえば、どう考えても子どもである。今のルドの年齢でもここに入れる人は少ないのに、十歳未満でここに入れたことを考えると驚異である。

 ちなみにルドはここに入るために、こっそり猛勉強していたが、さらにこの半年は専門の家庭教師をつけて勉強漬けの生活をしていた。それだけのことをして、ようやく入れたのだ。


「すごい……」


 そんなルドにとって、無意識に出た言葉は嘘偽りない感想だった。普通ならひがんだり、嫉妬したりする者もいるだろうが、ルドはそういう負の感情が少ない。素直に羨望の眼差しでクリスを見つめながらも、表情は平静を装っている。


 そんなルドの考えなど知るはずもないクリスは、背中を向けたまま不機嫌な声を返した。


「今までの新入りは『年下に教わることなどない』と向こうから拒否してきたんだぞ」


 治療院研究所に入れるだけの知識と魔法技術がある人間なら、みなプライドが高い。そのうえ偏屈な性格の者も多い。先輩とはいえ年下に教えを乞うなどあり得ないことである。


 クリスの意見は想定範囲内だったのかテオは調子を崩すことなく説得を続けた。


「確かにそういうこともあったから、今までは年齢を理由にフラーテルを免除してきた。だが、こうして君と同年代の者が入るようになったんだ。ここいらでフラーテルを経験しておくべきではないかな?それにルドは君から教わる気になっているぞ」


 ルドは琥珀の瞳を輝かせてクリスの背中を見つめている。そんなルドの様子を感じとっているのかクリスは振り返らない。


 テオは動きそうにない無言の背中に提案をした。


「それにルドは歴代一位の魔力保持者だ。君の研究にも役立つところがあると思うが?」


 その言葉にクリスの頭が微かに動く。少しの沈黙が流れた後、含みを持った声が響いた。


「……歴代一位か。確かに利用価値はありそうだ」


 長い茶髪が揺れてルドの前に深緑の瞳が現れる。ルドは平均より身長が高く、体つきも筋肉質だ。それに対してクリスはルドの肩にも背が届かず、体型も華奢である。そのためルドがクリスを見るためには自然と見下すような姿勢になる。


 クリスはルドを睨みつけながら言った。


「無駄に背が高いな。私への当てつけか?」


「え?は、あ、すみません!」


 ルドが慣れた様子で素早く床に片膝をつき、顔を上げる。それは騎士が主に忠誠を誓う姿のようだった。


 ルドの行動に目を丸くしているテオの前で、クリスは躊躇うことなくルドに蹴りを入れた。


「誰がそこまでしろと言った?さっさと立て!」


 そういうとクリスは後ろを向いた。一方的に理不尽な扱いをされたが、ルドは慌てて立ち上がり弁明をする。


「すみません!生まれつき体が大きかったため、背も高くなりまして、こればっかりはどうすることも……あ!もし、オレ……いや、自分の背が目障りなら膝をついて歩きます!」


 名案とばかりにルドが目を輝かせて提案する。その様子をクリスは見ていないのだが雰囲気で感じ取り、軽くため息を吐いて言った。


「そこまでしなくていい。私の名はさっき聞いたな?呼び方は好きにしろ。明日は朝食を食べ終わったらここに来い」


「はい!」


 ルドが嬉しそうに頷く。


 そんな二人の姿を見て、テオはルドとクリスの関係を犬とその飼い主のようだと思った。犬がご主人に褒められて尻尾を大きく左右に振っている光景が浮かんだのだ。実際にルドの長く伸びた部分の髪がふよふよと浮かんで左右に揺れている。


 テオはルドの将来を案じながらも、そのことは顔に出さずに言った。


「よし、次に行くぞ。渡すものがある」


 テオがそう言って早々に部屋から出て行く。


「はい。失礼しました」


 ルドが一礼をして部屋から出て行ったが、クリスが振り返ることはなかった。





 テオが歩いてきた廊下を戻っていく。入ってきた重厚な扉が見えたところで右側にある橙色のドアを開けた。


「ここは私の部屋だ。遠慮せずに入ってくれ」


 テオは部屋に入ると机の上に置いていた服一式をルドの前に出した。


「白のストラを渡せて良かった。フラーテルは同じ色のストラをするのが伝統なんだ。一年経ってフラーテルを卒業したら君の色のストラが渡される」


 テオが白い布を広げて見せる。それはクリスが首にかけていたものと同じものだった。


「君は寮ではなく家から通う予定だったな?」


「はい。祖父の家が近くにあるので、そこから通います」


「そうか。入り口の門はストラの紋章をかざせば開く。あと、この服を着ていないと部外者とみなされて追い出されるから気を付けるように」


 そこでルドはクリスが自分のことを部外者と言ったことを思い出した。どうやら、ここでは個人の顔ではなく服で関係者かどうかを判別しているようだ。


「わかりました。気を付けます」


「今日はこれで終わりだ。明日からはクリスに付くように。もし何か問題があったら、いつでも私に相談してくれ」


「はい!」


 ルドが勲章を受け取るかのように姿勢を正して差し出された服を受け取った。その様子にテオが苦笑いをする。


「もう少し気楽にしろよ。じゃあ、また明日な」


「はい!失礼します!」


 ルドは直角に礼をして部屋から出て行った。

 廊下に出たルドは周囲に誰もいないことを確認すると、渡された服を思いっきり抱きしめた。そして軽い足取りで帰宅したのだった。

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