第4話 治療師にむかない後輩による真っ直ぐな決意表明

 クリスは落ち込んだルドを放置して話題を変えた。


「ここでは自分の好きな研究と実験が出来るが、そのためにはしなければいけない義務がある」


 その話にルドが勢いよく顔を上げる。


「町や村にある治療院への定期出張ですね!」


 顔は真顔のまま琥珀の瞳がキラキラと輝いている。


「……なぜ、そんなに嬉しそうなんだ?」


「え?あ、嬉しそうでしたか?」


「あぁ」


「すみませんでした!」


 ルドが腰を直角に曲げて勢いよく謝る。


「いや、別に悪いとは言っていないぞ」


 クリスの言葉にルドは一瞬キョトンとした後、何かを思い出したような顔をして落ち着いた声で言った。


「あ、はい。すみません」


「で、なんでそんなに嬉しそうなんだ?」


 クリスの質問にルドは平静を装いながらも目を輝かせて答えた。


「傷ついて困っている人を助けることに、ずっと憧れていたんです。いつか自分で治療したい、助けたい、と。それを実際に見て学ぶことが出来ると考えると…………」


「そうか、そうか。夢が叶うことに感極まっているのか。良かったな」


 感情がない棒読み同然のクリスの言葉だったが、ルドは口元を緩ませて嬉しそうに頷いた。


「はい!」


 喜びを抑えようとしながらも抑えきれず、溢れだす純粋な笑み。見えないはずの後光に守られた穢れない笑顔に対して、クリスは無意識に顔を逸らした。


「治療院の見学は明日する。今日はそこにある本を全て読んで頭に叩き込め」


 そう言ってクリスが指差した先には分厚い本の山があった。


「……すべて、ですか?」


「そうだ。さっき話した基礎基本の一部だ。最低でも、そこにある本の内容ぐらいは理解しておけ。治療魔法を教えるのはそれからだ」


 クリスは断言すると壁に貼っている紙の前にある椅子に座った。


「あ、あの、どれから読んだらいいですか?」


「それぐらい自分で考えろ。私は集中するから声をかけるな」


 そう言うとクリスは紙を睨みながら、何かブツブツと呟き出した。


「…………ここから魔力を増幅させるために、あの式を…………いや、あれだと反発するな。反発させないためには…………」


 クリスが研究に没頭したため、ルドは本の山に視線を移した。本を読むのは苦手ではないが、さすがにこの量は気が滅入りそうになる。


 だがルドは意を決して一番上にあった本を手に取った。すると、それは魔法を使う人間なら必ず読む基礎魔法の本だった。火や水などを出す式や、植物を成長させる式などが羅列してある。


 当然、読んだことがある本だったため、その本を置いて次の本を見た。すると魔法とは関係のない医学の本だった。戦場で傷ついた時、治療魔法が使えない人でも出来る応急処置の方法などが載っている。

 この本も読んだことがあるためルドは次の本を見た。しかし、それも読んだことがある本だったため、また次の本へと移った。


 こうして次々と本の中身を確認していくが、読んだことがある本ばかりで、予想よりも早く本の山が消化されていく。

 ルドは最後の一冊を見たが、それも読んだことがあるものだった。


「先輩、本のことですが……」


 ルドは声をかける途中で思わず黙った。クリスは膝の上に紙の束を置いて何かを書きなぐっていたのだが、その様子が鬼気迫っていたのだ。

 黙々と書き続けるクリスの背中には無言の迫力があり、容易く声をかけられない。と、いうか邪魔すれば殺すという殺気にも似た気配が全身を覆っている。


 膝の上に置いている紙一面に魔法式を書くが「違う」と言っては床に落としていき、クリスの足元に無造作に散らばっていく。

 終わりが見えない作業にルドが諦めの言葉を口にする。


「仕方ない」


 ルドがこのまま大人しく待つことを決めたところで、突然紙の束が宙を舞った。


「え!?」


 驚くルドの目の前ではクリスが両手を上げて紙の束を真上に放り投げていた。


「詰んだ!」


「は?え?つんだ?」


 ルドが首を傾げていると、クリスが荒々しく椅子から立ち上がり一歩前に出た。


「もう一度、始めから考え直しだ」


 クリスが壁に貼っていた紙を勢いよくはがしてルドに押し付ける。


「捨てておけ」


「え?いいのですか?」


「あぁ。破いて燃やしておけ」


「あ、はい」


 ルドが紙を受け取ると、クリスは俯いてブツブツと考え始めた。


「どこがいけなかった?考え方がいけないのか?いや、そこは合っているはずだ」


 考え込むクリスを眺めながらルドは破るように言われた紙を見た。そして、そこに書かれている魔法式をつい読んでしまい……


 ルドと紙の間に小さな火花が起きて、そのまま爆発した。


「げほっ、ごほっ」


 埃が舞う中、クリスが体を起こそうとして起き上がれないことに気が付いた。


「なんだ?」


 クリスが顔を上げると眼前に琥珀の瞳があった。お互いの吐息がかかるのでは、というほど二人の距離は近い。ルドの長く伸びた襟足の赤毛が、クリスの顔の横に垂れている。鍛えられた体が小柄なクリスの体をスッポリと覆っていた。


「先輩、怪我はありませんか?」


 爆発からルドが体を張って守ったため、クリスは傷一つなかったが、別の意味で動けなくなっていた。


 深緑の瞳を丸くして硬直しているクリスにルドが心配そうに声をかける。


「大丈夫ですか?動けますか?」


 クリスは状況を把握して慌てて体を動かした。


「おまえが邪魔で動けないんだ!さっさとどけ!」


「あ、し、失礼しました!」


 ルドが素早く飛び退く。クリスは立ち上がると体についた埃を払った。


 机や椅子は部屋の端に吹っ飛び、棚の瓶は床に落ちて転がっている。瓶が割れていないのは棚の下に柔らかい絨毯が敷いてあり、それがクッションとなったからであった。


「どうして、こうなった?」


 怒りを含んだクリスの問いにルドが反射的に姿勢を正し、直立状態で答える。


「紙に書いてあった魔法式を読んだら火花が発生し、そのまま爆発しました!」


「あれを読んだ?それだけか?」


「はい!」


 普通なら声が小さくなったり、言い訳をしそうになる場面だがルドはハキハキと答えた。まるで、どんな処分でも受ける覚悟ができているような潔さがある。


 クリスは深くため息を吐いた。


「いや、私の管理が甘かった。魔力が大きいお前が魔法式を読めば無意識に式が発動する可能性があった。それぐらい予測範囲内だったのに、無造作に渡した私の落ち度だ」


 クリスは部屋全体を見回すと両手を胸の前で組んで言った。


「壁や備品が破損している……これは処罰レベルだな。仕方ない、報告に行くぞ」


「は、はい!」


 部屋を出たクリスをルドが慌てて追いかける。


「先輩!処罰とは?」


「お前は気にするな。私一人で十分事足りる」


「そんな!自分が原因なんですから、処罰なら自分が受けます!」


「処罰といっても、大したものではない」


 クリスは治療院研究所の入り口近くにあるオレンジ色のドアをノックした。だが返事はない。


 ルドが目を細めて室内の気配を探りながら言った。


「誰もいないようですね。テオに用事があるのですか?」


「あぁ。まあ、テオは研究所にいるほうが少ないからな」


 そう言うとクリスは来た道を返った。そのまま自室の前を通り過ぎて事務室へと行く。すると、そこには先ほどの老人ではなく若い少年がいた。


 クリスが声をかける前に少年が挨拶をする。


「おはようございます、クリスさん」


「おはよう、ニコ。今日のテオのスケジュールはどうなっている?どこかの治療院か?」


 ニコと呼ばれた少年がカウンターの下から分厚い本を取り出す。そしてページをめくって頷いた。


「はい。今日は教会の近くにある治療院に一日いる予定になっています」


「中心部にある教会の近くか。少し遠いな」


「馬車をまわしますか?」


「そうだな。頼む」


「はい」


 少年が通話機の前に移動して会話を始める。


「行くぞ」


 颯爽とクリスが歩きだす。ルドは小走りで追いかけながら訊ねた。


「先ほどの少年は?」


「今朝いたヘンリ爺さんの孫のニコだ。事務室には昼間はニコで、夜間はヘンリ爺さんが事務員をしていることが多い。たまに他の人間が事務員をしていることがあるが、それは二人の親族だ」


「そうなのですか。先ほどの事務員は通話魔法が使えるのですね」


「他所から至急の連絡があったり、急遽で取り寄せて欲しいものがあったりするからな。事務員は最低でも通話魔法が使えることが条件になっている」


 魔法を使うには魔力が必要なのだが、その性質、保有量は個人差が大きい。そのため魔法が使える人はさほど多くない。そして使える魔法も魔力の性質との相性があるため、自然と限られてくる。そのため使いたい魔法が必ずしも使えるとは限らないのだ。


 クリスはふと思い出したように言った。


「お前はどの系統の魔法と相性がいいんだ?」


「そ、それは……」


 言葉を詰まらしたルドの顔を見ることなくクリスが頷く。


「先ほどの爆発を考えると攻撃系か。治療系とは真反対だな」


「……はい」


 明らかに暗い影を背負った返事にクリスがとどめを刺す。


「向いていないな。治療魔法は神の加護が大きく影響される。人を攻撃する魔法が得意な時点で神からの加護は少ない。そんな状況では、まともな治療魔法は使えないだろう」


 クリスの後ろをついてきていた足音が止まる。だがクリスは足を止めることなく歩いていく。


 クリスが建物の扉に手をかけたところで声がした。


「……ない」


 無言でクリスが扉を開けると大声が響いた。


「諦めない!向いてなかろうと、オレは治療魔法を使えるようになりたいんだ!そのためだったら、なんだってする!」


 クリスが振り返ると、ルドが両手を握りしめて真っ直ぐに見つめてきていた。

 赤髪は逆立ち、琥珀の瞳は強く輝いている。戦場の最前線に立ち、今から敵将の首を獲ろうとしているかのような気迫。普通なら腰を抜かすほどの圧力があるが、クリスは平然と受け止めて軽く笑った。


「なら、ついてこい。魔法で治療が出来るようにしてやる」


 そう言うとクリスは建物から出て行った。


「へ?あ、ちょっ、待って下さい!先輩!」


 ルドが出た後、扉は静かに閉まった。

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