第5話 後輩による不本意な呼び方
治療院研究所から出てきた馬車は人通りが少ない道を走っていた。民家の数も少なく閑散としており、治療院研究所がいかに街から外れた場所にあるのかがよく分かる。
そんな風景も少し走ると徐々に建物が増え、道を歩く人とすれ違うようになり、街らしい賑わいを見せ始めた。馬車は露店が並ぶ大通りを抜け、教会の近くにある大きな二階建ての建物の前で止まる。
クリスは馬車から降りると御者に声をかけた。
「帰りはまた連絡する」
「わかりました」
馬車が大きな音をたてながら離れていく。そこに元気な声が響いた。
「クリス兄ちゃん!」
「今日はクリス兄ちゃんの日か?」
「じいちゃんがクリス兄ちゃんに診てもらいたいって言ってたぞ!」
近くで遊んでいた子どもたちが集まってくる。そして、その声に大人たちが次々と顔を上げて反応した。
「クリス様だって?」
「何を言っているんだ?今日は当番じゃないだろ」
「あ、いや、本当だ!クリス様だ!」
「おい!クリス様がいらしたぞ!」
大人たちがざわめく中、果物を持った中年男性が子どもたちを押し退けてクリスの前まで駆け寄ってきた。
「クリス様!おかげ様であれからまったく痛みが出なくなりました!他の治療師だと数日したらまた痛みが出てきていたのですが、本当にクリス様のおかげで楽になりました!あ、これどうぞ!うまいですよ!」
そこに買い物かごを持った若い女性が現れる。
「私もクリス様のおかげで傷あとも残らず、キレイに治りました!他の治療師だと、こうはいきませんよ!これ食べて下さい!」
そう言って若い女性がカゴに入っていたパンを差し出す。それを見ていた他の大人たちが我も我もと集まってきた。
「クリス様、ぜひこれも!」
「これ、受け取って下さい!」
次々と人々が集まり、あれやこれや渡そうとしてくるが、クリスは受け取る様子なく真っ直ぐ歩いていく。そのため人々はクリスの後ろにいるルドに押し付けた。
「これ、クリス様に渡しといてくれ」
「頼んだぞ!」
「は?え?ちょっと、持ちきれないです!」
ルドの悲鳴を無視して大人たちが差し入れを次々とルドの腕の中に入れていく。
ルドを生け贄にしたクリスは平然と建物の中に入っていった。すると入り口の横にある受付の男性が声をかけてきた。
「あれ?クリス様の治療日はまだ先ですよね?どうかされたのですか?」
「テオに報告がある」
そう言いながらクリスが受付の奥を見る。治療待ちの人で椅子は半分ほど埋まっていた。
「思ったより盛況だな」
「はい。午前の予約は一杯になりました」
「急用ではないし、昼休みに報告するか」
「急ぎでないなら、それがいいと思います。クリス様が来られたことは伝えておきますので、少し早いですが昼食を食べてこられたら、どうですか?」
受付の男性の提案にクリスがあっさり同意する。
「そうするか」
クリスが建物から出て行く。ルドは両手を埋め尽くしているクリスへの捧げものを受付台に置いた。
「あの、これ預かっていて下さい。先輩!待って下さい!」
ルドが追いかけようとして、すぐに足を止めた。クリスは建物を出てすぐに人に埋もれていたのだ。
先ほどはすぐ目の前にある治療院の中に逃げ込めたが、今回は人混みの中を突き進まなくてはいけない。だが、標準より少し小柄で華奢な体型のクリスには難しいことだった。
どうにか真っ直ぐ進もうとしているのだが、気がついた時には人に囲まれ身動きがとれなくなっていた。
人波に溺れているクリスの頭をルドは見つけると、大きな体を生かして人をかき分けて目的地に到達した。そしてクリスの両脇に手を差し込むと、ひょいっと肩に担ぎ上げた。
まるで荷物のように肩に担がれたクリスを見て周囲にいる人々から非難の声があがる。
「クリス様に失礼だろ!」
「誰だ!?」
「見かけない顔だな」
「何者だ!?」
大勢の人に詰め寄られながらもルドが平然と答える。
「弟(ミノルフラーテル)です」
予想外の回答にその場にいた人たちの声が一斉に重なった。
『弟(ミノルフラーテル)!?』
そこにクリスが大声で訂正をいれる。
「見習いだ!こんな図体のでかい弟がいてたまるか!」
その言葉に人々が納得する。
「あぁ」
「弟にしては似てないもんな」
「そうだよな」
「それにしても、見習いかぁ」
「せめてクリス様の足元におよぶぐらいにはなれよ!」
「そうだな。他の治療師はクリス様の足元にもおよばないから」
「頑張れよ!」
今まで敵意むき出しだったのに、一転して好意的な視線がルドに集まる。だがルドは少しうつむいてブツブツと考えだした。
「見習い……見習い……」
そんなルドに老人が穏やかに声をかけた。
「クリス様を師にできるなんて幸運だぞ、若者。しっかり学ぶんだぞ」
ルドが琥珀の瞳を輝かせて頷く。
「そうか!師匠だ!」
虹がかかった空のように晴れやかな顔をしているルドに対して、クリスの顔は今にも嵐がきそうなほど曇る。
「その呼び方は、やめろ!」
「いえ!こればっかりは譲れません!」
「いいから、やめろ!」
「自分は師匠の一番弟子です!」
「だから、やめろ!」
「いやです!」
「やめろと言っているだろ!」
「もう決めました!」
二人がもめていると、意外にも周囲の人たちがルドの味方となった。
「いいじゃねぇか」
「クリス様なら弟子の一人や二人ぐらいいてもおかしくないもんな」
「弟子一号!がんばれよ!」
「はい!」
ルドは外見も良く快活で好青年に見えるため、あっさりと街の人に受け入れられていた。その光景にクリスが肩に担がれたまま脱力する。
「……とにかく下ろせ」
「下ろしたら、また囲まれて動けなくなりますよ?」
ルドの指摘にクリスが言葉に詰まる。ルドは近くにいた中年男性に声をかけた。
「昼ごはんを食べたいのですが、どこかお勧めの店はありませんか?」
「おう!それなら、この通りをまっすぐ行った先にある赤い屋根の『ロ・マノ』っていう飯屋がいいぞ。そこの料理はどれも美味いからな」
そこに中年の女性が割り込んできた。
「そこより、あっちの通りの『ラ・ピューレ』っていうパン屋の方がいいわよ。あそこはパンも美味しいけど、スープもいい味しているんだから」
「いや、いや。昼飯なら北口にある『セダン』だろ。安くて量が多くて味も良い。この三拍子がそろった店はなかなかないぞ」
「安くて美味いなら東門の……」
街の人たちが白熱した議論を始める。ルドはクリスを担いだまま静かにその場から離れた。
すぐに人通りが少ない細い路地に入り、そのままスタスタと歩いていく。クリスは肩で揺られながらルドに訊ねた。
「で、どこで食べるんだ?」
「近くに良い店があるので、そこに行きます」
「始めから、その店に行くつもりだったのか?なら何故、お勧めの店を教えてくれと言った?」
「この近辺は美味しい店が多くて、みな馴染みの店を持っていますからね。そういう話になると夢中で勧めてくるんですよ」
「で、その間に逃げ出す、と。意外と策士だな」
「これぐらい普通ですよ。ここです」
ルドが肩からクリスを下ろす。そこは細い裏路地の途中で、建物に挟まれているため薄暗かった。看板もなく、ドアは普通の民家と同じものだ。とても店には見えない。
クリスが訝しんでいるとルドがドアを開けた。
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