第6話 こだわりシェフによる優雅なランチとお国事情

 ルドが慣れた様子でドアを開けながら、明るい声で呼び掛けた。


「こんにちは」


 薄暗い路地から建物の中に入ると、そこは意外と明るかった。

 壁には大きな窓があり、太陽の光が自然の照明となって部屋を照らしている。窓から見える中庭は綺麗に剪定がされており、季節の花々で彩られていた。この庭だけでも一見の価値があるほどだ。


 そして室内には丸いテーブルが並び、真っ白なテーブルクロスがかけられている。その中心には庭に咲いている花が一輪、細長いグラスに活けられており、店主のセンスの良さが光っていた。


 クリスが外観との違いに驚いていると店の奥から男性の声がした。


「その声はルドか?久しぶりだな。好きなところに座ってくれ」


「はい」


 ルドが近くにあるテーブルの椅子に座る。クリスは向かいにある椅子に腰を下ろした。


 そこにウエイトレスの服を着た女性がグラスや食器をのせたトレイを持って現れた。


「久しぶりね、ルド」


 女性が水の入ったグラスをテーブルに置く。そのことにクリスが疑問の視線を向けた。


「まだ注文していないが?」


 普通は注文をしてから飲み物が出てくる。女性は少しだけ眉を寄せてすまなそうに言った。


「何か飲みたいものがあった?ここでは始めに料理に使う水を味わってもらうの。それから今日の料理に合わせた飲み物を持ってくるわ」


「飲み物が決められているのか?苦手な飲み物だったら、どうするんだ?」


「その時は他の飲み物か水にするから。二人ともアルコールは大丈夫?」


 ウェイトレスの質問にクリスが首を横に振った。


「悪いがアルコールは飲まないことにしている」


「自分も今は勉強中なので止めておきます」


「あら、そうなの。じゃあ、シェフにアルコール以外で料理に合う飲み物を選ぶように伝えておくわ」


「お願いします」


 慣れた様子のルドにクリスが声をかけた。


「ここは独特なルールがある店のようだな」


「はい。この店はちょっと変わっていて、ここの料理はシェフがその日に入った食材で決めます。なのでメニューはなく、飲み物からデザートまで全てシェフにお任せとなります」


「そういうことか。なかなか面白いな」


「シェフこだわりの料理ですから、どれも美味いですよ」


「ほう?それは楽しみだ」


 二人が会話をしている間に女性がスプーンとナイフとフォークを並べる。ルドはさりげなく女性の耳に顔を近づけると小声で言った。


「オレがここに来たことは、うちの連中には言わないで下さい」


「あら、訳あり?なら、シェフにもそう伝えとくわ」


 そう言って笑顔で頷くと、女性は余計な詮索をすることなく店の奥へと戻っていった。


 クリスがグラスの水を口に含む。そして、ゆっくりと味わうと少しだけ深緑の瞳を大きくした。


「これは、どこの水だ?臭みもないし、まろやかだ。こんな水はなかなかないぞ」


 水は生ものであり環境が悪ければ生臭かったり、濁っていたり、腐っていることもある。


 素直に驚いているクリスにルドも賛同した。


「自分も知りたいのですが、教えてもらえないんですよ」


「この水で作った料理というだけで期待できるな」


「はい。期待して下さい」


 ルドはまるで自分が料理を作るかのように自信満々に答えた。




 少ししてウェイトレスができたての食事を運んできた。


「季節の野菜スープよ。上にのっている花も食べられるわ」


 上品にカッティングされた色鮮やかな旬の野菜の上にちょこんと薄い紫色の花が一輪のっている。この花は今の季節の代名詞に使われるほど有名だった。


「この花が食べられるとは知らなかったな」


 普通なら本当に食べられるのか疑いそうなところだが、クリスは戸惑うことなく花だけをスプーンですくって口に入れた。


「……塩漬けにしているのか。ほのかに花の甘味と風味を感じる」


 それからスープを飲んだクリスは眉をひそめた。


「失敗したな」


 その言葉にルドが焦る。


「な、なにか口に合いませんでしたか?」


「この花はスープと一緒に食べるべきだった。花の塩分がスープの旨味を引き立たせ、またスープが花の風味をより一層活かす役割をしていた」


 心の底から悔しそうに話すクリスにルドが苦笑いをする。


「それは知らなかったんですから仕方ないですよ。次にこのスープを食べる時は気を付けましょう」


「だが、その日によってメニューが違うのだろ?またこのスープが食べられる保障はどこにもないぞ」


「そ、それは……」


 ルドが返事に困っているとウェイトレスが助け船を出した。


「今の季節なら、その花を使ったスープを作ることが多いから、何度か通えば同じスープが食べられると思うわ」


「そうなのか。では通うことにしよう」


「ぜひ、そうして下さい!」


 嬉しそうに言うルドを無視してクリスがスープを食べる。その所作は普段のクリスの素っ気ない態度に反して繊細かつ優雅で、ルドは思わず手を止めていた。


「どうした?食べないのか?」


 あっという間にスープを食べ終えたクリスに言われてルドが我に返る。


「食べます!食べます!」


 ルドが慌てて食べ始める。そんな二人を眺めながらウェイトレスは次の料理を運ぶために調理場へ戻っていった。




 スープから始まった料理は野菜、魚、肉、とボリュームもたっぷりなフルコースだったが、クリスはあっさりと食べきった。


 自分より小柄な体型のクリスが先に食べきったことに驚きながらも、ルドは顔に出さずに言った。


「師匠って意外と食べるんですね」


「これぐらい普通だろ」


「そうですか?」


 ルドは使い終わったフォークとナイフを音をさせずに皿の上に置いた。体格が良く大雑把そうな外見のルドだが、食事を食べる動作は綺麗で意外にも上品であった。


 だが、そのことには触れずクリスは今食べた料理を思い返した。


「どの料理も良かったが、まさか焼きたてパンが食べられるとは思わなかった」


 一般の飯屋だとパンは他所から買ってくるか、朝大量に焼いて置いておくため、昼には冷めている。

 だが、ここのパンは料理に合わせて焼き上げているので、小麦とバターの風味が湯気とともに感じられた。


 満足そうなクリスにルドが喜ぶ。


「そうなんですよ。師匠には是非ここの料理を食べてもらいたかったんです」


「飲み物が緑茶というのも良かった。あの渋味が前に食べていた料理の味を消すから、次に出てきた料理の繊細な味がよくわかった」


「師匠って食通なんですね。緑茶ってあまり知られていないんですけど」


 紅茶は高級品であるが、それ以上に緑茶は高級品である。生産量が少ないため入手困難な代物であり、一般には知られていない。そんな緑茶をさらりと普通に出す店も店だが。


 クリスがふと中庭に視線を向けた。


「いい店だな」


「はい」


 ゆったりとした時間が流れている二人の前にケーキがのった皿と紅茶が現れた。


「嬉しいことを言ってくれるね」


 この店に入った時に聞いたのと同じ男性の声にクリスが顔を上げる。すると、そこには初老の男性がいた。グレーの髪をなでつけ、目じりに入ったシワがナイスミドルを演出している。


「お久しぶりです、シェフ。今日の料理も美味しかったです」


「そうか。それなら良かった。坊も相変わらず素直に真っ直ぐ育ってるようだな」


 シェフが二人の間に果物が入った皿を置く。


「これはサービスだ」


「ありがとうございます」


 ルドが礼を言うと、クリスも軽く頭を下げた。


 シェフはクリスの顔を見て軽く笑った。それは相手を軽んじているのではなく、見守るような優しさと年齢を重ねた渋みがある。


「どうかしましたか?」


 ルドが訊ねるとシェフは悪戯っぽい視線を向けた。


「いや、ルドが連れて来たって言うから、どんないい人かと思ってな」


「師匠は素晴らしい人です!」


 ルドの発言にクリスは口に入れたばかりのケーキを吹き出しかけた。


「だから、その呼び方は止めろと……」


「ほう?随分と若い師匠なんだな」


「そうなんです!この若さで師匠はすごいんです!」


「そうか、そうか」


 嬉しそうにシェフが頷く。


「じゃあ、今度はすごい彼女を連れて来いよ」


「か、彼女!?じょ、女性と一緒に来いというのですか!?そんな、自分にはまだ……」


 顔を真っ赤にしたルドにシェフが声を出して笑う。


「坊にはまだ早かったか!純情なのも変わらないな。そろそろ縁談の話も出てくるだろうに」


 ルドはちらりとクリスを見たあと、すぐに視線をシェフに戻した。


「そういう話は今しないで下さい」


「そうか?坊の顔なら相手なんてより取り見取りだろ。お連れさんもそう思うよな?」


 クリスはケーキを食べ終えて果物に手を伸ばしていた。


「師匠に変な話を振らないで下さい!」


 慌てるルドとは反対にクリスは淡々と言った。


「そういう話は興味がない……これは、なんというの果物だ?見たことがないし、なにより甘い」


 一口サイズに切られたオレンジ色の果物をクリスが物珍しげに眺める。


「あぁ、それはバナンナ島という南方の島で採れたマンゴーという果物だ」


「聞き覚えがない島だな。その島はどこにあるんだ?」


「そこは最近、我が国の領土になったんだ。南国でいろんな果物があるらしい。もう少ししたら、見たことがない果物が市場に並ぶようになるよ」


「そういうことか」


「我が国の勢いはすごいからな。戦争でいくら兵が傷ついても治療師がすぐに治すし、なんと言っても無敵の魔法騎士団がいる。しかも、その中には死者(アンテッド)を斬り倒せる騎士がいるらしい。冷血な大男という話だが、その騎士がいれば死者使いの国にも負けることはない」


 シェフの言葉にクリスが片眉を上げる。


「死者(アンテッド)は治療師の治療魔法でないと倒せないのではないのか?」


「今まではそう言われてきたが、その騎士は別格らしい。もちろん死者(アンテッド)専門の治療師もいる。我が国の魔法騎士団に死角はないよ」


 クリスが興味なさそうに呟く。


「どこまで領土を拡大するつもりなんだか」


「王は大陸を統一するつもりなんだろう」


「そうなんですか?」


 驚くルドにシェフが肩をすくめる。


「そういう噂さ。あと奴隷も増えているだろ?貴族連中が遠くから珍しい姿をした奴隷や、特徴がある奴隷を競うように連れてきて自慢しているんだ。まあアクセサリーみたいなものだな。他にも奴隷がいないと生活が成り立たないやつらもいるし。あと、そのせいか奴隷の誘拐事件まで起きてるらしい」


「奴隷の誘拐事件ですか?」


 ルドの質問にシェフが目を丸くする。


「おや、初耳かい?最近、奴隷が誘拐される事件が頻発しているんだよ。連れ去られるところを何回か目撃されている」


「それならすぐに解決すると思いますが」


「それが不思議なことに、目撃者は誰も誘拐犯の顔を覚えていないんだ。あと止めようとしたが、体が動かなかったって話もある。まあ、これは目の前で突然誘拐されたから体が反応しなかっただけだろうけど」


「そうですか……」


 ルドが顎に手を置いて考えていると、フルーツを食べ終えたクリスが立ち上がった。


「そろそろ時間だ。会計を頼む」


「あ、師匠。ここは自分が払います」


 急いでケーキを食べ終えたルドが立ち上がるが、それより早くクリスは財布から金貨を取り出した。


「これで足りるか?」


 ルドが項垂れるように頭をさげる。


「それだと金額がでかすぎて釣りが準備できません。ここは自分に払わせて下さい」


「別に釣りはいらないから、これでいいだろ。おまえの分もこれで払えばいいし」


「そういう問題ではないです」


「では釣りはチップにすればいい」


「どれだけチップを払う気ですか!?とにかく、自分に払わせて下さい!」


 叫ぶルドにシェフが笑いながら声をかけた。


「じゃあ、また食べに来てくれ。その時までに釣りを準備しておく。これでどうだい?」


「私はかまわない」


「いや、ここは自分が……」


 ルドの言葉をシェフが容赦なく切り捨てる。


「なら決まりだな」


「美味かった。また来る」


 クリスがドアを開けて出て行く。


「師匠!待って下さい!ごちそうさまでした!また来ます!」


 ルドが慌てて追いかける。そんな二人をシェフとウエイトレスが穏やかに見送った。

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