第27話 勉強熱心な弟子による愚直な行動

 翌朝。


 いつもならクリスが治療院研究所に行く時間なのだが、今日は当人が謹慎中のため屋敷は不気味な静けさに包まれていた。


 仕事中毒と言っても過言ではないクリスは、周囲がいくら休めと言っても仕事や用事をいれて休まない。そのため、ここぞとばかりに使用人たちは誰もクリスを起こさず、いや起こさないように、一丸となって静かに仕事をしていた。


 そんな静寂を突き破るかのような大声が突如響いた。


「おはようございます!」


 ルドの声に、必死でクリスの安眠、休養確保をしていた屋敷がざわつく。自分たちの努力を一声で壊された使用人たちが殺意を持って玄関に集まってきた。


 カリストは使用人たちに、指示を出すまで動かないように、と指示を出してからルドを出迎えた。


「おはようございます。朝早くから、どのようなご用件でしょうか?」


 丁寧ながらも冷気と殺気を含んだ視線にルドがたじろぐ。


「いや、あの、師匠からお借りした本で分からないところがあったので……」


「クリス様は連日の仕事で疲労しております。謹慎中でなければ休むことなどしない性格であることは、朝早くから押しかけてくるような非常識な意識をお持ちのあなたでも分かりますよね?」


 処罰である謹慎を利用してでも休ませなければ休まないのに、なにノコノコと来て休養の邪魔してやがる!

 と、言わんばかりの気配をルドは柱の影や壁の後ろから刺すように感じた。

 ルドが直角に腰を折って頭を下げる。


「自分の思慮が足りず、すみませんでした!」


 その姿にカリストを始め、隠れて様子をうかがっていた屋敷の使用人たちが呆然とする。この国の人間が堂々と自分の非を認め、奴隷である使用人に頭を下げるなど考えられないことなのだ。


 ルドはおずおずと顔を上げてカリストに訊ねた。


「あの、師匠は起きてしまわれましたか?」


「わかりません」


「自分は昨日の部屋で調べものをさせてもらいたかったのですが……」


「では、ご案内いたしましょう。ラミラ」


「はい」


 茶色の髪をまとめたメイドが柱の影から現れる。


「客人を案内して下さい」


「はい。こちらへどうぞ」


 ルドが案内されるまま歩いていく。その姿を見送ったカリストはため息を一つ吐いて上を見上げた。


「起きてしまわれたでしょうね。あなたたちは仕事に戻りなさい」


 隠れていた使用人たちがバラバラと散っていく。カリストは主の起床の準備をするためキッチンへと移動した。





 濃く淹れた紅茶の匂いを漂わせながら廊下を歩く。カリストは主の部屋の前で足を止めると、軽くドアをノックした。


「入れ」


 いつもはない返事があったことでカリストが軽く眉をよせる。

 カリストは視線だけで周囲を確認するとドアノブを握った。


「失礼します」


 言葉をかけると同時に素早く部屋の中に入る。カリストが後ろ手でドアを閉めると、主がベッドの上で頭を無造作にかいていた。

 長い金髪の隙間から深緑の瞳が気怠そうに見上げてくる。


「犬は朝から元気だな」


「申し訳ございません」


「別にいい。そろそろ起きようを思っていたところだ。それより結界を張っていたことに気付かれてはいないな?」


「はい。正面から入ってきたので、すぐに対応することが出来ましたから、気付かれていないと思います」


 主はカリストから紅茶を受け取ると、ゆっくりと口をつけた。


「普通の屋敷は結界など張っていないからな。気付かれたら説明が面倒だ」


「はい。ところで朝食はいかがなさいますか?」


「軽く食べる。犬の相手は誰がしている?」


「ラミラがしております」


「では、しばらくは任せられるな」


 カリストがべっ甲の櫛を取り出して主の金髪をとかす。櫛を通った髪は茶色になり、四方八方に飛んでいる毛先が大人しくなっていく。


 その様子を眺めながらカリストはため息を吐いた。


「髪を乾かしてから寝て下さい。せっかくの美しい髪が痛みます」


「そんなもの気にすることないだろ。長い髪に魔力が宿るから伸ばしているだけで、それがなければ短くしているところだ」


 カリストが長い茶色の髪を一つにまとめ、質素な紐で結ぶ。


「クリス様」


 言葉を強くしたカリストにクリスが肩をすくめる。


「わかっている。髪は切らない」


「身の上をわきまえて下さい」


「そんなものをわきまえていたら、この屋敷は存在しないがな」


 クリスが振り返り、ニヤリと口元だけで笑う。


「この話はここまでだ。着替えるから朝食の準備をしていろ。あ、犬の相手をしていてもいいぞ」


「……朝食の準備をしてまいります」


 カリストが部屋から静かに出て行った。





 朝食を食べ終えたクリスが廊下を歩いていると、洗濯物を抱えたラミラとすれ違った。


「犬の相手をしているのではなかったのか?」


 声をかけられたラミラは犬が誰のことを指しているのか正確に理解して頷いた。


「とても勉強熱心な犬でしたので、自由にさせています」


「ほう?では、少し覗いてみるか」


「それでしたら飲み物をお持ちします」


「いや、たぶん庭に出るから、少し間を開けてそこに持ってきてくれ」


「わかりました」


 ラミラが頭を下げて仕事に戻る。クリスはのんびりと歩きながらルドがいる部屋へ移動した。





 部屋のドアの前に立つが中から音はしない。クリスは昨日と同じように気配を消して部屋に入った。


 ルドがこちらに背を向けて椅子に座っている。机には複数の本が開かれた状態で置かれており、それを見比べながらルドが紙に書き写していた。


 足音を消してクリスが近づく。そのまま背後から書き写している紙を覗き見しようとしたところでルドの姿が消え、間抜けな声が響いた。


「うわっ!」


 次にクリスがルドの姿を見たのは、机を挟んだ先でルドが盛大にこけて尻もちをついているところだった。

 ルドは気配を感じて一瞬で机の反対側に移動したが、背後にいたのがクリスだと気がついて、本気で動いたことを誤魔化すため最後に|わざ(・・)と転けたようだ。


 ルドが恥ずかしそうに赤毛をかきながら立ち上がる姿を無視して、クリスが机の上に視線を移す。

 あれだけ派手な動きだったにも関わらず、並べられた紙や本は一切動いていない。


 そのことにクリスが感心しながら言った。


「でかい図体だが、動きは猫みたいに俊敏だな」


「師匠。驚くから、いきなり後ろに立たないで下さい」


「驚いただけか?もし後ろに立ったのが私ではなかったら、どうなっていたんだろうな?」


 そう言ってクリスがルドの腰に目を向ける。ルドは苦笑いを浮かべながら、腰に付けている隠しナイフを外して机の上に置いた。飛び退いた直後は、相手がクリスだと気づいていなかったため、手を腰のナイフに伸ばしていたのだ。


「師匠に隠し事はできませんね。他のも出しましょうか?」


「いや、いい。それも付けておけ。ただし、この屋敷にいる時は無暗に抜くなよ。抜けば命の保証はできないからな」


 ルドが天井に意識を向ける。


「そのようですね」


 これから決闘でもするかのような雰囲気がルドの周囲に漂う。相手を刺激しないように注意をしながらルドが隠しナイフを腰に戻す。


 そんな一触即発の空気を壊すように、のんびりとした声でクリスが訊ねた。


「で、どうだ?本は読んだか?」


 その質問でルドの鋭い気配が消え、琥珀の瞳が子どものように輝いた。


「興味深いことばかりで、素晴らしいです!覚えきれない自分の頭が憎いです!」


「そうか。透視魔法のほうはどうだ?」


「一応、できました」


 勘がいいルドでも出来るようになるまで二、三日はかかると思っていたクリスは深緑の瞳を少し大きくした。


「ほう?では、その成果を見せてもらおうか。こっちにこい」


 クリスはルドを連れて中庭へと出て行った。

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