第26話 師匠による本格的な講義

 あっさりと言いきったクリスに対して、ルドは飛びかけた意識をどうにか戻して訊ねた。


「いや、ちょっ、師匠!あっさり言いましたが、魔力を当てるとか屈曲させるとかって、聞いたことありませんよ!そもそも出来るんですか、そんなこと!」


「私は出来るぞ」


「師匠を基準に言わないで下さい!」


 叫ぶルドを無視してクリスが話を進める。


「最低でもこれだけは出来るようになれ」


「だから最低の基準が高すぎです!せめて魔力を曲げる方法を教えて下さい」


「曲がれと思えば曲がるだろ」


 そう言ってクリスが不思議そうに首を傾げた。無垢な子どもが純粋に心から「どうしてできないの?」と、思っている顔だ。そこには、いつもの不機嫌そうな表情はなく、キョトンとしており、どこか幼く可愛らしくさえ見える。


 そんな姿を見せられたルドの口からは、言いたかったことが出ることは当然なく、そそくさと喉の奥に引っ込んで行った。


「わかりました」


 そう言って思わずため息を吐いたルドに、クリスは分厚い本を広げて赤い紙が付いている部分を指さした。


「透視魔法の魔法式はこれだ。まずは魔法式を覚えろ」


「……はい」


 ルドが大人しく返事をする。


「それで透視魔法がある程度自由に使えるようになったら拡大魔法の練習をしろ。拡大魔法の魔法式はない。さっき言ったように透視魔法を使いながら魔力を屈曲させるだけだからな」


 簡単そうに説明するクリスにルドが拗ねたような目を向ける。


「……やはり魔力を曲げるイメージができないです」


「そうか?まあ、透視魔法が使えるようになれば、なんとなくイメージができると思うぞ。お前は勘がいいからな」


 その言葉にルドが満面の笑みになる。


「そうですか!?」


 ルドの態度で無意識に誉めていたことに気がついたクリスが慌てて後ろを向く。


「い、いいから、さっさと帰って透視魔法の練習をしろ。あと馬車で渡した本の中身を全て覚えろよ」


「え?ここで勉強してはいけませんか?」


「……好きにしろ。ただし、座学だけだ」


「え?」


「この部屋での魔法練習は禁止している。練習していた魔法が失敗したり暴発した時、その影響で本が損傷する可能性があるからな」


 説明を終わるとクリスは立ち上がってスタスタと歩き出した。


「あ、あと師匠……」


 ルドの呼びかけも虚しくクリスが部屋から出ていく。


「師匠…………」


 クリスが消えたドアをルドが見つめる。その姿は飼い主に置いていかれた忠犬のようだった。

 ないはずの犬耳と尻尾が垂れ下がり、気力を抜かれたようにルドが机に突っ伏す。


 そこに姿を隠していたカルラが静かに現れた。


「新しい紅茶をお持ちしますね」


 紅茶セットを下げようとしたカルラをルドが止める。


「いえ、そのままでいいです」


「ですが、冷めていますよ」


「せっかく淹れてもらったのですから、全部いただきます」


 カルラが茶色の瞳を丸くした後、嬉しそうに微笑んだ。


「わかりました。御用がございましたら、こちらの呼び鈴を鳴らして下さい」


 そう言ってカルラが懐から銀色に光る半円形の物を出して机の上に置いた。見たことがない形にルドが首を傾げる。


「これが呼び鈴ですか?」


 ルドが知っている呼び鈴は持ち手が付いた鈴で、用事があるときに振って音を鳴らす。だが、この呼び鈴には持ち手もなければ、鈴もないように見える。どうやって音を出すのか検討もつかない。


 そんなルドの思考を読み取ったのかカルラが使い方の説明をする。


「はい。この上に飛び出ている突起を押してみて下さい」


 ルドは言われるまま押すと、リーンと澄んだ高い音がした。


「珍しい形ですね。それに押すだけで、こんなにしっかりと音がでるなんて良いですね。使いやすいです」


「もし何かありましたら、お呼び下さい。失礼いたします」


 カルラが静かに退室する。

 ルドは分厚い本を見て軽くため息を吐いた。


「魔法の練習ができないなら、他の勉強をするしかないな」


 本当は魔法の勉強をしたかったが、ここで練習が出来ないのであれば仕方がない。ルドは馬車の中でクリスから借りた本を開いた。


「すごいな……」


 改めて見て驚く。自分の体の内部がこのようになっていたことをまったく知らなかった。

 ページをめくっていくが読んでも理解できない部分が多い。なにせ想像もしたことがない世界であり、初めて触れる言葉ばかりなのだ。


 ルドが本と睨めっこをしているとドアが開いた。だが本の解読に必死になっているルドは気づかない。


 侵入者はルドの正面の椅子に腰を下ろすと持っていた本を読み始めた。そこにカルラが入ってきて淹れてきた温かい紅茶をカップに注ぐ。

 爽やかなレモンとミントの匂いに鼻をくすぐられ、ルドの意識が本から離れる。紅茶のお代わりはいらないと言ったのに、何故新しい紅茶の匂いがするのか?


 疑問に思いながらルドが顔を上げると、目の前にクリスが座っていた。


「師匠、どうしてここに?」


 てっきり自室に戻ったと思っていたのに、ここにいることに驚く。ルドの質問にクリスは顔を背けて答えた。


「どこで本を読もうと私の自由だろ」


「は、はい」


 クリスが本を読みながら優雅に紅茶を飲む。

 その姿を横目で見ながらカルラがそっとルドに囁いた。


「わからないところをクリス様にお聞きになるチャンスですよ」


「いいのでしょうか?」


 カルラはいい笑顔で頷くと、頭を下げて去っていった。

 ルドは自分の紅茶を飲むと思い切って訊ねた。


「あの、師匠!教えて頂きたいところがあるのですが!」


「ここでは静かにしろ」


「あ、はい。すみません……」


 ルドがしおしおと小さくなる。


「で、どこを知りたいんだ?」


 思わぬ言葉にルドが顔を上げて本を指差す。


「呼吸をするのに肺という臓器で空気が体の中に取り込まれる仕組みについて分からないことが……」


「あぁ、それについては、もっと詳しく書いてある本が……」


 クリスが立ちあがり本棚へ移動する。そして数冊の本を抱えて帰ってきた。


「その本は簡単にしか書いていないからな。わからないことがあれば、詳しく書いてある本がそこの本棚にあるから見てみろ。で、肺のことだが……」


 クリスが本を開いてルドに見せる。


「ここに詳しく書いてある。これは、この臓器の拡大図なのだが働きとしては……」


 淡々と説明していくが内容は理解しやすく、ルドは自然と紙にクリスの説明を記録していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る