第28話 師匠による丁寧な実技指導

 屋敷から中庭に出てすぐの場所にクリスはルドを連れてきた。足元には円形に石が敷き詰められ独特の雰囲気はあるが、小鳥のさえずりが響き穏やかな空気が流れている。


 クリスは懐から紺色の布袋を出すと、手のひらに乗せてルドに見せた。


「この袋の中に何が入っているか透視魔法で見てみろ」


「はい」


 ルドが透視魔法の魔法式を頭に浮かべながら両手を袋にかざす。目では紺色の布袋が見えているのだが、頭の中では布袋が消えて白黒の映像が出てきた。


「丸い……硬貨のような……この柄は……銅貨が二枚と銀貨が四枚と金貨が一枚、見えます」


「正解だ」


 クリスが布袋を開けて手に中身を出す。そこにはルドが言った通り、銅貨が二枚と銀貨が四枚と金貨が一枚あった。

 クリスが硬貨を布袋に戻す。


「よし。次は透視魔法を発動しながら魔力を曲げてみろ」


「え?いや、でも……」


「いいから、やってみろ」


 クリスが布袋を手に乗せてルドに突き出す。ルドは仕方なく先ほどと同じように両手をかざして魔法式を頭に浮かべた。


「そこで魔力が手から出ているのを感じるんだ。感じたら、その魔力を45度曲げろ」


 クリスが手で角度を示すが、ルドは布袋を凝視したまま声を上げた。


「45度!?そんなに正確な角度でないといけないのですか!?」


「いや、具体的に言ったほうが曲げやすいかと思ったんだが」


「逆に曲げにくいです!」


「なら、とにかく曲げろ」


「その前に魔力を感じられません!」


「布袋の中は見えているんだろ?」


「はい」


「なら両手から魔力が出ているのを感じるはずだが」


「……わからないです」


「……そうか」


 クリスがどう指導するか悩んでいると後方から呼ぶ声がした。


「クリス様!お茶の準備が出来ました!こちらへどうぞ!」


 二人が振り返ると芝生しかなかった場所にテーブルと椅子が並べられ、ティーセットが置かれていた。


「とりあえず休むか」


「自分はもう少しやってみます」


「わかった」


 クリスはルドを残してさっさと歩き、即席のお茶席へと移動した。そのまま椅子に座るとラミラがカップにお茶を注ぎ、クリスの前に置いた。


「犬の様子はいかがですか?」


「筋がいい。普通なら布の中にある物が見えるようになるだけで一週間はかかるんだがな。まさか、一日で読み取れるようになるとは思わなかった」


「楽しそうですね」


 思わぬ言葉にクリスがお茶を吹き出しそうになる。


「そんなことはない」


「そうですか?」


 ラミラが意味あり気にクスクスと笑う。その姿はおっとりとしていながらも可愛らしく、見ていて悪い気分にはならない。


 クリスはカップに口をつけながらルドを見た。地面に直に座り、置いた布袋に両手を向けている。その顔は真剣そのもので、いつもの犬のような人懐っこい雰囲気はない。


「どうすれば魔力を曲げるイメージを伝えられるか……」


 クリスは独り言のつもりで呟いたのだが、ラミラが首をかしげながら提案をした。


「言葉で分からなければ、実際に見せるか、一緒にしてみるしかないですよね」


「一緒に……か」


 軽く頷くとクリスはルドを呼んだ。


「おい!ちょっと、こっちに来い!」


「はい」


 ルドが素早く立ち上がり小走りでやって来る。


「魔力は曲げられそうか?」


「その前に魔力を感じられません」


「そこからか。とりあえず、こっちに来て右手を出せ」


 ルドが言われた通りにクリスの隣に来ると右手を差し出した。クリスはルドの右手の先にシュガーポットを置いた。


「このまま透視魔法を発動してみろ」


「え?あ、はい」


 訳が分からないままルドが透視魔法の魔法式を頭に浮かべる。するとシュガーポットが透けて、中の砂糖が見えてきた。


「よし。そのまま透視魔法を維持していろよ」


 クリスが左手をルドの右手の上に乗せた。

 ルドの武骨で大きな手に比べ、クリスの手は細長く繊細で小さい。大人と子どもというほどではないが、大きさに差がある。


「し、師匠?」


 クリスの行動にルドが驚いていると、クリスは平然と説明をした。


「このまま私の魔力を流すから、それを感じろ。他人の魔力が流れれば、魔力に対していくら鈍感なお前でも違いに気付くだろ」


「あ、そういうことですか!やってみます!」


 ルドが手に集中する。クリスの手と触れている部分は温かいのに、氷のように冷たい何かが流れ込んできた。それは手を抜けてシュガーポットへと注がれていく。


 ルドはこの冷たいものがクリスの魔力だと直感した。


「師匠!分かりました!」


「なら曲げてみろ」


「いや、流れは分かりましたが曲げ方は分かりません」


「仕方ない。私が曲げるから合わせてみろ」


「は、はい」


 真っ直ぐ注がれていた魔力が途中で曲がる。それは綺麗な45度の角度だった。


「ほら、合わせろ」


 ルドはなんとか曲げようと魔力を強めたり弱めたりしたが、どうにもならなかった。


「無理です……なんで、そんな何もないところで曲げることが出来るんですか?」


「なら、同じところで曲げなくてもいい。曲げやすいところで曲げろ」


「……」


 ルドがひたすらシュガーポットを睨む。正確にはシュガーポットに注がれている魔力を、だが。


「そんなに力むな。力を抜け。中の物を大きくして見たいと思え」


「……はい」


 力を抜こうとするが、どうしても力が入る。額に汗が流れたところでクリスがルドから手を離した。


「休憩だ」


「……すみません」


 しょぼんとしたルドにラミラが椅子を勧めると、ルドはおずおずと椅子に座った。頭は項垂れており、全身から負のオーラが出ている。


 その様子にクリスはため息を吐いた。


「すぐに出来る必要はないぞ。むしろ、すぐに出来るとは思っていない」


「ですが、ここまで丁寧に教えて下さったのに……」


 何も結果が出せなかったことにルドが落ち込む。そんなルドを見ながらクリスは呟いた。


「教える、ということは存外に難しいものなんだな」


「何か言いましたか?」


 ルドが顔を上げる。クリスはルドから視線を外して茶を飲んだ。


「なんでもない。それより飲んでみろ」


 ルドは茶を注がれたカップを見た。持ち手のない独特な形をしたカップだ。両手で包み込むように持つと、心地よい温もりが広がる。

 そのまま近づけると独特な花の匂いが漂ってきた。口に含んでルドが目を丸くする。


「不思議な味ですね。花の香りとともに後味がスッキリとしていて飲みやすいです」


「ほう?この茶は好みが別れるのだが、お前は飲めるんだな」


「飲めない人がいるんですか?」


「セルティは一口飲んで止めたぞ」


「そうなんですか?美味しいのに」


 ルドが不思議そうに飲む。クリスも悠然と茶を飲んでいると、髪をまとめている紐が前触れもなくプツリと切れた。そのことにクリスとラミラが素早く反応する。


 クリスの茶色の髪が広がると同時に、屋敷の中からカルラが走って出てきた。いつも着ているメイド服ではなく普段着である。


「クリス様!」


「客人の前だ」


 慌てたカルラを落ち着かせるように低い声でクリスが言う。カルラはルドを見ると、内容を聞かれないようにクリスに耳打ちをした。


「なんだと?」


「今、全力で探索しております。それと心配なことが……」


 再び耳打ちされたクリスの顔が驚愕へと変わる。


「それは本当か!?」


「はい。先ほど言っていたと……」


 クリスはルドに厳しい顔を向けた。


「悪いが今日はこれで終わりだ。ラミラ、ルドを見送れ」


「はい。こちらへ……」


 案内しようとするラミラをルドが制する。


「何があったのですか?自分に手伝えることはありませんか?」


 ルドの申し出をクリスがあっさりと切る。


「ない。そもそも部外者には関係のないことだ」


「部外者……」


 思わぬ言葉の刃に呆然とするルドを置いてクリスが歩きだす。


「全員に指示を出す。ラミラもルドを見送ったらホールに来い」


「はい」


 屋敷の中に戻っていくクリスの後ろ姿をルドが眺めていると、ラミラが丁寧だが有無を言わさない口調で言った。


「こちらへ、どうぞ」


「……手伝えることはありませんか?」


 ルドの真剣な眼差しをラミラは首を振って拒んだ。


「お気持ちだけ頂きます。これは私たちの問題ですから、私たちで解決いたします」


 ラミラの強い意志を前にルドはこれ以上、何も言えなかった。





 屋敷の中に入ったルドは机に並べていた本をまとめると、落ち込んだ様子でラミラの後ろを歩いた。


 玄関まで案内したラミラが扉を開けて頭を下げる。ルドは渋々屋敷から出たが、その後も後ろ髪を引かれるように何度も振り返った。しかし、何度振り返っても頭を下げたラミラしかいない。

ルドが諦めて歩き出したところでポツリと声が聞こえた。


「屋敷を出られたら、どこにいようと構いません。クリス様はもう少ししたら出かけられると思います」


「え!?」


 ルドが言葉の意味を確認するために振り返ると、そこには誰もおらず屋敷の扉は静かに閉まっていた。

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