第15話 ツンデレ治療師による微かなデレ
翌朝。
ルドは重い足取りで治療院研究所の門をくぐった。いつも期待と希望に満ち、すぐに浮かれてしまう感情を抑えることに必死だったのに、今日は違った。
昨日、クリスのメイドたちに散々説教をされた。
治療師なのに救えないことで|誰が(・・)一番辛い想いをしているか、治せないことで|誰が(・・)責められるのか。そして、|誰が(・・)そのことを一番身に染みて感じ、|誰が(・・)一番責めているのか。
そんなことも理解できないならフラーテル失格だと、弟子になる資格もないと、遠回しに何度も言われた。しかも笑顔で懇切丁寧に。
それがまた心に突き刺さった。いや、突き刺さったところをグリグリと抉られ、塩と唐辛子を塗り込められた。ここまできたら、いっそ罵倒してくれたほうが良かった。
ルドは凹みまくり、どんな顔をしてクリスと会えばいいのか分からないほど沈んだ。それでもルドの中に、ここに来ないという選択肢はない。
暗い影を背負ったままルドがトボトボと歩いていると、その横を颯爽とした風が通り抜けていった。
その風はルドの先を歩いていたのだが、ふと立ち止まって振り返った。
「何をしている?早くしろ」
ずっとうつむいていたルドが顔を上げると、少し先にクリスが立っていた。
「今日から治療魔法について教えてやる」
茶色の髪が風になびき、深緑の瞳が姿を現す。迷いなく、あまりにも真っ直ぐで、ルドにはクリスが眩しすぎた。
ルドが思わず視線を逸らして呟く。
「……いいんでしょうか?」
ルドの戸惑うような申し訳なさそうな声にクリスが首を傾げる。
「どうした?嬉しくないのか?」
「いえ、嬉しいのですが、それよりも……こんな出来損ないの、虫けら以下の、存在するどころか、息をする価値もない自分に師匠の貴重な時間を割いて頂くなんて、畏れおおくて……」
あの二人は何を言ったんだ?
クリスは思わず考えかけて止めた。考えたところで、その軽く斜め上をいく言葉をメイドの二人は羅列したに違いない。しかも笑顔で。ならば想像でも考えないほうがマシだ。
そう判断したクリスは平然と会話を進めた。
「魔法で治療が出来るようになりたいんだろ?」
「なりたいですが……こんな図体がでかいだけの、馬鹿で無能な自分が使えるようになるなんて思えなくて……」
自分で言いながらルドがどんどん落ち込んでいく。
その様子にクリスは軽くため息を吐いて言った。
「おまえは誰の弟子だ?」
その言葉にルドがハッと顔を上げる。
「魔法で治療が出来るようにしてやると言っただろ。おまえは悩まずについてくればいい」
「……し、師匠!」
半泣きから笑顔になったルドが駆け出すが、クリスはすぐに背中を向けた。ルドがクリスの背中に頭を下げる。
「ありがとうございます!頑張ります!」
「……好きにしろ」
スタスタと早足でクリスが歩きだす。束ねた茶色の髪の隙間から見えた耳は赤くなっていた。
それを見つけたルドが叫ぶ。
「師匠、熱があるのですか!?それとも疲れが!?昨日、あれだけの人を治療したのですから今日は休んだほうが……」
「うるさい!」
クリスの足はますます早足となり研究所の扉の中に逃げ込んだ。
ルドが研究室に入ると爆発で荒れた部屋は整えられ、壊れていた机と椅子は新しいものになっていた。
クリスはマントを脱ぐと、肩にかけていた鞄の中から一冊の本を取り出した。
「これは国外の本だ。この国では出回っていない。あとで読んで全て覚えろ。あと、ここにある本は読んだか?」
「はい。全部読んだことがある本でした」
「そうだろうな。一応、この国で出回っている治療関係の本を集めているが、これだけしかない。そもそも、この国は治療や、人体関係の本が少なすぎるんだ。その少ない本さえも読んでいない治療師もいるがな」
「大抵は治療魔法で治しますが、治療魔法の魔法式は極秘なので、それを記した本はありません。ですから治療に関係する本といえば応急手当の本ぐらいですよね」
「そうだが、この国は治療魔法に頼り過ぎなんだ。治療魔法は万能ではない。おまえは治療魔法がどういうものか知っているか?」
「傷や痛みを治すものですよね?」
「そうだ。治癒魔法の魔法式を頭に浮かべて、神の加護を受けている者が、治療したい部位に手を当てて神に祈りの言葉を唱えると治癒する。だが、それは何故だ?」
「それは神の力だと……」
その言葉をクリスが鼻で笑う。
「結局はよく分かっていないから、神の力ということにしているだけだろ。そもそも魔法式を浮かべて、治して下さいって祈るだけで治ることが、おかしいんだ。そんなのだから治り方にもバラつきがある」
「確かに同じ治療師が同じような傷を治そうとしても、日によって治せたり治せなかったりすることがあると聞きますね」
「そうだ。治せるか治せないか分からない治療魔法など意味がない。そもそも、神の加護がないと発動しない魔法という時点で意味がわからん」
「はぁ……」
「あと治療魔法は死んだ組織を蘇らすことはできない。つまり死んだものは治せない」
ルドが昨日の治療院で治療した女性のことを思い出す。
「と、いうことは……昨日の黒い皮膚が治療魔法で治せなかったのは、皮膚が死んでいたからですか?」
ルドの質問にクリスが口角を上げる。
「ほう?意外と勘がいいな。その通りだ。だから、他の治療師が治療魔法をかけても治らなかったんだ。あと、治療魔法は若返らすこともできない。それと正しい部位で治療魔法を発動させなければ、治るものも治らん」
「どういうことですか?」
「傷や怪我の場合は直接見えていることが多いから、そこを治せばいいし、治った状態が目に見える。だが、痛みの場合は原因を正しく把握していないと、間違ったところを治しても原因は残ったままだ。だから、また痛みが出てくる」
「この前、街の治療院で腰痛を訴えていた人のことですか?テオが治療魔法で治療しても、痛みの原因の石が残っていたから、またすぐに腰痛が出てきた」
「そうだ」
「師匠はどうして痛みの原因が石だと分かったのですか?」
「私はまず透視魔法で原因を探す。それから治すのに適した魔法を選択するんだ」
「じゃあ、まず自分も透視魔法が使えるようにならないといけないですね」
「それも使えるようにならないといけないが、同時に正常な人体の構造と異常状態についての勉強も必要だ。とりあえず、治療魔法がどれぐらい使えるか確認するか」
クリスが紙に魔法式を書く。
「これが治癒魔法の魔法式だ。この式は基本中の基本だから、治療師たちは自分で使いやすいようにアレンジを加えている。この魔法式は国家機密になっているから、この紙は絶対にこの部屋から出すな。魔法式を覚えたら紙を燃やせ」
「はい」
ルドが紙を手に持って魔法式を覚えていると、クリスが自分の手首を掴んで呟いた。
「正中神経ブロック」
次に引き出しからナイフを取り出して左の人差し指に当てる。
「師匠、何を?」
ルドが質問すると同時にクリスが指を切る。
「し、師匠!なにをしているんですか!?」
「治療魔法が使えるか判断するなら実地が早い。ほら、治せ」
スーと血が流れる。ルドは慌ててハンカチと取り出すと傷口を押さえた。
「そんなことしないで下さい!治せるかもわからないのに!」
慌てるルドにクリスが平然と言う。
「おまえが治せなくても自分で治せるし、痛みを感じなくする魔法をかけているから痛くない」
「そういう問題ではないです!」
「とりあえず血が無駄に流れるのはもったいないから、早く治せ」
「……はい」
ルドはどこか諦めたようにハンカチを取った。出血は止まっているが、パックリ割れた赤い傷口はある。
「やってみます」
ルドは覚えたばかりの魔法式を頭に浮かべて祈った。
『天に召します我らの神よ。この者に大いなる慈悲を、治癒の力を与えたまえ……』
琥珀の瞳と深緑の瞳がまっすぐに指を見つめる。ひたすら見つめる。何も変化がない指をただただ見つめる。
沈黙が流れる。
いたたまれなくなったルドは、魔法式が書いてある紙をもう一度見た。穴が開くのでは、というほど見つめた後、目を閉じて頭に魔法式を浮かべる。そして、今度は言葉を変えて祈りを唱えた。
『我らを見守りし神よ。傷ついた子羊を癒したまえ……』
二人が指に注目するが相変わらず変化はない。
ルドがもう一度同じ事をしようとしたところで、クリスが手を引っ込めた。
「ここまで加護がないやつは逆に珍しいな。魔法が使えるなら、傷口が少しぐらい光ったりするんだが、それさえもないとは。皮膚組織の修復」
そう言ってクリスが指を右手で撫でる。それだけで傷口は跡も残らずに消えた。
「やっぱりオレは……」
ルドが呟きながら崩れ落ちる。
「攻撃魔法が得意な時点で予想できていたことだ。これで、ますます透視魔法とあの本が重要になるな。ほら、いつまで寝ているつもりだ?」
クリスがグリグリとルドを踏みつける。
「痛い!痛い!寝ていませんから!」
「なら、とっとと立て。とりあえず今日は……」
クリスが言いかけたところで控えめなノックの音がした。
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