第20話 麗人による迷惑な遊び

 綺麗に刈られた芝生の上にセットされたテーブルと椅子にクリスは憮然と座っていた。目の前には編みこんだ長い白金の髪を背中に流した青年が優雅にティーカップを口につけている。


 不機嫌丸出しのクリスに青年が悠然と声をかけてきた。


「ふむ。そなたの執事が淹れた紅茶とまではいかないが、なかなかの味だぞ」


 遠回しに紅茶を勧められて、クリスは不機嫌な表情のままティーカップを手にとった。

 ふわりと紅茶の匂いが漂う。何も入れていないストレートティーだからこそ茶葉の味が際立つ。


 クリスは一口飲むとすぐにカップを置いた。


「確かに前回より美味くなっているな。だが、渋みが強い。茶葉の味を出そうとして蒸らし過ぎだ。あとは水か」


「そなたの領地の茶葉を使用するようになってから味は格段に上がったのだが、水がいまいちでな。なかなか良い水が見つからん」


「ならば探すしかないな。それで、紅茶の話をするために私を呼んだのか?」


 クリスが絶対零度にまで下がった視線で突き刺すが、青年はまったく気にした様子なく穏やかに流す。


「そう焦るな。たまには、こうしてゆっくりとした時間を過ごすことも必要だぞ」


「私はそんなに暇人ではないのだが?」


「わかっておる。そなたの活躍は私の耳にも入っておるからな。ただ、最近変わったことがなかったか?」


 青年の問いにクリスが黙る。青年は楽しそうに紅茶に添えられたクッキーを口に入れた。


「そう警戒せんでもよい。別に取って食おうなどと思ってはいない」


「さて、どうだか」


 胸の前で腕を組むクリスに青年が微笑む。


「今回そなたを呼んだのは、面白いものを見せようと思ったのだ」


「面白いもの?」


 青年が空に視線を移す。


「あぁ。そろそろ来るぞ」


 クリスもつられて空を見上げると、どこからか大声と爆発音が響いてきた。


「来たぞ!」


「捕まえろ!」


「特別賞与だ!」


「逃がすか!」


 余裕がある……というより、浮き足だったような、威勢がいい声が続く。


「そっちに行ったぞ!」


「追い詰めろ!」


「捕まえ……うわっ!?」


「う、嘘だろ!?」


 勢いがあった声が次第に驚きと焦りに変わっていく。


「これでもダメなのか!?」


「通すな!」


「絶対に死守しろ!」


 悲鳴混じりの必死な声が響く。


「地獄の特訓が追加されるぞ!」


「それだけは、やめてくれ!」


「なら、突破されるな!」


「死ぬ気で守り切れ!」


 叫び声と怒鳴り声が徐々に近づいてくる。それにともない鎧が擦れる音や剣で何かを弾く音もしてきた。


「相手は一人だぞ!」


「何をしている!」


「増援が来るまで、持ちこたえ……」


 突如、それまでの激しかった音が消えた。無言で空を見ていた青年が口元に笑みを浮かべる。


「やあ、遅かったな」


 青年の前に赤髪が舞い降りた。体には煙をまとっているが傷はどこにもない。琥珀の瞳が目の前の青年を映す前に顔が横を向いた。


「師匠!ご無事ですか!?」


 あまりの登場の仕方にクリスの口が半開きとなる。


「……おまえ、どうしてここに?」


 どうにか言葉を出したクリスを無視して、ルドが心配そうにクリスの周囲をクルクルと回る。


「怪我はありませんか?ひどいこと言われていませんか?」


「いや、私よりおまえの方が……」


 ルドはクリスの言葉を無視して、ひたすらクリスの全身を観察する。その姿は忠犬が久しぶりに主に出会い、喜びながらも全身状態を確認しているようだった。

 その光景を黙って見ていた青年が口を押えて横を向く。


「……い、犬だ。あのルドが犬に……」


 笑いを堪えながら小声で呟いているため内容は二人には届いていない。

 クリスの無事を確認したルドが動きを止めて安堵したように息を吐いた。


「ご無事そうで良かったです」


「人の話を聞け!」


 我慢の限界を超えたクリスがルドの腹を蹴る。


「痛っ!師匠!いきなり何をするんですか!?」


「それはこっちのセリフだ!なんで、いきなり出てくるんた!」


 ルドはクリスから一方的に蹴られているが、決して反撃はせずに急所を避けながら蹴りを受けている。


「いや、それは……師匠、ちょっと待っ、話ができなっ!」


 ルドの言葉を聞く気がないクリスは蹴りを止める様子がない。そして、いまだに肩を振るわせて笑っている青年も止める気はない。


 誰も制する人がいない混沌とした空間に、鎧を着た中年の騎士が一人で走ってきた。その姿にクリスが蹴っていた足を止める。


「ルド、おまえここに来るまでに何をした?」


「特に何もしていませんよ?ここに一直線に来ただけです」


 ルドの回答にクリスが蹴りを再開させる。


「一直線に来るだけで、あんな騒動になるか!そもそも、ここをどこだと思っている!?」


「いてっ!師匠!そろそろ本気で痛くなってきたんですが!」


「知るか!」


 二人の漫才のような光景に走ってきた騎士の動きが止まる。どうするか悩んでいる様子の騎士に青年が声をかけた。


「訓練は終了だ。各隊、反省点と改善点を報告書にまとめて今日中に提出しろ。夜には各部の隊長を集めて会議をする」


「はっ!」


 騎士が渋い声とともに敬礼をすると走り去った。

 話を聞いていたクリスが標的をルドから青年に変える。


「訓練とは、どういうことだ?」


「侵入者に対する訓練でね」


 青年がルドを指さす。


「私の命を狙う侵入者を捕まえるという訓練だ。どうも近頃、騎士団の気が緩んでいるようだから、実戦をかねた訓練をしてみたんだ。侵入者を捕まえたら特別賞与を与える予定だったから、みな必死だったようだが残念だったな。あ、ちなみに侵入者が私のところまで到達した場合は地獄の特訓が追加される」


 騎士団が必死だった理由をさらりと言ったが、クリスは自分には関係ないので気にすることなくルドを見下ろした。


「ほう?なかなか面白いことをしていたようだな」


 ルドが勢いよく首を左右に振る。


「知りません!自分はそんなことになっていたなんて知りませんでした!」


「だが侵入者役はおまえだろ!」


「いや!ですから、知らなかったんですって!」


「なら、何故ここにいる!?」


「それは……ゲフッ」


 クリスの蹴りがルドのみぞおちに入る。そのまま地面に沈んでいくルドを眺めながら青年がクリスに声をかけた。


「ほら、面白いものが見れただろう?」


「こんなもの面白くもなんともない」


 気が済んだのかクリスが両手を払う。


「で、どうしてここに来たんだ?」


 クリスの問いにルドがどうにか顔だけを起こして答えた。


「師匠が治療院研究所をお休みになられたと聞いた時に、セルの印璽が押された空の封筒を渡されたので、急いでここに来ました」


 理由が読めない行動にクリスが視線を険しくする。


「それだけで、私がここにいると何故分かった?」


「まず師匠が何も言わずに休んだ、ということは逆に言えば休む理由が言えなかったということになります。そして同時にセルから用件が書かれていない封筒が届いた、ということは、セルが師匠に何かをした、ということが想像できました」


「それで、ここに一直線に来たというのか?」


「はい!」


 謎の自信に満ちたルドの態度にクリスは追及を止めてため息を吐きながら言った。


「だが、急いで来ることでもあるまい」


 ルドが勢いよく起き上がって叫ぶ。


「師匠はセルの裏の顔を知らないから、悠長なことが言えるんです!」


「と、いうか、おまえら知り合いだったのか?」


 クリスがルドとセルと呼ばれた青年を交互に見る。セルが微笑みながら懐かしそうに話した。


「学友でな。あの頃はこうしてよく遊んだものだ」


「セルが一方的に仕掛けてきたけどな!」


 珍しく感情を出すルドを見ながらクリスが頷く。


「悪友ということか。ところで私が言うのもなんだが、おまえはセルティに敬語は使わないのか?」


「使わないという誓約をさせられたんです!不敬になるから嫌だと言ったのに……」


 当時のことを思い出したのか、ルドが左手で額を押さえて座り込んだ。代わりにセルが説明をする。


「あの頃のルドは何をしても無表情の無反応だったからな。池に落としたり、火をつけたり、土に埋めたり、空に飛ばしたり、いろんなことをしたよ。そのうち、どういうことをすれば反応があるか分かるようになってきたんだ」


「さすがに命に関わるようになってきたら反応する!」


 ルドの反論をセルは笑顔で聞きながら続けた。


「で、命の危機を感じたルドが交渉をしてきたから、私に敬語を使わないことを条件に止めたんだ。たったそれだけの条件で止めてやるなんて寛大だろう?なのにルドはそれすらも渋って大変だったんだ」


「…………そうか」


 いろいろツッコミどころがある話だったが、クリスはそっと聞き流すことにした。下手に関わっていらぬ火の粉を被りたくはない。


 ルドが必死にクリスに訴える。


「そんなセルから空の封筒が届いたんですよ?師匠に何かするのでは!?と考えるのは普通だと思いませんか?」


 ルドが捨てられた子犬のように潤んだ瞳で見上げてきた。本当に心配で、心配で、心配で、心配すぎて居ても立っても居られずに慌てて来たんです。と雄弁に訴えている。


「うっ……」


 そんな目を向けられたクリスは言葉に詰まっていた。


 子犬や幼子がするなら可愛いが、実際は図体のでかい青年だ。可愛らしさから対極の位置にいる。

 そう、対極の位置にいるはずなのに、クリスは何故か少し可愛いと思ってしまったのだ。


 クリスは自分の考えを否定するようにルドに蹴りをいれた。


「そんなに心配しなくても、セルティが腹黒く、人でなしなことは十分知っている!」


 さり気なく貶されたセルだが気にすることなく微笑む。


「私だって命は惜しいからね。クリスに手を出すような命知らずなことはしないよ」


 そこに気配なく従者が現れ、恭しく一礼をした。


「セルシティ様、バスクル国のノロドム公爵夫妻とのご面会の時間です」


「おや、もうそんな時間か。では、先に失礼するよ」


 あっさりと去っていたセルの後ろ姿を眺めながらルドが肩を落とす。


「また遊ばれた……」


「おまえが単純すぎるんだ。私のことなど、ほっとけばよかったのに」


「そういうわけにはいきません!」


 ルドが立ち上がって握りこぶしを作る。


「師匠は自分が守ります!」


 その言葉にクリスの顔がボッと真っ赤になる。そして、そのことを自覚した瞬間、クリスはルドの腹に鋭い一撃を放った。


「自分の身ぐらい自分で守れる!」


 声も出さずにルドの体が倒れる。


「帰る!」


 早々に歩きだしたクリスに倒れたルドが手だけを伸ばす。


「し、師匠……出口は、そちらではな、いで、す……」


 それだけ言うとルドの手が力尽きたように地面に落ちた。


 二人のやり取りを振り返って眺めていたセルが口角を上げる。


「若いなぁ」


「セルシティ様」


「あぁ」


 従者に促されてセルは城の中へと入っていった。

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