第21話 子爵による唐突な昼食の誘い
クリスが馬車で帰宅の途についた頃、ルドは正規の道順で城から出たところだった。
ちなみに城の中を歩いていた時は、騎士団から恨みがこもった熱いまなざしを背中に受けたが、ルドはまったく気にしていなかった。
「どうするかな」
突然できた空白の時間だが、特にすることがなかったルドはとりあえず家まで歩いて帰ることにした。
少し歩くと食べ物のいい匂いが漂ってきた。昼前ということもあり通りの市場から威勢のいい声が聞こえてくる。
「たまにはこういう昼ごはんもいいかな」
ルドは匂いに誘われるように市場の中へと入っていった。
高い天井に広い空間がある。だが、その空間を埋め尽くすように様々な店が並んでいた。
個人が開いている店が多いため、規模は小さいが食材の種類は豊富だ。肉なら鶏肉から豚、牛、羊、山羊までそろっている。
他にも魚は淡水魚から海水魚まで売られており、野菜は季節ものを中心に果物まで揃っていて店を彩っている。あとは、それらを調理した食品を売る店、飲み物やデザートを売っている店もあった。
ルドは食品を売っている店が多い区画を歩いた。歩きながらでも食べられそうなものを物色していると、必ずと言っていいほど威勢のいいおばちゃんに声をかけられた。
「お兄ちゃん、カッコいいね。サービスするから買っていかないかい?」
「おや、男前さんだね!うちの一個どうだい?揚げたてだよ!」
声をかけられるたびにルドは軽く手を振って愛想笑いで通りすぎて行った。こういう活気がある市場の雰囲気は心地よく、商品を見ているだけでも楽しくなる。
ルドが何を食べるか考えながら歩いていると、若い女性の声がした。
「ちょっと、そこのお兄さん!お昼ご飯まだなら、うちで食べていってよ!」
若い女性というかルドと同い年、もしくは年下ぐらいの少女が飲食店の前で声をかけていた。店の横に簡素なテーブルと椅子があり、買った食品をそこで食べられるらしい。
下をむいて商品を見ていたルドが顔を上げると少女が喜んだ。
「キャー!お兄さんカッコいい!絶対、うちで食べていって!」
明るく元気な少女がルドの手を引こうとした。しかし、その前にルドが反射に近い速度で少女から離れる。
「え?あれ?」
目の前にいたはずの人が遠くなっており、少女は不思議そうに首を傾げた。もう一度ルドを見ると、不自然なほどの大量の汗が流れている。
「どうしたの?調子悪いの?」
少女の疑問にルドがギクシャクと首を横に振る。
「ナ、ナンデモナイ。シツレイスル」
突然、片言になったルドはその場から駆け足で逃げ出した。
市場の出入口まで走ったルドは柱に手をついて息を整えた。
「……やはりダメか」
ルドは同年代の女性に触れられるのが苦手だった。相手から触れてくる様子がなければ、普通に会話をするぐらいは問題なくできる。
だが、一度でもこちらに触れようとした瞬間、ルドの全身が拒否をするのだ。先ほどのように全身から汗が吹き出し、まともに話せなくなり逃げ出してしまう。
その一方で、子どもや親世代以上の女性なら触れられても問題なかった。そのため結婚相手は十歳以上離れている年下か、二十歳以上年上の女性を探さないといけないのでは、と身内から囁かれている。
もし本当にその条件で結婚相手を探したら、世間からはロリコンもしくは熟女好きのレッテルを貼られてしまうだろう。
「はぁ……」
嫌なことを思い出したルドが落ち込んでいると、後ろから声をかけられた。
「失礼します。クリス様のお弟子様ですね?」
「ん?」
なんとなく聞き覚えがある声だったので振り返ると、そこには先日呼び出されたオンディビエラ子爵のところにいた老執事が立っていた。
庶民が集まる市場に不釣り合いな執事服を着た老人に自然と人々の視線が集まる。
ルドは軽く首を傾げて訊ねた。
「そうですが、どうしました?」
「ご主人様がお話しをしたいと申しておりまして、少しお時間をよろしいでしょうか?」
ルドは少し考えて頷いた。
「わかりました。いいですよ」
老執事はどこか安堵したような顔になり、大通りに停めている馬車を手で示した。
「こちらへどうぞ」
ルドが馬車に乗って案内されたのは城の近くにある料理店だった。外観は豪華な造りで、まず庶民は入れない。そんな客を選ぶ店だ。
馬車から降りたルドは若い店員に値踏みをされるような視線を向けられた後、丁寧ながらも冷めた態度で個室に通された。
そこでは、しっかり脂肪を蓄えているオンディビエラ子爵が油たっぷりの肉の塊を食べているところだった。
……共食いか?
ルドがぼんやりと失礼なことを考えていると、オンディビエラ子爵が声をかけてきた。
「やあ、ようこそ。緊張していないで、ここに座りたまえ」
相変わらずの態度にルドが内心ため息を吐きながら椅子に腰かける。そこに給仕がメニューを持ってきたが、ルドは受け取ることなく手で制すると質問をした。
「今日のおすすめは?」
「鴨肉のソテーと子羊の炙り焼きになります」
「それなら、鴨肉のソテーを一つ。あと、それに合うサラダとスープをお願いします」
慣れた様子で注文するルドの姿にオンディビエラ子爵が驚いて手を止める。
だが給仕は気にすることなく淡々と仕事を遂行した。
「飲み物はいかがいたしましょう?」
「デラウェイ産の水で」
ルドの注文にオンディビエラ子爵が思わずむせる
。デラウェイ産の水といえば良質な湧き水で有名だ。
だが場所が遠く、湧き出ている量も少ないため手に入りにくい。そもそも、ここのメニューにない水である。
庶民の若造が虚勢を張るために知っている高級な水の名前を言っただけだと判断したオンディビエラ子爵は笑いながら言った。
「その水はここでは取り扱ってない……」
オンディビエラ子爵が否定する前に、何かに気が付いた給仕が慌てて頭を下げる。
「かしこまりました」
そのままメニューを持って急いで下がる給仕にオンディビエラ子爵が不思議そうな顔をした。
普通ならメニューにない料理や飲みものの注文は絶対に受けない。それなのに、なぜルドの注文は受けたのか。
オンディビエラ子爵が考えていると、ルドが声をかけた。
「で、私に何の話があるのですか?」
オンディビエラ子爵が我に返り、態度を大きくして悠然と言った。
「そうそう。クリス様について大事な話があってな」
「師匠について?」
「そうだ。そもそも君は治療師に必要なものが何か知っているかい?」
「必要なもの?」
話が見えないルドが眉間にシワを寄せる。そこに前菜のサラダとスープが運ばれてきた。
前菜とはいえ、普通はこんなに早く料理が運ばれてくることはない。オンディビエラ子爵が思わず給仕に疑問の視線を向ける。
そこにルドが答えを言った。
「治療魔法ですか?」
給仕に気をとられていたオンディビエラ子爵が慌てて視線をルドに戻す。
「そ、そうだ。そして治療師が治療魔法を使うには神の加護がいる。逆に言えば神の加護がなければ治療魔法は使えない」
そんなことは言われなくても知っている。いや、身をもって体験している。クリスの指にできた小さな切り傷さえも治せなかった。
ルドは不甲斐ない自分への怒りを抑えながら訊ねる。
「それで?」
「つまり神の加護がないものは治療師にはなれない。治療師の資格がないということだ」
そこに鴨肉のソテーが運ばれてきた。高慢な態度で説明しているオンディビエラ子爵を遮るようにルドの前に鴨肉のソテーが置かれる。
これも、普段からは考えられない早さだった。明らかにルドの料理を優先して作り、運んでいる。
だがルドはこれが当たり前のように料理を受け入れ、フォークとナイフを手に持った。
鴨肉はナイフを当てると力を入れなくても切れた。焼き加減は申し分なく肉の味もしっかりしている。だがルドはなにか物足りなさを感じた。
ルドは頭の中で物足りなさの原因を考えながら、黙ってしまったオンディビエラ子爵に質問をした。
「で、それが師匠とどういう関係があるのですか?」
オンディビエラ子爵は給仕が個室から出て行ったことを確認してから、ルドに耳打ちをするように小声で言った。
「小耳に挟んだのだがクリス様は神の加護がないそうだ」
「は?」
ありえない言葉に、思わずルドの口から間抜けな声が出ていた。
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