第24話 御者による少し過激な忠告

 クリスがルドを連れて治療院の門を出たところで、左腕がない御者が操る馬車が停車した。


「お迎えにあがりました」


 あまりのタイミングの良さだが、クリスは驚くことなく馬車に乗り込んだ。


「手際がいいな」


「馬の手入れをしていたら、突然カリストがクリス様を迎えに行ってこいって言ったんっすよ」


「と、いうことは、あいつ私が連行されるという情報を仕入れていたな。おまえも乗れ」


 クリスに促されてルドも馬車に乗る。御者はゆっくりと馬車を発進させた。


「今度は何をやらかしたんっすか?」


「何もしてない」


 クリスの憮然とした態度に対して御者が豪快に笑う。


「ま、クリス様の何もしていないは当てにならないっすからね。とりあえず帰りますよ」


「あぁ」


 のんびりと馬車に揺られながらクリスが鞄から本を取り出してルドに渡した。


「この本を読んで、内容を全て覚えろ。あと絶対になくすな」


「はい」


 ルドは手渡された本の中身を見て琥珀の瞳を丸くした。


「これは……」


「解剖学の本だ。わかりやすく言うと人間の体の中身が描かれている」


 クリスの説明通り、本には筋肉や神経、臓器の絵が描かれていた。体のどこに、どのような臓器があるのか、その臓器がどのような働きをするのか、という説明文までこの国の言葉で書かれている。


 ルドは揺れる馬車の中で食い入るように本を覗き込んだ、ところで取り上げられた。


「し、師匠!?」


「酔うのは勝手だが、それで馬車を汚されては困る」


 これだけ揺れる馬車の中で本など読めばすぐに酔う。ルドは名残惜しそうに本を見つめる。その姿はさながらエサの前で待てをさせられている犬だ。

 ルドは今すぐにでも読みたい気持ちを抑え、渋々頷いた。


「……わかりました。家で読みます」


「よし」


 クリスがルドに本を渡す。


「師匠と弟子っていうより、ご主人様と犬って感じっすね」


 誰もがそう思っていながらも、誰も正面から言わなかったことを御者が堂々と言う。その言葉にクリスが腕と足を組んだ。


「犬でも勿体ないぐらいだ」


「師匠!この前、自分のことを弟子って認めてくれたじゃないですか!?」


 揺れる馬車の中でルドが思わず立ち上がって訴える。


「そうだったか?」


「師匠!」


 馬車が石を踏んで大きく揺れる。その反動でルドはバランスを崩しかけたが、馬車の壁に手をついて転ぶことは免れた。


「危なかった」


 ルドが息を吐くと目の前にクリスの顔があった。

 普段は長い前髪で隠れている深緑の瞳が大きく開き、金色の睫毛が馬車の窓から差し込む光を弾く。形のよい鼻に花びらのような唇。滑らかな肌に茶色の髪がかかる。年齢は近いようだが、こうして改めて見ると華奢なのがよく分かる。


 一方のクリスは何が起きているのか理解できず、思考が停止していた。馬車が大きく揺れたと思ったらルドの腕が顔の横を貫き、吐息がかかるぐらいの距離にルドの顔が現れたのだ。


 太陽のように輝く琥珀の瞳。全体的に短く切りそろえ、炎のように逆立っているが襟足だけ長く伸びた赤髪。意外と整っている大型犬のように人懐っこい顔。服で隠れているが体は鍛えられており、手足もスラリと長い。外見だけなら男前に分類されるだろう。


 時が止まったように見つめ合う二人の間に一陣の風が吹いた。ルドが両手を挙げて琥珀の瞳を横に向ける。

 すると、そこには手綱をナイフに持ち替えた御者が器用に窓から上半身だけを乗り入れて、ルドの首にナイフを突きつけていた。


 ルドと御者の間に一触即発の空気が流れるが、それをクリスの不機嫌な声が沈めた。


「ルド、離れろ。マノロ、仕事に戻れ」


 有無を言わさぬ命令に二人が素早く動く。ルドは始めに座っていた場所に身を縮めてちょこんと座り、御者はナイフを収めながら定位置に戻ると手綱を取った。


「ルド、馬車に乗っている時は立つな。マノロは手綱を離すな。馬が暴走したらどうする?」


 先ほどの雰囲気が嘘のように御者が豪快に笑いながら答える。


「こいつらは、おれより賢いですから大丈夫っすよ」


「まったく」


 クリスが呆れていると、ルドが平然と御者に声をかけた。


「それにしても身軽ですね。走っている馬車の上を移動するなんて、なかなか難しいですよ。しかも片手で」


「こんなの嵐の海に比べれば、可愛いもんっすよ」


「船乗りだったのですか?」


 そう考えれば鍛えられた筋肉と日焼けした肌は納得がいく。御者は快活に笑いながら答えた。


「ガキの頃からずっと船に乗っていて、他の大陸にだって行ったことがあるっすよ」


「それはすごいですね」


 ルドが素直に称賛する。


 大陸間を移動する船となると大きな木造船になるため、それを動かすにはかなりの労力がいる。だが乗れる人数は限られるため、屈強な男しか船乗りにはなれない。

 しかも事故や嵐などで船が沈没したり、海賊船に襲われたりするなど命の危険がある仕事だ。

 そして、こういう仕事は奴隷がすることが多いのだが、御者は無理やり船乗りをさせられていたのではなく、誇りを持っていたような口調だった。


 それなのでルドは何気なく言った。


「生粋の船乗りなんですね」


「そうっす。おれは代々船乗りの家系でジジイも親父も船乗りだったんっすよ。この国に占領されてから船は没収されたけど、船乗りとして船には乗っていたんっす」


「それが、どうして今は御者に?」


「積荷を陸に下ろしている途中でちょっとヘマをやって。積荷に体の半分ぐらいを潰されたんっす。けど奴隷なんて使い捨てだから、そのまま港に放置されていたんっすよ。そこに、たまたま通りかかったクリス様が治療して下さったってわけ」


 その時のことを思い出したのか、クリスが苦々しく言った。


「左腕を治すだけの魔力がなかったのが悔やまれるがな」


「何言ってるんすか?体の半分が潰れていたのに、ここまで治っただけでも奇跡なんっすよ」


 クリスが何かを思い出したのか、ふと目を伏せた。


「それは、おまえの生きたいという意志が強かったからだ。あの状態なら体を治しても生きようという強い意志がなければ、どうなっていたかは分からない」


 ルドが首を傾げる。


「怪我を完璧に治しても助からないことがあるのですか?」


「あぁ、不思議なことにな。どんなに治療しようと本人が助からないと思った瞬間、何故か体が弱り最悪、死ぬことがある。人の体とは自分の思い通りに動かないくせに、変なところで正直になる」


 クリスが感慨深く話していると御者が明るい声で言った。


「でも、本当におれは運が良かったっす。で、クリス様に治療してもらったおれは、そのまま拾われて御者になったんっすよ」


 クリスは顔を上げると窓の外に視線を移して素っ気なく言った。


「奴隷には所有者が必要だからな。治療して放置、というわけにはいくまい」


 ルドが目を輝かせてクリスを見る。


「さすが師匠です!」


「鬱陶しい」


 クリスが手で払う仕草をするがルドの表情は変わらない。そこに馬車が停車して、音もなくドアが開いた。


「おかえりなさいませ」


 黒髪の執事が頭を下げて出迎える。クリスは馬車から降りながら訊ねた。


「何故、私に奴隷誘拐容疑がかけられた?」


「クリス様が奴隷を誘拐して治療魔法の実験をしているという密告があったそうです。先ほど、この屋敷を差し押さえると警備隊が数人来ましたが、途中で慌てて帰っていきました」


「私が謹慎するという連絡があって、差し押さえが出来なくなったから引き上げたんだろう。そもそも誘拐などしなくても実験など出来るだろ。そんな密告を信じたのか?バカバカしい」


「当然、建前でしょうけど」


「そうだな。密告したヤツと目的が分かったら報告しろ。あとルドを本部屋に案内しておけ」


「よろしいのですか?」


「あれぐらい見られても問題ないだろ」


「わかりました」


 クリスはマントを執事に渡すと、足早に屋敷の中に入っていった。

 執事はクリスが屋敷に入ったことを見届けると、振り返ってルドに声をかけた。


「では、こちらへどうぞ」


「あ、はい」


 歩きだそうとしたルドに御者が小声で忠告をする。


「不必要にクリス様に近づくなよ。カリストはおれのように甘くないからな」


 ルドが振り返ると、御者は厩に行くために何食わぬ顔で馬車を発進させていた。


「どうかされましたか?」


「いえ」


 ルドが執事の顔を見ると綺麗な顔で微笑んでいた。この国には滅多にいない黒髪が風になびき、黒色の瞳が底なし沼のように不気味にルドを見つめる。

 それが得体の知れない気配と圧力を生み出していた。そのためか、この前は普通に思えた屋敷まで怪しい雰囲気が漂っているように感じる。


 ルドの顔から表情が消え、全身の力が抜けた。

 それは、どんなことがあっても素早く対応できるように、目や耳に神経を集中させていることの現れでもあった。


 そのことに気付いた執事は口角を上げると、綺麗な動作でルドを屋敷の中へと案内した。

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