第23話 警備兵による軽率な行動

 翌朝。

 いつも通り治療院研究所に到着したルドは、そのまま建物の中に入り白いドアの前で立ち止まった。それから、いつものようにドアをノックしようと手を上げて、ふと止めた。


 また昨日のようにいなかったら……


 いなくても来るのを待てばいいだけだし、別に悩むようなことでもない。それなのにルドの心の中で何かが引っ掛かった。

 靄(もや)がかかったような、ぼやけた感情が心を占めていく。ルドはそれを振り払うように首を振ると軽くドアを叩いた。


 重苦しい心のせいか、時間がとても長く感じる。実際は数秒しか経っていないのだが、数十分ぐらい経過したように感じられた。


 ルドがそわそわしながら待っていると、軽い音とともにドアが開いた。そこには、いつも通り茶色の髪を揺らしているクリスがいる。それだけで、ルドを包んでいた暗い気持ちが清々しいほどに消し飛んだ。


「なにをしている?早く入れ」


 いつもと変わらぬクリスの姿に、ルドが口元を緩める。


「おはようございます、師匠」


「腑抜けた顔をしていないで、さっさと入ってこい。昨日の続きをするぞ」


「はい!」


 ルドが部屋に入るとクリスは鞄から一冊の本を出した。


「昨日、貸すつもりだった本だ。慌ただしくなって渡しそびれたが……」


 そこに廊下から激しい足音が聞こえてきた。


「何事だ?」


 クリスとルドがドアに視線を向けると、そのまま乱暴にドアが開いた。


「クリスティアヌス!奴隷誘拐の疑いで連行する!」


 いきなり現れて叫んだのは、街の警備兵の制服を着た男たちだった。そのまま男たちは部屋に入ろうとしたが、部屋の入り口にある見えない壁に顔面をぶつけて立ち止まった。


「な、なんだ!?」


「なにかあるのか!?」


 勢いを削がれた男たちが目の前にある見えない壁を触っていると、鳥肌がたつような冷気が足元から漂ってきた。


「やっと直接教えてもらえると思ったのに……今日も駄目なのか?朝っぱらから邪魔が入るのか?」


 ルドがうつむいたまま明らかに怒りを抑えた声で、無表情のままブツブツと呟いている。

 その様子に男たちは体を引きながらも、虚栄だけは忘れずに威張ってクリスに言った。


「き、貴様がクリスティアヌスか!?おとなしく出てこい!少しでも不審な動きをすれば攻撃するぞ!」


「なんだ……」


 ルドが吠えようとしたが、それより早くクリスがルドの頭を押さえて床に沈めると、起き上がれないように足で踏みつけた。


 その手際の良さに男たちの目が点になる。そこにクリスが余裕の表情で男たちに声をかけた。


「ほう?私を連行する、と?」


 クリスは挑発的な笑みを浮かべると、たたみかけるように早口で訊ねた。


「私が奴隷を誘拐したという証拠はあるのか?ならば、まずは証拠を見せろ。まさか証拠もなしに、この治療院研究所に乗り込んできてはないよな?治療院は国が管理しているが、この治療院研究所は、この街を統治しているセルシティ第三皇子が直轄で管理、保護している機関だ。警備隊ごときが簡単に入っていい場所ではない。場合によっては、おまえたちの部隊だけでなく、隊長と指揮官も厳罰されるぞ。その覚悟はあるんだろうな?で、証拠はどこだ?」


 クリスは途中で咬むこともなく、冷静にかつ淡々と一気に言い上げた。

 男たちはクリスの雰囲気にのまれかけていたが、それを振り払うように大声で返した。


「う、うるさい!そんなものなくても……」


 と、そこで先ほどとは比べ物にならない寒気が男たちの全身を貫いた。その正体を知るために、寒気の原因がありそうな足元に視線を向ける。そのまま男たちの顔は蒼白になり、氷のように固まった。


 そこにクリスが不機嫌な声で問い詰める。


「まさか証拠もなしに来たのか?」


 男たちが硬直した体をどうにか動かして顔を見合わせる。


「そ、それは……」


 口ごもる男たちにクリスがイライラした様子で訊ねる。


「では、なぜ私は疑われたんだ?」


「いや、そういう密告が……」


「当然、裏はとってあるんだろうな?」


「とにかく連れて来いと……」


 クリスが盛大にため息を吐いた。


「おまえら、バカか?無能か?私が奴隷誘拐事件とまったく関わりがなかったことが判明したら、どうするんだ?間違いでした、ではすまないぞ。最低でも、おまえらの首が飛ぶと思え」


 始めは威勢がよかった男たちの額に汗が浮かぶ。その様子を眺めながらクリスが提案をした。


「だが、ここまで来てしまったのに手ぶらで帰っては、おまえたちの顔が立たない。だから私は疑いが晴れるまで自宅で謹慎しよう。証拠が出れば私を捕まえに来い」


「いや、だが、命令では……」


「では、証拠も裏付けもなく連行できるのか警備隊を統治している者に確認してみよう。治療師とは、なかなか便利な職業でな。知り合いは多いんだ。事務室に通話機があるから、確認はすぐにできる。ちょっと待っていろ。あ、私が余計なことを言って、おまえたちの首が飛ぶかもしれないが、それぐらいは容赦しろよ?」


 クリスの脅しに男たちが慌てる。


「ちょっ、ちょっと待て!」


「待てない。こちらは貴重な時間をおまえらのせいで無駄に浪費しているのだからな。さっさと決断できるやつに連絡する」


「わ、わかった!わかったから、待ってくれ」


「待てないと言ったはずだ」


 凛としたクリスの態度に男たちが折れた。


「わかった!謹慎でいい!」


「謹慎|でいい(・・・)か」


 クリスの含みを持った言い方に対して、男たちはヤケクソのように叫んだ。


「謹慎してくれ!いや、謹慎して下さい!」


「そうか。そこまで頼まれては仕方ないな。では、謹慎するとしよう。ルド、行くぞ」


「はい」


 クリスが鞄に本を入れてマントを羽織る。ルドも立ち上がってマントを羽織ると二人は部屋から出て行った。


 そんな二人の後ろ姿を男たちが冷や汗を垂らしながら見送る。正しくはルドの背中で揺れる赤髪を眺めながら。


「……なんで赤狼(セキロウ)がこんな所にいるんだ?」


 男の一人がぼやきながらその場に座り込む。その様子を見ながら、もう一人の男が頬を流れる汗をぬぐった。


「あれが?本当か?」


「あぁ。一度、見たことがあるが間違いない。それに、あんな目をするやつが他にもいたら、いくら味方でも生きた心地がしねぇよ」


「だが、本当に赤狼か?なんでこんなところにいるんだ?」


「そんなの知らねえよ!こっちが聞きたいぐらいだ!」


 緊張の糸が切れた反動か、他の男がヤケ気味に叫ぶ。


「無理やりでも連れて来いって命令だったが……」


 先ほどの状況を思い出した男が身震いをする。


「無理だ。あのまま連れて行っていたら、おれたちが赤狼に消されていたぞ」


「とにかく報告だ」


「立てるか?」


「腰が抜けて動けねぇ……」


 男たちが動けるようになるには、もう少し時間が必要だった。





 クリスが歩きながらルドに声をかける。


「あいつらの態度が途中から不審になったが、何かしたか?」


「いえ。とくには何も」


 軽く睨みつけただけです。


 と、ルドは表情にも出さずに心の中で呟いた。

 クリスはルドを踏んでいたため、ルドの顔は見えなかった。そのためルドが今にも嚙みつく勢いで男たちを睨んでいたことを知らない。


 何かを感じたクリスはあえて何も聞かずに話を戻した。


「では、私は今日から自宅で謹慎する。謹慎がとけたら連絡をするから、おまえも家でのんびりしていろ」


 思わぬ言葉にルドが慌てる。


「そんな!?せっかく治療魔法を教えてもらえるところだったのに!」


「まあ、謹慎がとけるまで、たいした時間もかからないだろ。私が治療できないと知ったら困る連中も多いからな」


「ですが……」


「ん?なんだ?」


 小声すぎて聞き取れなかったクリスがルドの顔を見る。


「いえ!なんでもありません!」


 直立の姿勢で固まるルドにクリスは少し考えて言った。


「私が謹慎中の間に透視魔法と他の魔法を練習したほうが効率はいいな。よし、このまま私の家に来い。さっきの続きを教えてやる」


「はい!」


 ルドの顔が一気に明るくなる。ないはずの尻尾が左右にブンブンと振られている幻想が見えるほどだ。

 その様子にクリスの瞳が柔らかくなる。が、ルドと目が合った瞬間、眼光は鋭くなり反射的に蹴りを入れていた。

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