第17話 執事による鮮やかな身分証明

 クリスは口角だけを上げて感情のない声で言った。


「貴殿の両目と両耳をもらおう。カリストは私の目であり耳でもある。そのカリストを欲しいというのであれば、同じものをもらわなくては割に合わない」


 中年男性が顔を真っ赤にして叫ぶ。


「な、なにを!?私の目と耳が奴隷の執事ごときと同じだというのか!?」


「何を言う?カリストの目と耳の方がずっと価値がある。だが、どうしてもというのであれば、貴殿の目と耳で我慢してやると言っているんだ」


「な!なんだと!?無礼にもほどがあるぞ!」


「涎を垂らしながら人の執事を物欲しそうに見るほうが、よっぽど無礼だと思うが」


「よ、涎など垂らしとらんわ!」


 中年男性がまるで喧嘩している子どものように怒鳴りながらも、右手で軽く口元を拭く。一方のクリスは冷静なように見えて、実はかなり腸(はらわた)が煮えくり返っていた。


 終わりが見えない二人の会話を聞きながら、カリストは平然とカバンを持っていない手を首元にあてた。


「ここは少し暑いようですね」


 その言葉にルドが首を傾げる。今日は晴れているが気温はそこまで高くなく、空気は乾燥しており、むしろ過ごしやすい気候である。


 中年男性がじっとりと見つめる前で、カリストは首元を隠している襟のボタンを外した。そこから繊細な装飾が施された金の首輪が少しだけ姿を現す。


 それを目にした中年男性の顔が一気に変わった。真っ赤だった顔面が、今にも倒れるのではないのかというほど蒼白になっている。


 奴隷が装着する首輪は誰の奴隷であるか分かるように、昔は持ち主の名前が書かれていた。

 それが今では主の名前は記入しなくなったが、持ち主の爵位が一目で分かるように変化した。しかも首輪の装飾が細かければ細かいほど権力と財力があることを表している。


 中年男性は子爵とはいえ奴隷につけている首輪は銀の質素なものだ。

 だがカリストが付けている首輪は金で、しかも装飾は職人による手の込んだ芸術品といえる代物だ。とても奴隷が付けるような品ではない。


 逆に言うと、クリスはそれだけの首輪を奴隷に装着させることが出来る権力と財力を持っているという証明になる。


 中年男性はクリスが自分より遥か上の爵位の持ち主であることを悟り、全身から汗が噴き出していた。

 なんとか言葉を出そうとしているところに、少し怒ったような少女の声が響いてきた。


「ちょっとお父様!治療師はまだですの?」


 中年男性と同じ茶色の髪をした少女がドアの前に現れる。そして入り口にいるカリストを見て硬直した。そのまま頬を赤く染めながらも、不躾なほどカリストに魅入っている。どうやら親子そろって好みは同じらしい。


 そこに中年男性が慌てて娘の隣にくると、先ほどまでの威圧的な態度を消して少女の紹介を始めた。


「娘のイレナです。今まで数人の治療師に治療を依頼したのですが誰も治せなくて、クリス様なら治せるという噂をお聞きしまして、お願いした次第です」


 と、頭を低くして説明をしながら、クリスの機嫌を伺うかのように両手をもんだ。そんな中年男性の態度に娘が怪訝な顔をする。


「治療師ごときに、なんでそんなに頭を下げっ……」


 中年男性が慌てて娘の口を塞ぐと、小声で囁いた。


「いいから、おまえは黙って微笑んでいろ。クリス様に気に入られたら大出世だぞ」


「は?なに言っているの?最高位の治療師だからって……」


「クリス様の執事が付けている首輪を見てみろ」


 娘がカリストの首に視線を向ける。そして金色に輝く首輪を見つけると同時にこげ茶の瞳を光らせた。


 今まで横柄な態度だった娘が一回り体を小さくする。恥じらうように父親の後ろに体を半分隠し、微笑みながら流し目をクリスに向けた。


「突然のことに動揺いたしておりましたの。失礼いたしました、治療師様」


 親子のあからさまな態度の変化にルドは呆れた。


 自分より格下だと威張り散らすくせに、相手が自分より格上だと知ったとたん、掌(てのひら)を返したように頭を下げて媚を売る。中途半端な権力を持った人間がよくやることだ。


 だがクリスは気にした様子なく首を傾げた。


「どこの治療を希望しているんだ?」


「ここですわ」


 娘が髪をかきあげながらクリスに近づく。色っぽくうなじを見せつけているが、クリスに効果はない。


 右目の下から頬にかけてミミズのように膨れている皮膚を見ながら、クリスは淡々と訊ねた。


「皮膚の過形成だな。いつ、どうしてこうなった?」


 すると中年男性が答える前に娘が涙目でクリスに縋りつくように言った。


「三日前、私が庭を歩いていると、メイドがぶつかってきて私をコケさせたのです。その時に顔を怪我して……」


 そう言って娘が両手で顔を覆った。どうやら泣いているつもりらしい。


 中年男性が悲劇のヒロインを演じている娘の肩を抱き寄せて続きを話す。


「すぐ治療師に治療をして頂いたのですが、このようになりまして……」


「そういうことか」


 納得したように頷くクリスにルドが質問をする。


「治療をしたのに、何故このようになったのですか?」


「治療をし過ぎるとこうなることがある。もともと二、三日で治るような軽い怪我だったのだろう。傷は治っているから、この状態で治療魔法をかけても元の皮膚には戻らない」


「治せるのですか?」


 ルドの問いにクリスは当然のように頷く。


「私ならな」


「本当ですか!?」


 顔を輝かせる親子にクリスが鋭い瞳を向ける。


「その前に聞きたいことがある」


「は、はい」


「メイドがぶつかったと言ったが、そのメイドはその後どうした?」


 中年男性がその時のことを思い出したのか、少し怒ったような顔で言った。


「鞭で打ってから捨てましたよ。今、人気の奴隷だから大枚をはたいて買ったのに、役にたたないどころか、とんだ欠陥品だった」


 その言葉にカリストが気配なく部屋から去る。ルドはそのことに気が付いたが何も言わずに視線だけで見送った。


 クリスが親子に確認をする。


「つまり三日前に鞭で打って、そのまま捨てた、というわけだな」


「そうです。それより娘の治療を……」


「行くぞ」


 歩き出そうとしたクリスを中年男性が慌てて止める。


「お、お待ち下さい!どうされたのですか!?」


「先に治療しないといけない者がいる」


「ここまで来たのに、何故!?娘より先に治療とは誰ですか!?」


 クリスが振り返って中年男性に視線を向ける。


「娘を治療してほしければ三日前に鞭を打ったメイドを連れて来い。そのメイドの治療が終わったら娘の治療をしてやる。だが替え玉で誤魔化そうとするな。三日前に鞭でできた傷かどうかは見れば分かるからな」


「な!?たかが奴隷に治療など……」


「グダグダ言っている暇があるなら探し出せ。まあ、無理だろうがな」


 そう言い捨てるとクリスは颯爽と部屋から出て行った。


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