第18話 ワンコ弟子による一方的な宣言

 先を歩くクリスを追いかけながらルドが声をかけた。


「師匠、これからどうするのですか?」


「メイドを見つけて治療する」


「見つけられるのですか?」


 この街はこの国でも二番目の大きさであり人を探すには広すぎる。クリスは黙って振り返ると深緑の瞳をルドに向けた。


 探られているような視線にルドが怯む。


「ど、どうしました?」


「今日はここまでだ。治療魔法については明日、教える」


「え?いや、治療魔法の勉強は明日でもいいのですが、自分はついて行っていけませんか?」


 クリスが再び前を向いて歩きだす。


「これからのことは私が勝手にやることだ。治療院とは関係ないことだから、おまえがついてくる必要はない」


「自分は師匠の弟子です。治療院に関係あろうとなかろうと、師匠について行きます!」


 クリスが屋敷から出ると左腕がない御者が乗った馬車が待機していた。


「クリス様、カリストが呼んでるっすよ」


 左腕がない御者の報告にクリスが呆れたように肩をすくめる。


「あいつの目と耳はどこについているのか不思議になるな」


 馬車に乗ろうとするクリスをルドが止める。


「師匠、自分も連れていって下さい」


「今日はここまでだ」


 クリスは馬車に乗り込みドアを閉めようとしたが、ルドが手を挟んで無理やりこじ開けた。


「連れていって下さい」


 ルドの力技にクリスは軽くため息を吐くと、右手の人差し指と中指をルドの額に当てた。


「ついてくると言うのであれば、これから見聞きしたことは誰にも言わないと誓約の魔法をかけないといけなくなるぞ。もし誰かに話そうとしたら首が絞まり、のどが潰れるが、いいか?」


 脅しだが本気であることはクリスの瞳でわかる。ルドは目を逸らすことなく真剣に答えた。


「誓約の魔法をかけて下さい。師匠との約束ならば命をかけて守り抜きます」


 普段、ルドはクリスを見下ろすことが多いが、今は違った。

 馬車に乗っているクリスをルドが見上げる格好になっており、今の二人の関係を表しているようだった。


 襟足だけ伸ばした赤髪が風に揺れているが、琥珀の瞳は動くことなくまっすぐ見つめてくる。精悍な顔つきと鍛えられた体は無言でも強い意志と圧力を放っている。


 時が止まったかのように空気が凍りついていたが、クリスは諦めたように息を吐いて右手を下げた。


「おまえに魔力を使うほうが勿体ないな」


「へ?」


 クリスは馬車の中に入って椅子に座ると、窓の外に視線を向けてルドに言った。


「来ないなら置いていくぞ」


「行きます!」


 ルドが勢いよく馬車に乗り込む。そんな二人のやりとりを静観していた御者は苦笑いをしながら声をかけた。


「出発するっすよ」


 馬車は軽快な音とともに目的地にむけて走り出した。


 どこに向かっているのか分からないままルドがクリスに訊ねる。


「メイドを見つけて治療をしたとして、オンディビエラ子爵の娘の治療はどうするのですか?」


「命に関わるわけではないし、別に治療しなくてもいいだろ」


「たしかに絶対に治療しないといけないような傷には見えませんでしたが、なぜあそこまで治療にこだわったのでしょう?」


「あの親子は自分より上の権力者との結婚を狙っているようだったから、小さな傷でも綺麗に治しておきたかったのではないのか?顔が第一印象となる社交界では、顔に傷跡があるのはあまり印象が良くないし、これから伴侶を探すのに不利になると考えたんだろう」


「ありえますね」


「あの程度の傷なら化粧と髪型で誤魔化せるのにな。あと治療師の中でも最高位のストラを持つ私を呼び出して治療させたということを自慢したかったのかもしれない。以前、そういう輩がいたからな」


 クリスが軽くため息を吐く。


「あと、あの傷ができた原因にメイドがぶつかきた、と言ったがそれも怪しい」


「それは自分も思いました。どこか嘘を言っているような雰囲気がしました」


 クリスが窓の外を睨む。


「……とにかく早く見つけるぞ」


 馬車がどんどん街から離れていく。民家が少なくなり畑と牧草が広がる。その景色を眺めながらクリスが呟いた。


「スラム街にいると思ったが……」


 遠くに城壁が見えてきたところで馬車が停車した。目の前には小さな川があり、その横には水車小屋がある。


「ここか?」


 クリスが立ちあがると馬車のドアが開いた。


「お待ちしておりました」


 カリストが悠然と頭を下げる。その姿にルドが思わず琥珀の瞳を丸くした。馬車で移動した自分たちより、どうやって早くここに来たのか。周囲を見るが馬などの乗り物はない。


 だがクリスは平然とカリストに訊ねた。


「この中か?」


 クリスが視線だけで水車小屋を見る。


「はい。まだ息はあります」


「そうか」


 クリスが遠慮なく水車小屋のドアを開けた。木で造られた簡素な水車小屋の室内は暗かったが、所々にある壁の隙間から外の光が入ってきていた。


 水車小屋の中に入ったクリスは室内を見回した後、すみに落ちているボロ布に向かって歩きだした。足音が少しずつ大きくなる。そのことにボロ布が微かに動いた。


 思わず身構えたルドを手だけで制したクリスは穏やかに声をかけた。


「怯えるな、と言っても無理だろうが警戒しなくていい。危害を加えるつもりはない」


 かけられた言葉とは反対にボロ布が小刻みに震えだす。クリスがボロ布の一歩手前で立ち止まり、そのまま膝を床につけた。


「私は治療師だ。どうか傷を治させてもらえないだろうか?」


 ボロ布が微かに動く。


「……ち……りょうし……?」


 やっと出た言葉は擦れており聞き取りづらかった。だがクリスはその声だけで状態を悟った。


「無理に声を出さなくてもいい」


 しかし女性はクリスが言った言葉が聞こえていないのか、ガタガタと震えだした。


「わた……何もしていな……叩かない、で……」


「何もしていないのに鞭で打たれたのか?」


 女性がぼろ布の下でコクリと頷く。


「かお……気に、いらないって……いきなり、叩かれ……たおれて、お嬢さ……の顔に、きずを……それから、むちで……」


 クリスが苦々しく舌打ちをした。


「あいつらのやりそうなことだ。腹立たしい」


「こな、いで」


 ぼろ布が後ずさるが壁にぶつかり身動きがとれなくなる。


「痛みと熱で体が辛いだろ?せめて傷だけでも治させてくれ。動けるようになったら自由にすればいい」


 クリスの言葉にボロ布が微かに動いた。


「どう……して?」


 当然の疑問にクリスが苦笑いを浮かべる。


「これは性分でな。屋敷にはおまえと同じような状況で治療して、そのまま居ついた者が大勢いる。もしかしたら、おまえと同郷の者もいるかもしれん」


「……ほんとう、に?」


 ボロ布からばらばらに短く切られた栗色の髪と碧い瞳が現れた。だが顔は原型が分からないほど腫れあがり、口もまともに動かせない。


「やはりエマと同郷の者だったか」


「エマを、知って!?」


「あぁ。今は私の屋敷にいる」


「……エマ」


 女性が考え込むように俯く。そこでクリスはそっと右手を近づけようとしたが、女性は怯えて顔をぼろ布の中に隠した。


「傷を治すだけだ。悪いようにはしない」


 クリスは女性に触れないように手をかざした。


「まずは顔の傷を治そう。それでは話もできないからな」


 クリスが深緑の瞳を細める。


「頬骨と顎骨の骨折の修復。損傷した神経の修復……の前に腫れをとるか」


 ぼろ布の下から光が零れる。女性がゆっくりと右手を挙げて顔に触れた。


「まだ動くなよ。顔面神経の修復」


 再びぼろ布の下が光る。さきほどの擦れた声とは違い、柔らかい女性の声がした。


「顔の……痛みが、なくなった?声も……戻ってる!?」


「とりあえず顔の傷は治した。軽い傷は残っているが数日で治るだろう」


「本当に?」


 女性がぼろ布から顔を出す。その顔は先ほどとは違い、すっきりとしていた。

 アーモンド形の大きな碧い瞳、形の良い鼻、丸く整った顔の輪郭、と人形のような外見だった。ところどころ痣が残っており、顔色も悪かったが、それでも先ほどと同一人物の顔には見えない。


「美人も大変だな。それだけで、いらぬ感情を買う。次は体の傷を治すぞ」


 女性の背中に右手をかざしたクリスは眉をひそめた。


「鞭でできた傷の一部が感染をおこしているな。カルロス、薬を準備しておけ」


「はい。飲み薬でよろしいですか?」


「あぁ。あと数か所、骨にヒビが入っている。とりあえず感染をおこしていない傷と骨のヒビを治そう」


 クリスが目を閉じて両手を女性に向ける。


「皮膚組織の修復、左第三肋骨、左上腕骨、左尺骨の修復」


 女性の全身がほんのりと輝く。痛みが軽くなった女性が驚いたように全身を見た。


「え?本当に治って?あの、どうして?」


 困惑したように女性がクリスに視線を向ける。


「さっきも言ったが性分でな。感染をおこしている傷は、感染を治してから治療しないと傷が治りにくい。だから、薬を飲んで栄養がある物を食べて休むことだ。感染が治ったら傷を治療するが、それまで行く場所がないなら、私の屋敷に来たらいい」


「ですが……」


 そう言ってうつむく女性にクリスが独り言のように呟いた。


「エマがもうすぐ出産するから人手が欲しかったところなんだが……」


 女性が驚いて顔を上げるが、クリスは視線を合わすことなく斜め上を見上げたまま言った。


「初めての出産だし、同郷の者がいればエマも心強いだろうな」


 その言葉に女性の体が動く。だが、そこに澄んだ青年の声が響いた。

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