第12話 ワンコ弟子による強引な移動

 クリスが宣言すると同時に、執事が楕円形の金属の皿を差し出した。皿の上には、クリスが女性の腕を診ていた間に執事が金属の箱から取り出した、ピンセットや小型ナイフなどの道具が並んでいる。


 クリスが右側に立っている執事に向けて左手を出した。


「鈎ピン」


 執事が言葉と同時に片手に収まるぐらいのピンセットをクリスの手に渡した。ピンセットの先は丸く、鉤爪のようなものが付いている。


 クリスはピンセットで黒い皮膚と普通の皮膚の間をつまみながら右手を執事に向けた。


「メス」


 再び言葉と同時に執事がクリスの右手に小型のナイフを渡す。持つ部分が長いナイフは先の部分だけに半円状の刃が付いていた。


 クリスは黒くなった皮膚を見つめたまま渡されたナイフを見ることなく掴んだ。そのまま黒くなった皮膚と普通の皮膚の間にナイフを近づける。


 と、ここでクリスは顔を上げて女性に言った。


「終わるまで後ろを向いていろ。痛みがあれば言え」


「は、はい!」


 女性が腕を動かさずに体ごと顔を背ける。


 クリスは迷いなく皮膚にナイフを入れた。そのまま肉をスライスするように薄く黒くなった皮膚を削いでいく。

 皮膚の下の組織が見えるのだが、不思議なことに血が出てこない。その代わりに独特の焦げくさい臭いがしてきた。


 この臭いにルドは覚えがあった。人肉が焼ける独特の臭いと同じ。

 最近はこの臭いと無縁の生活をしていたが、簡単に忘れられるものではないらしく、すぐに分かった。


 ルドは表情を変えることなく質問した。


「師匠、なぜ血が出ないのですか?」


「火炎魔法で焼きながら切っている。出血する前に血管を焼いて塞ぐから、血は出ない」


 クリスは焼きながらと言ったものの、切った後に焦げたような跡はない。組織を傷つけすぎないように最低限の火力で焼いているのだろう。


 ルドがクリスの魔法の調節力に驚いている間に、クリスは黒くなった皮膚をあっさりと切り終えた。楕円形の皿の上に切り取った皮膚とピンセットとナイフを置く。


「これで皮膚の切除は終わりだ。まだ、こっちを向くなよ」


 女性が振り向きかけて、もとに戻る。クリスは赤い肉が見える腕の上に手をかざした。


「皮膚組織の修復」


 クリスが宣言すると赤かった部分が白くなり、黄色くなり、皮膚が出来上がった。


「よし、見てもいいぞ」


 クリスの言葉に女性が恐る恐る顔を向ける。そして傷跡一つない腕を見て破顔した。


「嘘!?本当に!?どの治療師でも治らなかったのに!」


 喜ぶ女性の左ひじをクリスが掴んで、すぐに放した。


「痛みはないか?」


「はい!なんともないです!」


 クリスが用紙に何かを記入する。


「今度から泥酔している時に湯たんぽは使うな。治療は終わりだ」


「はい!ありがとうございました!」


 女性が軽い足取りで小部屋から出て行くと、入れ替わるように次の人が入る。

 こうしてクリスは次々と治療をしていった。魔力を確実に消費しているが食事を取ることはなく、たまに水分を取るぐらいだ。


 ルドがクリスの体調を心配していると、薬を希望した老人が入ってきた。


「お久しぶりです、クリス様」


 老人はラミラと話していた時と態度が違った。ラミラにはどことなく表情と態度が険しかったが、クリスには笑顔で愛想が良い。


 クリスはラミラが記入した用紙を読みながら訊ねた。


「薬がなくなってから足の腫れがひどいか?」


「そうです。他の治療師に治療魔法をかけてもらったら、その時は腫れが引きますが、次の日には戻るんで困っとります」


「夜、足を高くして寝ているか?」


「言われた通り、足の下に枕を置いて寝ております。腫れは少しマシになりますが、完全には引きませんわ」


「そうか。ベッドに横になれ」


 老人がゆっくりとベッドに寝る。クリスは手をかざすと胸からお腹、足へと動かしていった。


「前回とあまり変わりなさそうだな。加齢とともに、どうしても心臓の動きと足の筋肉の動きが弱くなるから、足が腫れやすくなる」


 クリスは椅子に座ると用紙に何かを記入して執事に渡した。


「では薬を準備するから待っていろ。あまり塩辛い料理は食べるなよ。腫れが酷くなってもいいなら、止めないが」


「わかっておりますが、なかなか難しいですな。この年になると食べ物ぐらいしか楽しみがありませんので」


 ハッハッハッと笑いながら老人が小部屋から出て行った。その態度にルドの顔が歪む。


「せっかくクリス様が治療されているのに!なんですか、あの態度は!」


「まあ、怒るな。先が短いのに好きな食べものも食べずに我慢して過ごすか、好きなものを食べて、ますます短くするか。それは個人の自由だ」


「ですが……」


「それでも生きないといけないからな。少しでも生きやすくするのが治療師の役目だろ?次の人を入れろ」


 クリスはルドとの会話を切って次の人の治療へと移った。





 結局、クリスは休憩を取ることなく夕方まで治療を続けた。

 ルドがクリスの体調を心配しているとラミラが部屋に入ってきた。


「終わりか?」


 クリスの質問にラミラが一枚の紙を渡す。


「あと、もう一人。全身の痛みがひどくてベッドから動けない人がいるそうです」


「そうか。日が沈む前に終わらせたいな。家はどこだ?」


 クリスが椅子から立ち上がり歩きだした。その動きはどこか緩慢で疲労していることがわかる。


 ルドは手を貸そうとしたが執事に止められた。


「申し訳ございませんが、見守るだけにして下さい。主は手助けをされることが苦手なのです」


「ですが……」


 どことなく足元がふらついているクリスを見てルドが決心する。


「師匠!失礼します!」


「なっ!?」


 ルドが豪快にクリスを肩に担ぎ上げる。


「何をする!?下ろせ!」


 騒ぐクリスを無視してルドがラミラに声をかける。


「目的の家は遠くですか?」


「いえ、そんなに遠くはないです」


「では、このまま行きます」


 ルドの言葉にクリスが慌てる。


「おい!勝手に決めるな!おまえらも止めろ!」


 クリスが周囲を見ると、執事は視線を逸らして微かに肩を震わせており、廊下にいたカルラは子どもを見守るように微笑んでいる。


「そのほうが早く行けますね。さっさと行きましょう」


 にこやかにラミラが早足で歩きだす。


「師匠、しゃべっていたら舌を噛みますよ」


 そう言ってルドが歩きだす。クリスは諦めて脱力した。目を閉じて現状を考えないようにした。

 それでも雰囲気で執事とメイドに笑われていることを嫌でも察したが、クリスにはどうすることも出来なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る