第30話 現主による大胆な奪還劇

 薬による強制的な眠りによって女性が意識を手離しかけた時、突然複数のガラスが割れて女性の口を覆っていた布が飛んだ。


「何事だ!?」


 青年の緊迫した声に、意識を失いかけていた女性がどうにか目を開ける。すると、自分の口を押えていた人たちが床に倒れていた。こめかみには小さな穴が開いており、そこから少しだけ赤黒い血が流れている。


「え……?」


 女性が朦朧とする頭で考えようとすると、周囲にいる人が次々と倒れていった。全員がこめかみに小さな穴があり赤黒い血を流している。


「ルーチェ!?」


 女性が倒れた人へ手を伸ばそうとしたところで、首に剣を突きつけられた。

 青年が女性を盾にするように抱え、どこにいるか分からない襲撃者に向けて叫ぶ。


「どこの誰かは知らないが攻撃を止めろ!止めなければ、こいつの命はないぞ!」


 自分たちが目的なら、もっと派手に攻撃をして全員の動きを一斉に止めるほうが簡単である。だが、それをせずに一人一人確実に仕留めているのは、女性を傷つけたくないからだ。


 そう判断した青年は女性を人質に取ることにした。そして青年の読みが正しかったらしく、攻撃が止んだ。


 青年が周囲を警戒していると入り口の方から足音が響き、ドアが開いた。


「それはこちらのセリフだ。勝手に人のメイドを誘拐して何が目的だ?」


 思ったより若い声に青年が眉を寄せる。暗い廊下から部屋に入ってきたのは、十代半ばか後半ぐらいの人だった。長い前髪で瞳を隠しており、少年にも少女にも見える。


 堂々と独りで入ってきた侵入者の姿に女性から声が漏れた。


「クリス様……」


「何者だ!?」


 青年の問いにクリスが平然と答える。


「エマの今の主だ。エマを返してもらおうか」


 歩き出したクリスを威嚇するように青年が剣をエマの首に近づける。


「動くな!動けば、こいつの命はないぞ!」


「そもそも命を取るつもりなのに、おかしなことを言うな」


 呆れたように言いながらもクリスが足を止める。そのことに自分が優位であることを感じた青年が次の命令をした。


「武器を全て捨てろ!魔法を使おうとすれば、即座にこいつの首を落とす」


 言葉に従うようにクリスがゆっくりと両手を挙げる。


「慌てるな。武器は持っていない」


「武器を持っていないだと?どうやって、ここまで入ってきた?途中に見張りの傭兵がいたはずだ」


「別に武器などなくても眠らせるだけなら、いくらでも方法はある。それよりエマがそろそろ限界のようだ。返してもらう」


 そう言い終るとクリスは右手を軽く横に振った。すると青年が持っていた剣がはじけ飛び、目の前に黒い人影が現れた。


「誰っ……」


 青年が黒い人影に気をとられた一瞬の隙に布を被った小柄な人が足元にまで迫ってきた。


「なっ!?」


「失礼いたしますよ」


 執事の丁寧な言葉とは反対に、青年の体は布を被った小柄な人によって雑に飛ばされ、背中を壁に打ちつけた。


「ゲホッ、ゲホッ!」


 青年が咳込みながら上半身を起こす。すると黒い瞳でこちらを見下ろしている執事がいた。年齢は若いが執事服を着こなしている姿は往年の貫禄がある。


 執事は艶やかな黒髪をなびかせて優雅に微笑んだ。


「今は亡きルーファット王国の第二王子、ベッディーノ様ですね?」


 疑問形だが執事の言葉は確信を含んでいる。ベッディーノは何も言わずに碧い瞳で執事を睨んだ。


「この街を治めているセルシティ第三皇子より伝言です。素直に投降するのであれば、今回の事件は目を瞑る。だが、拒否するのであれば……」


 それより先は言わずに執事はベッディーノに訊ねた。


「どうされますか?」


「答えは否だ。どうせ我が王族に伝わる秘術が知りたいだけだろうが、そうはいかない。貴様たちはこれから召喚する悪魔によって国ごと滅ぼされるのだからな!いけ!」


 ベッディーノの命令で倒れていたアンデッドたちが一斉に立ち上がる。そのまま武器を拾おうとしたが、次々とはじけ飛んでいく。アンデッドたちは床を滑っていく武器を追いかけ、なかなか攻撃できない。


 その光景にベッディーノがイラついたように怒鳴った。


「武器は使わなくていい!殴り殺せ!」


 命令通り武器を持つことを止めたアンデッドたちがクリスと執事に向かって走り出した。

 迫り来るアンデッドを前にクリスは慌てることなく、いつものように執事に命令をした。


「任せるぞ」


 緊迫した現状とは場違いなほど執事が優雅に頭を下げる。


「お任せを」


 クリスは軽く頷くと駆け出した。アンデッドたちが反応してクリスの方へ向きを変える。そこに銀の食器用ナイフが飛んできて、アンデッドの首や心臓に突き刺さった。


 正確に急所を貫いているが、アンデッドは突き刺さったナイフを抜くこともなく、そのまま執事の方を向いた。痛みも何も感じていないようで、無表情のまま動いている。


 そのことに執事が感心したように言った。


「頭を撃ち抜いても、神経や動脈や心臓を刺しても動けるとは。どういう仕組みで動いているのか非常に興味をそそられますね」


 執事の両指の間に新しい銀食器のナイフが現れる。


「さて、どこまで動いていられますかね?」


 そう言った執事はとても良い笑顔をしていた。




 残りのアンデッドたちがクリスを攻撃しようと群がる。複数のアンデッドがクリスに手を伸ばしたところで、その手が消えてアンデッドたちの体が吹き飛んだ。


 気配を消して控えていた布を被った小柄な人が、クリスの進路を作るように次々とアンデッドを倒していく。

 そのおかげで、クリスは身を守ることを考えることなくエマの元まで走り抜けた。


 台の前に到着したクリスが周囲の喧騒を気にすることなくエマに右手を向ける。


「……クリス様、すみません」


「おまえが謝る必要はどこにもない。破水しているな。アンドレ、急いでエマを運……どういうことだ!?」


 クリスが確認するように両手をエマの下腹部に当てる。


「何故、横位になっている!?この時期にこんなこと、ありえな……しかも手が出てきているだと!?これでは産道を通るのは無理だ!産まれることが出来ない!」


 思わず叫んだクリスにベッディーノが声高に笑った。


「あと一人、その魔法陣で魂が捧げられた時、腹の子は悪魔となり自ら腹を破って生まれてくる!もう誰にも止められない!」


 ベッディーノの声に呼応するように床に描かれた魔法陣が赤く輝く。


「クリ……ス……様……」


「エマ!?しっかりしろ!体力が急激に落ちている……この魔法陣のせいか」


 クリスが執事に視線を向けると、どこを攻撃しても動きが止まらないアンデッドに苦戦している姿があった。


「カリスト!まだ終わらないのか!」


「すみません。意外と頑丈でして」


 どこを攻撃しても動くため、物理的に動けなくするしかないと判断したカリストはアンデッドの手足を切り落としていた。


 手足を失くしたアンデッドは動こうとするものの、ひっくり返った亀のようにその場でモゾモゾするしか出来ない。これでアンデッドの動きを封じることができるが、手足は簡単に切り落とすことはできない。しかも数が多いため時間がかかる。


 思わぬ危機的状況にクリスは無意識に唇を噛んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る