5 明日ってのは明るいもんなんだよ

第9話 明日ってのは明るいもんなんだよ①

 どのくらいの暑さのなかにいたら、身体はとろとろに溶けるのだろうか。

 まだ真夏ではないというのに、この暑さ。クーラーのある店から出た瞬間、サウナに入ったかのような熱気が肌に汗を滴らせ、喉を乾かせる。

「まじあちいわ」

 神山が僕に同意を求める。

 暑いのはわかってるんだからいうな、余計暑くなる。などと口にする気も起きない。

「毎年どんどん暑くなってる気がする」

 たしかにその通りだ。自分が子供の頃よりも夏の訪れは早く、気温は上昇し続けている。

「早く冬になればいいのにな」

 神山はそういって、コミックをシュリンクし続けている。レジのうしろにある機械に通して、ビニールを熱で縮めているので、周囲は店内とは思えないほど暑い。

「冬になったらさっさと春になれ、夏になれっていうんだろ」

「なんだろうな、季節って、忘れちゃうよな」

 神山はまじめくさった顔をしていった。

「俺、冬がどれだけ寒かったか、もう思い出せない」

「アルツハイマーじゃないのか」

「やばいかなあ」

 そういって神山はビニールをかけ続けている。

 話を膨らませはしなかったが、わかる。いつだって、いつのまにか季節は変わり、それまでのことなんて思い出せない。いや違った。そんなちょっと前のことですら、思い出すことは煩わしく、忙しい。

 たいして自分は働いていない。いわれたことをこなし続けているだけだ。休みもきちんとある。なのに、足りない。頭を休めるのは眠るときだけだ。寝ているときだって、夢を見て、悪いものならば翌日まで引きずることになる。

 僕はレジに立ったまま、なんのやる気も起きずにいた。あくびを止めることができなかった。

「豪快なあくびだな」

 神山は僕に呆れながら、僕の前にビニールのかかったコミックを積んだ。

「昨日飲酒したもんでね」

「めずらしいじゃん。松田くん、飲み会でも最初のビールくらいしかとらないのに」

 昨夜はひさしぶりに早坂長太郎と会った。


「明日ってものは明るいもんなんだよ」

 早坂長太郎がいった突然の言葉に、おどろいた。

「なにいってんだ? 酔っ払ってんのか」

 新宿ゴールデン街のバーで僕らは飲んでいた。その店は、早坂の後輩が毎週月曜に店に出ている。カウンター席五つだけの小さい店だ。後輩の女の子、ミチヨちゃんは、勘定のときくらいしか口をひらかない。注文しても返事一つしない。会員制、と店の扉にかけられており、扉は閉められている。新規の客がほとんどこないらしく、しゃべらずにいられるらしい。いつもスマホで動画を観たり、文庫本を読んでいる。店に音楽はなく、薄い壁からとなりの店の笑い声やカラオケが聞こえる。

 梅雨があけた、と今日ネットニュースで見た。早坂の誕生日からずいぶんたってからのことだった。

「まあ聞け、万年文学青年よ」

 そういって早坂は僕を指差す。

「お前のように、三十過ぎてもしょーせつだ、ぶんがくだ、などと青臭くもお美しいときを過ごしておる輩と違ってだな、俺には生活というものがある」

「お言葉を返すようですが、わたくしめにも生活はありますが」

 くちを挟んだ僕を、早坂は、いいからだまって聞け、と制した。

「責任ある仕事、妻と子供が待つ家庭、生前分与だ同居だ介護だ親戚付き合いだ、もっと孫をこさえろだといってくる両親、そういうものを日々ちぎっては投げちぎっては投げ、俺は生きているわけですよ」

 おい待てよ、と口を挟みたいところだが、やめた。

「なるほど」

 頷くよりほかない、というよりも、なにか口答えするものならば、今度はいきなり無口になりふてくされだすに決まっている。

「そんな日々のあいまに、ふと本屋に入ったんだな」

「なんだか長くなりそうだな」

 僕は笑った。

「子供がどんどん成長していく姿を目の当たりにしているとな、自分もその頃に戻ったみたいな気持ちになるもんなんだ」

「いくつだっけ、子供」

「六歳と四歳」

「六歳のときの記憶なんてさっぱり覚えてないな」

 自分はその頃、なにかものを考えていただろうか。

「もうその頃には好みがはっきりしているよ。プリキュアのお気に入りの色とか、サンリオもキティちゃんは嫌だけどマイメロはありとかな。かわいけりゃなんでもいってもんじゃない」

「マイメロねえ」

 次に会うとき、早坂長女にマイメロを買ってやるか。

 間もなく終電の時刻だった。

「自分は年取っていくばかりだけれど、自分の子供が成長をしていく姿ってのはいいものだよ。明日は明るい」

 これからいろんなことがある、なにもかも新鮮、そんなのがそばにいてみろよ。毎日がワンダーランドだよ。またうちのガキンチョども、いいリアクションすんだよ。アメトーク出しても宮迫に褒められるレベルだ。

 アラフォー男の感慨に僕は黙って頷くことしかできなかった。

「ミチヨちゃん、勘定お願い」

 早坂はいった。

本屋の話はどこに飛んだんだか。

「早坂さんはツケで、松田さんは三千円ね」

 ミチヨちゃんはスマホを見ながらいった。この店で早坂が金を払っているのを、ここしばらく見ていない。

「いつもすんませんね」

 早坂は愛想笑いをして立ち上がった。


 新宿三丁目駅で僕たちは別れた。

「ああ、そうだ、さかえちゃん元気?」

 去り際に早坂はいった。

「元気元気、新しい彼氏と毎日楽しく過ごしてるよ」

「今度はなんだ。自称クリエイターか、彫刻家の卵か、映画監督志望とかか?」

「近所の大学生」

「まだなんになってないやつか。肩書きに気を取られているくだらんやつではないなら、ひとまずは許す」

「なんであんたの許しが必要なんだ」

 早坂はさかえを気に入っている。会ったこともないくせに、「いやあ、いいな、さかえちゃんはいい、松田とは大違いだ」などといいだす。「ユーモアセンスがある。笑いがわかる人間てのは、批評精神というものが備わっている証拠だ。松田と違って」だそうだ。

「どいつもこいつも自分がなにがしかにならなきゃ生きてる意味がないなんて思ってやがる。そもそも人間なんてもんはな、なーんにもなれん。なれんから、美しいというのをわかっちゃいないんだ、若い奴ってのは」

「帰り際に話広げんなよ」

「俺はな、お前たちが生きてるだけで嬉しいよ。生きて、なにか食って、喜怒哀楽炸裂させているだけで、楽しくなる。人生なんてな、別に大上段に構えなくてもいい。どうせ百年後には俺たちのことなんて忘れ去られる。歴史の本に一二行ひとまとめで紹介されるくらいだ。『あのころの人類は、肥大化した自意識を持て余し愚かに右往左往して、他人の揚げ足取りに夢中でした』ってな」

「百年後も同じだろ」

「かもな」

 そういって早坂は人にまぎれていった。いいたいことだけいって、さっさと帰る男だった。

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