第6話 自分に期待しない方針です②
居酒屋から出て、僕たちは西新宿を歩いていた。
「ちょっと本屋に寄っていいですか」
まもなく十一時になろうとしていた。閉店直前のブックファーストに僕たちは入った。
「なにを探しているの」
「筋トレ社長のやつ」
そういってスポーツのコーナーにクニヒロは進んでいく。
文芸書のコーナーで僕は止まった。本屋に入ると、いつもの癖で、さかえの作品集を探してしまう。
「お待たせしました」
そういってクニヒロは本を持って僕のところにやってきた。
「本屋で働いているクセしてよその本屋でもなにか買うんですか」
クニヒロは信じられない、という顔をしてぼくを見た。
「買わないけど、あるかなって」
「おすすめ?」
「いや、ぜんぜん」
力強くいってしまった。自分にびっくりした。
作品集が棚にあるのを見つけた。僕は抜きとり、目次をひらく。店員がやってきて、まもなく閉店です、と僕たちに告げた。店からすれば、さぞ迷惑だろう。同業者な者で、わかります。閉店ちょうどにレジは締めたい。
「会計してきます」
といってクニヒロは僕から離れていった。
「今晩、泊まります?」
クニヒロが訊いた。風が吹き、気持ちがいい。
「いや、今日は帰るよ」
居心地のいい、クニヒロの部屋を思い出した。ベッドが二人で寝るにはせまいことと、シャワーしかない以外、申し分のない部屋だった。それと、駅から遠いのもマイナスポイントではある。まあたいしたことではない。
「知ってます? 今年の夏は平成最後の夏らしいですよ」
「そういえばそうだ」
「旅行いきません?」
僕は最初、旅行、にぴんとこなくて、言葉を失った。
「なんですかその顔」
「いや、旅行するなんて発想、久しく考えたことがなくって」
「だめですか」
クニヒロは僕の顔を見ず、いった。
「いや、だめじゃないけど」
「じゃあ、行きましょう」
「わかった」
「それまでに仕上げときますんで」
そういって本の入った袋を僕に見せた。
新宿駅で僕たちは別れた。酔っ払いがはばをきかせている山手線のなかで、僕はクニヒロと一緒に旅行する意味を考えた。
僕たちはわりと頻繁に会っている。たいてい当たり障りのない居酒屋で飲む。たまに東中野にあるクニヒロの部屋でセックスをする。
「資金が貯まったんでここ、今月で辞めるんですよ」
再び指名したとき、すべてを終えてからクニヒロはいった。
「そうなんだ」
そういわれ、僕は少しがっかりした。
前回受けてしばらく、体の調子がすこぶる良かった。普通、こういうマッサージで「腕がいい」というのは「下手くそなやつに比べて」ということだ。だがクニヒロは違った。そもそも、撫でているだけのようなものだというのに、的確に疲労や痛みを取り払う。
「聞かないんですか?」
「なにを」
「なにに使う資金かって」
「ああ、なにに使うの?」
僕が訊ねると、クニヒロは笑った。
「たいていの人はしつこく聞いてくるんですよ。お客さん、ほんとうに僕に興味ないんですね」
「興味あるよ。かわいいし」
「もう少し雄っぱいがないと揉みがいがない。髪もツーブロックでサイドが刈り上げられていたらいいのに。身長がもう少し高ければなおいい」
クニヒロは自分の胸を手で寄せていった。すでに僕は服を着ていて、クニヒロは下着一枚だった。
「いや、そんなことは……」
僕はごまかそうとお茶を飲んだ。僕が思っていたことをそのままクニヒロがいったからだった。
「いいですけどね。わかってるんで、僕。自分に期待しない方針なんで」
「なにそれ」
「ちょっと修行にいってこようと思って」
いきなり話が戻った。
「マッサージの?」
「まあ、そういうかんじです。ある人の元で半年ほどアシスタントをすることになっているんです。でも、その間、無給なんですよ」
「ただ働きってこと?」
内容を聞くまえから、胡散臭いと感じた。それは労働法違反ではないだろうか。
「まあ、そういうことになりますね。しかも山奥だし。いちおう備えておこうと思って、昼は普通のマッサージで、夜はここで」
「すごいな」
「すごくないでしょ。お客さんだって頑張ってたんじゃないですか」
僕は息を呑んだ。
「なんでそう思うの?」
僕は訊ねた。
「カンです」
といっても修行はまだ先の話で、昼の仕事だけにするってことです。もしよかったら、今度飲みましょうよ。そして僕とクニヒロは、連絡先を交換した。
それから一週間後、僕たちは飲みにいくこととなった。クニヒロの髪は、ツーブロックの七三分けになっていた。
家に帰るとリビングに明かりはついているものの、さかえはいなかった。風呂に入っている様子もない。
僕は冷蔵庫からヴォルビックを出して一気に飲み干した。
テーブルの上に、アイパッドが置かれていた。近づいて、パスワードを押した。液晶に、文章があらわれる。言葉が頭に入ってこない。拒絶しているらしい。僕は風呂場へ向かった。
洗面台の下に、下着が落ちていた。つまんでみると、シュプリームのボクサーパンツだ。こんな無駄に高いものを、僕は持っていない。いやな予感がする。
シャワーだけ浴びて、僕はさかえの部屋の前まで向かった。
男のいびきが聞こえた。
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