3 自分に期待しない方針です
第5話 自分に期待しない方針です①
「ご指名ありがとうございまーす」
居酒屋のカウンターで、発泡酒を一杯飲み終えたところで、クニヒロはやってきた。まだ夜は肌寒いというのに、ショートパンツにサンダル履きだった。
「普通さきに飲みますかね」
スウェットパーカーを脱ぎながら、クニヒロはいった。ノースリーブ。店のなかでこいつだけが、真夏である。
『店の前ついた、いまどこ?』というラインに、『カウンターにいます』と返事をしたばかりだった。
クニヒロは店員に生を注文し、お品書きをひらいた。
「唐揚げと肉じゃがと枝豆注文した」
「無難すぎる」
そういうクニヒロが注文したのは、ほっけだった。
「どうですか最近は」
店は騒がしい。僕たちの声もいつもより少し大きくなる。
「どうもこうもないね。ろくなことがない」
「メンヘラ同居人が騒ぎでも起こしました?」
クニヒロは含み笑いをした。
「最近彼氏が出来たんだけどさ」
「へえ」
クニヒロは神妙な顔つきになり、僕を促す。
「浮かれてるねえ」
ため息をこぼしてしまった。
さかえは小説そっちのけで、近所の焼き鳥屋のアルバイト、ミツルくん(大学生だがほとんど授業には出ていないらしい。通称ミッちゃん……心底どうでもいい)と遊び歩いている。たしかに執筆しないときのさかえは愛想もいいし、扱いやすい。
「それはそれは」
クニヒロはやってきたビールを受け取り、飲み出した。
「そっちは?」
「Netflixか、お客さんに教えてもらった筋トレユーチューバーの動画見てるくらいですよ」
URL送りましょうか? そういってスマホを取り出した。
「いや、別にいい、そういうの」
「意識高いバカって萌えません?」
「めんどくさいなそんなの」
「きょう呼んだのはのろけかなにかですか」
「はい?」
「写真見せてくださいよ、彼氏の」
そういってクニヒロは手を伸ばした。
「ねえよ、さかえの彼氏なんて」
「あ。そっちですか」
メンヘラのほうか。そんなクソめんどくさそうな女とよくもまあ付き合おうとする男もいるもんですねえ。あれですか、そういうフェチですか。クニヒロは一気にまくし立てだした。
「マツダさんは?」
「なんだよ」
僕とクニヒロは、目を逸らしたほうが負けであるかのように、見合った。
クニヒロとは「男性専用マッサージ」で出会った。筋肉質のボーイが競泳水着姿でオイルマッサージをしてくれる。ラスト十分にハンドリフレッシュ(ご想像の通りの内容です)もございます、というよくある店だった。
店のサイトには体画像とプロフィール、スタッフからの推薦文が載っている。「二十二歳、現役体育会系で礼儀正しく誰からも好感をもたれるタイプです」とあった。
マンションの一室が店の個室となっていて、出迎えたのはすでに水着一枚となった、写真よりは筋肉のキレの悪いクニヒロだった。ああ、これはちょっと失敗したな、と思った。ネットの画像から実物を想像する能力が落ちているのかもしれない。老化のせいだろうか。疑うことがおろそかになっている。
クニヒロのマッサージは不思議なものだった。オイルをなじませた表面をさらりとさする程度だった。そして足を揺すったりした。これじゃあまったく足の疲れなんてとれやしないだろう。僕は見栄えの減点に続いて、マッサージにもマイナス評価をくだした。いつもの一時間三千円のクイックマッサージにしておけばよかった。始まってから数分でもう疲労回復を諦めた。わざわざお互い裸同然でマッサージされるのだから、こちら側からすれば下心もあるというのに、とくに敏感な部分にタッチするでもない。これではまったく解消されそうもない。
ハズレだ。意識を飛ばそうとして別のことを考え出したら、うとうとしてきた。
「じゃ今度は仰向けでお願いします」
と耳元でいわれ、目が覚めた。寝た、というよりは気を失ったに近かった。
「お客さんぐっすりでしたね」
クニヒロは手にオイルを垂らしながらいった。
「疲れてたんで」
顔を持ち上げたとき、時計を見ると、残り十五分になっていた。
「すごく身体硬かったですからね」
あの揉み方でなにがわかる、と思いながら起き上がってみると、身体が軽くなっているのを感じた。うたた寝したからだろうか、頭もすっきりしている。
「なんか、調子いいな……」
「そりゃ、マッサージですから」
そういってオイルを手になじまえた。
「部屋、暗いほうがいいですか?」
「いや、明るいままで」
「お客さん、スケベですね」
そういって、クニヒロは僕にまたがった。
「珍しいな、って思って。あんまり触らないじゃないですか」
「そんなにみんな触るもんなの?」
「もうずっとですよ、みんな」
たたせせようとしてずっといじくってきたり、乳首とか尻をとにかく責めてくるんですよ。クニヒロは僕の胸を、さっきのように、力をこめず、さすった。
「ああ、でもちょうど尻のとこに当たってますよ」
元気になってきました? ちょっと待ってくださいね。
僕が、う、と声を漏らすと、クニヒロは嬉しそうな顔をした。
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