4 よくわかんないとこがそそる

第7話 よくわかんないとこがそそる①

 コンサートの途中で眠ってしまった。トモコに肩を揺すられわたしは目を覚ました。

「終わったわよ」

 誘ってもらっておいてなんだけれど、やはりわたしはクラシックコンサートに出かけるがらではなかった。

 夕食をとるには早い時間だ。夕暮れの渋谷の賑わいにうまく馴染めないまま、わたしたちはコーヒーショップに入った。

「いびきかいたらつねってたわよ」

 アイスコーヒーを一口飲んで、落ち着いたところでトモコはいった。日曜日、夕方、上野。休みの終わることが名残惜しい人々で、店内はやはり混雑している。

「まーくん元気?」

 トモコは高校の同級生だ。美大に進み、いまはギャラリーでアルバイトをしながら週末に絵を描いている。

「なんかキレてる」

 誰かにこの話をしたくて仕方がなかった。誰かに「しかたないよね」といってほしい。トモコは慰めてくれるだろうか。

「珍しいじゃない、まーくんてさ、さかえのこと、全肯定するじゃない」

「しないよあの人。ゴミの分別だの洗濯の仕方だのめちゃくちゃうるさいもん」

「いや、そこは当たり前だろ」

 今晩は飲み会あり、とリビングの黒板に書かれていたので、ここぞとばかりに「さかえちゃんの家がみたい、みたい」とせがむミッちゃんを招いた。接客業をやっているだけあってまーくんは外面がいい。でもさすがに付き合っている相手をまーくんのいるときに家へ招くのは躊躇した。

 同居人いるからちょっとだけだよ、とミッちゃんをいいふくめた。

 ルームシェアを、『テラスハウス』のようにイメージしていたミッちゃんは、おんぼろの家と、割と雑然としているなかみに、少しがっかりしていたようだった。

 さっさとミッちゃんの住むアパートへ移動しよう、とあのとき能天気に考えていた。風呂とトイレが別で追い炊きもできることにミッちゃんはとても羨ましがった。なんとかこの家の自慢すべき点が見つかり、わたしは安心した。その日は天気が良くて、家に入る前に、わたしたちは近所の公園でバドミントン(!)をした。自分がそんな健全かつ健康的なデートを成し遂げたとこに満足していた。

「入ってもいいよ」

 ほんとうに、軽い気持ちだったのだ。そのままいたしてしまうことになるとは考えてもみなかった。

「うそでしょ」

 トモコはずばっとわたしの話を切り捨てた。毎度のことながら惚れ惚れするが、今回ばかりは反論しなくてはならない。

「いやほんと、マジ」

「それはぜってえうそだわ。いいのよー別に、わたしの前でそんないい子ちゃんぶらなくたって」

「ほんとうにそれだけのつもりだったんだって」

 ミッちゃんの部屋は日当たりが悪く空気が湿っている。シャワーしかないし、湯船につかりたいだろう、そりゃそうだとわたしは名案を思い付いたような気持ちになったのだ。

「それに、お風呂入ったら落ち着くかなと思ったんだってば」

 ミッちゃんはやたらとやりたがるし、いちゃつきたがる。旺盛なのだ。付き合いたてとはそういうものかな、と思っていたけれど、外を歩いていると絶対に手を握っていたり腰に手を回してきたりするし、ちょっと化粧品が見たい、とデパートでひとり物色しているものならふくれだす(まあ男というのはほぼ女の買い物に興味などなんだろうけど)。バトミントンをしに公園にいったときだって、木陰でキスしようとしたり、バリアフリーのトイレに連れ込もうとしたりするのだ。

 あのとき、さっさと風呂に入れて、ぼんやりさせればいい感じにそのありあまる性欲も落ち着くのではないか、と考えたのだ。

 もっとわたしは、ミッちゃんとただ楽しく過ごしたいのだ。

「写真見せて」

 トモコにいわれ、わたしはスマートフォンの画面を見せた。

「あー、すごいね、こりゃすごい。なんか歩く性器みたいな男だね。飲み屋のキャッチのにいちゃんみたい」

「焼き鳥屋のバイトだけどね」

「さぞかしたくさんタンパク質を摂取してるんでしょうよ」

「本は部屋にないけど腹筋ローラーとダンベル、それにプロテインはあるね」

「男の筋トレは女の化粧みたいなもんだからね。プロテインて、ベストコスメみたいなもんだから」

「アンダーアーマーは見せ下着か」

「ジムでやたら写真撮りたがるのはさ、あれは化粧が成功したときのアガった状態だから」

「たしかにミッちゃんのインスタ、無駄に脱いでるわあ」

 わたしたちは爆笑した。

 友達と自分の彼氏をバカにすることほど楽しいことはない。茶化して話すたびに、なんだか愛着が湧いてくる。それに、わたしはミッちゃんがやたらべたべたしてくることややりたがること以外、文句はなにもなかった。

 長居したら服に匂いがうつってしまう部屋の布団の上で寝そべって、『浦安鉄筋家族』を読むとか、『ハイアンドロー』に二人してツッコミを入れながら鑑賞する時間というのは悪くない。頭のなかでああでもないこうでもないと小説のことを考えていると、どんどんなにかが溜まっていって、息苦しくなっていく。ミッちゃんといると気分転換になる。いや、セラピーに近い。

 大人になるということは、ひとりで楽しめる術を身につけることだと思っていた。でも、もう一つ付け加えたほうがいい。誰かと時間を共有して楽しめる余裕と懐の深さだって、必要なのだ。

 と、そんなことをいかにもいま気づいたみたく思ってみたけれど、それはずっと、わたしのなかでの課題だった。

 わたしは、自分のことに精一杯で、周りを見回すことができなくなることが多い。そのくせ、自分のことすらわからなさすぎて、こんがらがってしまう。

 生きている「わたし」とはいったいなんなんだろう。わたしは自分自身すらきちんとコントロールすることができない。

 いま、トモコとコーヒーを飲んでいるわたしと、それを俯瞰してみようとしているわたし。わたしには、二人いる。そして、ミッちゃんといるわたしとまーくんといるわたしは決定的に違う。二人きりでいるときと三人でいるときも違う。無限に違うわたしは存在していて、わたしはそれをどうにか統合できないものだろうか、と考えている。

 点を線でつなげることができれば、わたしはもう少しどっしりと構えることができるんじゃなかろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る