第8話 よくわかんないとこがそそる②

 アキラくんがトモコを迎えにやってきた。

 アキラくん、なんて「くんづけ」しているが、彼はまもなく還暦を迎えようとしている。

「さかえちゃん、相変わらず?」

「相変わらずよ」

 わたしではなく、トモコが答えた。わたしは不本意ながら頷いた。

「よかったよかった。変わらなくてなによりです」

 わたしたちは店を出た。

「じゃあね」

 トモコはそういって、アキラくんと手をつなぐ。アキラくんもまた、嬉しそうに「おかえり」といった。

「お熱い……」

 わたしは彼らを囃す。

「トモコをお借りします」

 アキラくんはそういって、握っている手をぶんぶん振った。

 トモコとアキラくんの背中を見送りながら、まるで親子だ、と思った。

 世のおじいさん手前、がどんな普段着なのか、ちゃんと考えたことがなかった。なんとなく適当にサイズのあっていないズボンとか、釣りをする人がよく着用しているベストでも着ていたりするもんだと思っていた。ものすごい偏見だ。

 アキラくんはいつもこざっぱりとした格好をしている。素敵ですね、といったとき、

「トモコのお見立てのおかげです」

 とはにかんだ。

 毒舌のすぎるトモコがたしなめられ、そして素直に(!)謝ったりする姿を見たりすると、なんとまあ、とわたしは言葉を失う。あの口から出る言葉の九割が悪口のトモコが、と。

 付き合う相手で変わった、ということではないと思う。アキラくんが、トモコのなかにあった一面をひょいと出したんだ。そう思う。

 二人と別れ、わたしは上野で一人ぶらぶらと歩いていた。エキュートのなかにある雑貨屋で、いいノートを見たり(決して買うことはない。ネタ帳はキャンパスノートと決めている)、土産ものを覗いたりしていた。さすが上野、パンダものが充実している。

 そのときわたしは、恋人がいたらなあ、と思った。

 そして、びっくりした。わたしはいまミッちゃんと付き合っているではないか。なんだか心の奥底で、じつはミッちゃんのことを恋人と認めていないのではないか、と思え、うろたえてしまった。

 思わず本屋で、あまり興味のないミステリーだのベストセラーを買ってしまった。なにか買い物でもしなくては、わたしのなかでバランスがとれそうもなかったのだ。買う、という行為は人をなんだか太っ腹な人間に錯覚させる。

 買ってから、まーくんが持っているのではないか、と思えてきた。あの人はやたらめったら本を読んでいる。心のなかではどうせ馬鹿にしているであろう『泣ける恋愛本』から、なにが書いているのかさっぱりわからん科学だの犯罪ノンフィクションまで。

 たぶん積ん読ゾーン行きとなるでろうかわいそうな本の入った袋を片手に、わたしは電車に乗った。


「さかえちゃん! こっちこっち!」

 ミッちゃんが大声でわたしを呼んだ。手まで振ってくれている。まわりに迷惑だろ……と恐縮して見回すと、ファミレスの喫煙席は、ミッちゃんたちのグループしか客はいなかった。まもなく日付がかわる。

「ごめんね、遅れて」

 わたしはそういってミッちゃんの隣に座った。『いまガストで友達と話してるんだけどこない?』とラインがきたのだ。一時間ほど放っておいて、『ごめん忙しくって、もう解散したよね?』と適当な返事をしたら、『まだいるよ~』とすぐに返ってきた。こりゃ行くしかないな、と諦めた。「年下彼氏の友達に会うべくそこそこきちんとしてて、近所だから抜け感もある」というイメージがまったく思いつかず三十分、もういい、白シャツにスカートだ! いいサンダルでつっかけりゃ一丁あがりだ! と昼間の上野におでかけ、と変わらない格好となったのであった。

「彼女さん大人ってかんじっすね~」

 向かいの席にいたエグザイル一族の下っ端みたいなミッちゃんの友達、がいった。そりゃな。わたしは心のなかで唸っていた。ザイルの横にいた、ライダースを肩がけしてる、ナントカ坂にいそうな女子大生に比べりゃな。

 ナントカ坂の端っこで燻っていそうな女の子が、「ミツルの彼女ってどんなんだろってみんなでいってたんですよ~」と語尾を不愉快に伸ばしていった。

「こんなんです」

 とわたしは微笑む。大学を卒業してまださほど時間はたっていないというのに、大人、と呼ばれてしまう。たしかにわたしは二十歳を過ぎている。しかしお前らだってそうだろうよ。学生と社会人(働いてないけど)のあいだには大きな川が横たわっているにちがいない。

 わたしだって、そう思っていた。仕方がない。しかし、その川、見た目はすごくても、いつの間にか渡ってるもんなんだけど。否応無しに。

 学校であった面白ばなしにまったくついていくことのできないまま、わたしはただ、閉店までにこやかに頷くだけだった。

 そもそも、お前らなんで内輪ネタばっかり話してんだよ、とわたしは腹を立てていた。嫌いな教授のモノマネとか、実物知らねえんだからわかるわけないだろうが! いや、そんなおどけをかましている彼氏を面白がるべきなのか。一対一と違って、ミッちゃんはバカ大学生丸出しで、そこはちょっとかわいいな、と思ったけれど。

 ラストオーダーを知らせる店員が、天使に見えた。ずいぶんお疲れ顔でしたが。

 やれやれ、とわたしは思った。なるほどなあ、ムラカミハルキの主人公の境地とはこういうものか、彼はなんでやたらと「やれやれ」といってるのか、こういう時間ばかりが彼を襲ってくるのか、やれやれ。そんなことを考えて、あとでまーくんに話そう、と考えていた。

「彼女さん、ミツルのどこらへんが好きなんですか?」

「はい?」

 不意打ちで話を振られ、わたしは頭が真っ白になった。

 彼女さん、とは誰で、ミツル、とは何者だ?

 そのくらいにわたしの頭はからっぽだった。

「あー、なんていうか……」

 わたしは口ごもった。目の前のザイルとナントカ坂は興味深そうにわたしを眺めている。横を向いたらミッちゃんまでも興味津々である。

 正解は、なんだ?

「よく、わかんない」

 わたしはあきらめていった。

「……とこがそそる」

「そそるってなんだよ!」

 と男たちは爆笑し、向かいのおんなは鼻で笑った。

 大人失格。恥の多い人生ですみません……。


 家に帰ると、まーくんがソファで本を読んでいた。

「珍しいな、こういうの」

 そういって手にしている本を見せた。わたしが上野で買ったベストセラーだった。

「しばらく読まないから、先に読んでいいよ」

 わたしはほっとしていた。まーくんといつも通り会話できていることと、あのサバトから遠く離れることができたという安心感のせいだろうか、ぐったりした。

 ソファーにわたしは座り込んだ。まーくんの足など知るものか。まーくんもどけなかった。

「それ面白い?」

「なんかこういう高校生がどうこうしてる小説もたまに読むと若返っていいね」

「じじいだね」

 わたしは思い出した。ねえ、あれ覚えてる? 前に一緒に映画観たじゃない。難病もののさ。ああ、あれね、とまーくんは笑った。まーくんは笑うと顔にたくさんシワができる。あれは最高だったな。タダ券を職場でまーくんがもらい、わたしたちはベストセラーが原作の映画を観に行った。観終わって、わたしたちが席を立とうとしたとき、近くにいた女のこが怒りに満ちた叫びをあげた。

「なんだよ、病気で死なねえじゃん!」

 わたしたちは逃げるように劇場を出て、それから大笑いした。

「病気で死ぬって宣言したから、死んでほしかったんだねえ」

 まーくんはずっと楽しそうだった。

「あんな素直な子たちばかりだったら困るけど、かわいいねえ」

 わたしとまーくんの時間くらいに、ミッちゃんと過ごせば、きっとこんなふうに疲れたりしないのかもしれない。

「眠い」

 わたしがいうと、寝れば? とそっけなくまーくんはいった。

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