7 生きてるようで死んでいるもの

第13話 生きているようで死んでいるもの①

 どうせしょっぱすぎる。わかっているのに海の家にきたらラーメンを注文してしまう。

「どうすりゃそんなまずそうに食べられるんですか」

 クニヒロは僕を眺め、呆れていった。

「そりゃ海の家きたら、そりゃな」

 そういって僕は麺をすする。残したいところだ。クニヒロはといえば、やきそばをさっさとたいらげたところで、僕が食べ終わるのを待っている。

「のびますよそれ」

 そういってクニヒロは海を眺めている。

 なんでこんなに人が集まっているんだ? と不思議になるくらい、ごった返していた。真夏日だというのに、えらいものだ、と呆れてしまう。

「あのね、人ってのは、海がひらいてたら海にいくもんだし、山に登れるもんなら登りたい、そういう生き物なんですよ」

「そうじゃないやつだっているだろ」

「目の前にね」

 海に行こう、とクニヒロに誘われたとき、面倒臭いな、と思った。なんで暑い日に、混んだところなど男二人で行かなくてはならないのだ。そもそも僕たちは、年も離れている。友達、というかんじでもないだろう。

「いいですか、海ってのはありがたいもんでね、魂を浄化してくれます。水虫気味の松田さんの足の治療にも暑い砂浜はいいし、海に浸かっているだけでも、心に溜まっているどす黒いものが抜けていきます」

 心に溜まっているどす黒いナントカ。そんならサーファーは善人しかおらんのか、などと口答えしたくなったが、水虫のことをさきにいわれ、僕はなにもいえなくなってしまった。

「一泊旅行でもして、仕事を休んだら死活問題になる時給の松田さんとどこにいくかを考えた結果、最善の場所でしょう」

 クニヒロは勝手に納得して、頷いていた。

 結局、夕方まで僕たちは海に浸かり続けた。海になどきたのはひさしぶりだった。小学生以来かもしれない。

「わりに楽しそうじゃないですか」

 浮き輪につかまりながら、クニヒロはいった。

 たいして日焼け対策をするわけでもなく、僕たちはいた。明日は大変なことになるだろうな、と思うとおそろしかった。

「まさかこんなの用意してくるとは思わなかった」

「同僚が貸してくれた」

 ピンク色の浮き輪に入って海に浮かんでいる自分があまりに滑稽すぎて、僕は面白くなっていた。神山に、今度の休みに海へいくというと、だったらこれを持っていけ、と浮き輪にビーチボール、そしてコンドームを箱ごと渡された。「買いすぎたからあげるよ」だ、そうである。ビーチボールとコンドームは持ってこなかった。

 僕たちはいつの間にか、浜辺から遠くなっていた。

「戻らなくちゃな」

 僕は浜辺を眺めながらいった。ごった返している波打ち際、群衆の声が遠い。そろそろ僕たちは監視に「これ以上遠くへ行くな」と注意されてしまう。

「そうですね」

 クニヒロはいい、浮き輪につかまりながらバタ足をする。

「松田さん」

 クニヒロはばしゃばしゃ飛沫をあげながら、クニヒロはいう。

「なんだか遠くから、たくさんの人を見ていると、とてもさびしいですね」

「どういうこと?」

「たくさんの人がいる。でもこの人たちは、もう僕とは会うことがない。ただすれ違うだけだ。混んだ場所で、肩がぶつかったり、前から歩いてきても道を譲らなかったり。ただの邪魔な連中だ。この場所は彼らが作り上げた。同じような空間はひとつもない。誰が欠けても、できあがらなかった。すごいことです。なのに、みんな、自分以外に無関心すぎる」

 バタ足がやんだ。

 そしてクニヒロは浮き輪を掴んだまま、海に潜った。

「どうした?」

 ゆっくり、浮き輪を掴んでいた手が海に飲み込まれていく。

 しばらくクニヒロはあがってこなかった。

 一瞬、無音になった。静かだ。遠くでは人々がごちゃごちゃと動いている。時間が止まったわけではない。

 クニヒロの顔が、海面から、す、とあがってきた。

 そして、ふたたびバタ足をはじめた。

「溺れたんじゃないかって思いましたか?」

「うん、びびった」

「悲しかったですか?」

「いや、何が起きたのかわかんなくて」

「僕はね、島で育ったんで、わりと海には強いんですよ」

 慣れている、ということか。

「そうなんだ」

「僕が何者か知りたくなりました?」

 クニヒロはいった。

「なにって」

 お前はクニヒロだろ。しかし、僕は彼のいったいなにを知っているのか。

 浜が近づき、僕たちはふたたび、ゆらゆら、海に浮かぶ。

「一度あなたを殺したことがあり、一度あなたと結婚した。一度あなたの親になったこともある。子供にも、孫にもなった。一度戦火のなかですれ違い、一度あなたが処刑されるのを観衆の一人としてみた」

「なにをいってるんだ?」

「ただの空想ですよ。つまり、その程度の関係でしかない、という文学的表現です」

 松田さんにあわせていえばね。

「一度」

 僕はいった。

「そう、一度」

 そういえば、しばらく、まるでこの場所と違う空間にいるみたいに、音が。

「あー、うるせえなあ」

 クニヒロはいった。

 どんどん騒々しくなり、思考がうまくできなくなる。

 そうだ、なにせ、ここは、混雑した、海、なのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る