12 真夜中のパーティー
第23話 真夜中のパーティー①
なんでだかわたしはいま、明大前で酒を飲んでいる。隣にいる男はまったく喋らない。喋らなければ、いい男である。
まもなく夜十一時。そろそろおいとまさせていただきたいなあ、と思っている。しかしこのチャンスを逃してはならない、とわたしの頭の奥からメッセージが伝わってくる。そもそもなんでわたしはここにいるのか。
「時間もうやばいかな」
わたしの態度を察したらしく、男はいった。
「そう、ですねえ」
わたしは曖昧に答えた。
やっぱりこういうときのスキルというか社交術というやつを学ぶべきだったのか。わたしもいい年なわけですから、そういうこともスマートに……。ドラマやリアリティ・ショーの人物のごとく振る舞う……無理だ。
「さかえさんは面白いね」
いったいわたしのなにを面白いと思っているのか。なにも話しちゃいない。流れで打ち上げに参加し、一次会が終わったところで京王線に一緒に乗った。へえ、意外と庶民的じゃない、なんて感心してしまった。明大前で井の頭線に乗り換えるところで、もう一軒行きませんかと誘われた。そしていま、バーのカウンターで私たちは酒を飲んでいる。店はマスターとわたしたちだけである。だが席についてから一時間、わたしたちはたいして話をしなかった。たまにぽつぽつ、三茶に住んでるんだ? 小説書いているなんてすごいね、音楽なに聴くの? と話しかけられた。わたしのほうからは自分のなかのコミュニケーション能力をフル活用して、忙しいんですよね、今日観た作品、戯曲では読んだんですけどやっぱりお芝居で観ると違いますね、同期の方々なんですよね、などと訊いた。そのたびお互い、ああ、とかうんとか、続かない返事をした。
これってもしかして。ドラマみたいにうまくいかねえなあ、と思っていたら、まんまドラマじゃねえの! わたしもしかして、この人とこのまま流れでエッチ(できるだけまろやかに表現してみた)って滑走路に乗っかってしまっているのか。
『別にしないでいいんじゃない』
声がした。
「え?」
わたしは思わず、声をあげてしまった。
「どうしたの?」
訊かれ、わたしはいえ、なんでもないです、なんか背中痒くって、と慌てながら答えた。
『さかえちゃ〜ん、なにいきなり声だしてんのさあ』
うっさいなあ、ていうか早坂さん、いきなり声かけないでよ。ただでさえちょっと酔っ払ってるんだから。お芝居の打ち上げなんて完璧アウェイなところに参入して、ただでさえ疲れてるんだよ。眠いし。いつもだったら絶対にこの後飲もうなんて誘われても断ってるよ。
『いや、でもさすがだね。さすが僕が見込んだだけある。最速で向井とコンタクトとってるし。ていうかあいつ、絶対君のことドタイプだから。ワンチャンお願いしたいって思ってるよ』
早坂さん、あんたかなり前に死んだんだよね。なんでそんなにいまどきのワードぶっこんでくるわけ。
『言語で伝えているわけじゃないからねえ。メッセージの意味をきみの脳が言語化しているだけだし』
アリサカにマッサージを受けたときから、わたしは早坂長太郎の声が聞こえるようになってしまった。アリサカには教えなかった。そもそも施術を受けた翌日に、アリサカはよくわからないスピリチュアル施設? に修行? しにいってしまった。まーくんの態度は変わりなかった。
『変なことしたら俺があいつ説教すっから大丈夫大丈夫』
にしても早坂さん……軽いね。あんたこのいまをときめくイケメン(枠にいれていいのか?)若手(なのか?)俳優の向井兜太の恩師なんでしょ。
「そろそろ出ようか」
向井がいった。テレビで観るより顔は疲れていて、三十代らしい風情を覗かせる。
わたしは椅子から立ち上がる。
座ったままの向井の髪を少し撫でた。
「くすぐったいね」
まーくんとは違うなあ、とぼんやり思った。肌も浅黒いし、眉毛が太い。顔のパーツがはっきりしている。そしてわたしはいまをときめくイケメン(認めた)若手(許す)俳優とキスをした。
『もしこれからおっぱじめちゃうなら、僕見ないから安心してね』
ああもう早坂長太郎、クソうぜえ。
僕は消失することを望んでいるんだよ。
早坂長太郎の話。
自分自身の名を残すとか、そんなことは望んでいないんだ。
悪いけれどそんな承認欲求の達成はよそに任せておけばいい。
僕はやりたいことをやっただけだ。
まあ、あんな風に死ぬとは思わなかったけれどね。
僕はどんどん記号になっていく。
死んだ人としてデータとなる。
妻も娘たちも僕のことを更新した。
克服した、といってもいいだろう。
いつか記憶が暴走して感情を掻き乱したとしても、彼女たちは乗り越えられる。
ミチヨ……、ゴールデン街の店の女の子はね、まあ難しいだろう。なにせ僕の愛人だったからね。
彼女は彼女自身で乗り越えてもらうしかない。僕もわがままだとは承知でいえば、まだ彼女に未練もある。男というのはつまらないねえ。
それに、思い出のまま離さないでくれているのなら、それに付き合う責任も感じている。
僕のことをまだ死者として扱わないのは、英二くらいだよ。まああいつはね、育ちも複雑だし、人一倍面倒なやつなんだ。キミもそこが好きなんだろう?
あいつ見た目も中身も若いだろ。自分で自分の時間を止めたんだ。
新しい自分になれた瞬間にリブートしようとしているらしい。だが、そんなのくだらないよ。いや、無理だ。
あいつはね、僕になろうとしているらしい。
さっさと僕のことを忘れてもらわないとね。忘れて、過去の人と認識してもらわないと。
ほら、カリスマの周りにいたやつって大成しないだろ。囚われちゃってさ。あれと同じだよ。まあ僕も「やや」カリスマだったってことかな。
そうしないと、忘れて、思い出さないと、そのくらいに分離しないと、英二はずっとあのままだよ。
しかし僕が消えたからといって空いた席にあいつが座ることは不可能だ。きみが大学の頃に読んだ英二の小説、あれは。
「僕の部屋にきませんか」
向井はいった。わたしは頷く。
秋ももう終わりだ。夜風に震える。向井がわたしを抱き寄せる。
『なんかこっぱずかしいなあ、弟子の口説きを見るとか。なんだろこれ、我が子の性欲見たみたいな複雑な……』
うるさい。
『ごめん、消えまーす。なにかあったらすぐ呼ぶんだよ、僕を』
わたしは、その声に答えず、向井とまたキスをする。
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