第22話 彼の独身者たちによって裸にされた、花婿さえも②
なんだか目まぐるしく周りだけが変化していく。置き去りにされないように端を掴んでいるつもりだけれど、ただ空を握っているだけかもしれない。勤めている書店には洒落た雑貨が置かれるようになった。コミック棚は増設され、これまで僕が担当していた文芸書と文庫は、新会社からやってきた社員が担当することになった。
「つまんねーな」
神山がレジで呟いた。
「なかなか面白いことなんてないだろ」
「そういう問題じゃないっしょ」
ちょうど昼過ぎで、僕らは暇だった。モップでPOSレジを何度も拭いてしまったり、図書カードの包装紙を折り続けていた。
「品揃えが普通になったな」
「漫画以外興味あったのか」
「肌で感じるもんだって。レギュラーだった客もなんか最近こないしさ。水木さんとかプリキュアおじさんとか」
「プリキュアおじさんは品揃えと関係ないんじゃない」
プリキュア関連の新刊が出ると、朝からやってくる名物のお客さんのことだ。
さかえの小説が載っていた冊子は真っ先に返品となった。申請のファックスを僕が書いた。
「そういえば、神山は『キングダム』読んでる?」
「いやむしろ日本人で読んでないほうがおかしいだろ」
そこまでいうか。『キングダム』も『ワンピース』も読んでいない人間だってたくさんいるだろうに。神山は最近の『キングダム』の展開を熱っぽく語ったが、そもそも僕は読んでいなかったのでさっぱりわからなかった。
「レジして品出しして返品して掃除して、そんだけじゃん」
「それが基本だろ。それに」
「なに」
どうせアルバイトじゃん俺たち、といいそうになった自分に驚いた。ショックを受けた。
どうせ。
「変なの」
お問い合わせがあり、そこで会話は終わった。
雨降って地、固まる。そんなことをスピーチに付け加えられるのではないか。多分そのキーワード、先にスピーチしたやつの勝ちだ。いまにも雨が降ってきそうだった。
「これどうかな」
さかえが原稿をよこした。流し読みして、いいんじゃない、と返した。
「ああもう、なんでまーくんそんな余裕なの!」
さかえは、新婦の友人でござい、といったいかにもなワンピース姿だった。髪も巻いており、見た目は準備万端だ。
僕たちは新婦の待合室に待機していた。
主役であるトモコはジャージの上下のまま、のんきにジュースを飲んでいる。
「まだ始まんないんだから、いまから慌てないでよ」
「いやむしろ、なんでお前はそんなに平気ヅラなんだよ」
うろうろ歩き回るさかえは、トモコに向って叫んだ。
「めちゃくちゃ緊張してるってば」
トモコのお相手、アキラさんは三回目の結婚にして初めての披露宴らしく、やたらと豪華なプランにしたらしい。さすがにゴンドラで登場はしやしないが。
部屋にスタッフらしき女性が入ってきた。受付の打ち合わせをしたいのですが、といわれさかえは部屋を出ていった。
「なんだろね、あいつ」
トモコは出ていったドアのほうを眺めながらいった。
「ウケるんだけど」
確実にウケてはいないだろう。さかえは余裕、と評したが、そうは見えない。余裕なように、装っている。
「ねえ、まーくん。さかえのことどう思ってんの」
「突然だね」
僕はネクタイを少し緩めた。幸福と豪華を煮詰めて貧乏たらしくしたような部屋だな、ここは、と思っていた。
「さかえは小説家になれると思う?」
質問に答える前に新しい質問。司会に向いていない。いや、司会は僕がするんだった。
「どうだろうね、最近書いていたやつは面白かったけど」
「わたしはもちろん友達がなりたいものになってほしいと思っている。でも、まだ難しいと思う」
「そうかな」
「うまいこと書くな、って思うところもあるけど、全体的になんていうんだろう、あの子の書くものって、他人がいないのよ」
他人。
「ぜんぶ出てくる人間がさかえなの。それと、まーくん。といってもさかえが思っているまーくん。だから一切他人が出てこない。素人がイキってるだけ。まあ素人のイキリも芸ではないけど見ていて面白いけどね。笑わせようとして笑われてるみたいなね」
「誰だって最初は素人だろ」
「違う、絵を描いていてときどき、自分以外のものが介入してくるときがある。それは人格だったり、視線だったりする。そういうものがあるかないかで作品は変わってくる。コンセプトやプランなんてどうでもいい。そんなもの始める前に必要なもの。自分が制御できないなにかがないと、人に見せるものなんてできない」
そんなこといってるけど、わたしもただの自称芸術家なんですけどね、とトモコは自嘲する。
「それはあれかな。自分のなかにいる他者に気づくとかそういうことかな」
なんで式場の待合室でこんな話をしているんだか。ここは大学の近所にあった和民か。
「そういう難しめの話はわたしは知らないけどさ。とにかく、さかえにはまだ時間が必要」
「来年の春には」
「さかえはかこつけて延長しようとしているんじゃない。まーくんとの麗しき偽装同棲を」
「偽装同棲ってなんだよ」
「だってさかえの両親にはそういう設定で納得させたんでしょ」
黙ってしまった。
「責任とんなさいよ。さかえをあんなにさせたのはまーくんよ」
「あんなって」
「まーくんだってわかってるでしょ。あの子、学生のまんまなの、なにも変わってない。ただ年をとっていくだけ。景色だけは変わるのに。成長とかそういうつまらないことじゃない。見てらんないのよ。友達が叶わないものにすがってぐじぐじしてるのなんて」
「作家になれないと決まったわけじゃないだろ」
「ごめん、その話はもう終わってる。さかえはね、まーくんが自分のことを好きになってくれるのを待っている」
なんといったらいいのかわからなかった。
「絶対好きになんてならないでしょう。だってまーくんは」
ドアがノックされた。決定的な言葉は打ち切られた。そろそろ準備をはじめさせていただきます、という声。
「約束して、お願い。絶対にさかえをくだらない人間にだけはさせないで。傷つけてもいい。泣かせてもかまわない。でも、でくのぼうにしてしまったなら、わたしはまーくんを絶対に許さない」
スタッフが、ドアの前で所在なさげに立っている。
「約束して」
トモコは真剣だった。
「お願い。もうこの話は一生しない。だから」
「わかった」
僕はいった。
部屋を出た。受付でさかえがリストを眺めていた。
「どうだ」
僕は声をかけた。
「受付させてスピーチまでさせて、あいつこき使い過ぎでしょ。どんだけ友達いないんだよ」
「親友なんだろ」
「そうじゃなきゃ断ってる」
僕たちのところに、人の良さそうなモーニング姿のおじさんが近づいてきた。
「本日はどうもありがとうございます」
深々と頭を下げられた。てっぺんが薄い。
さかえが立ち上がり、同じくらい深々と挨拶をする。
「ほんとうに、ほんとうに、おめでとうございます」
トモコのお父さんは、恥ずかしそうに、そして嬉しそうな顔をしていた。
「トモコのお父さんは、いい背中してるなあ」
去っていくお父さんは、少しだけ所在なさげに見えた。
「娘をきちんと育て上げたんだし、あたりまえだろ」
男は背中で語るもんなんだ、と僕は適当なことをいった。
「なにか育て上げたことある?」
さかえが訊いた。
「朝顔もひまわりも枯らしたなあ」
「ダメな小学生だなあ」
さかえが笑った。
どうりでいい年して、背中がしゃんとしてないわけだわ。
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