第20話 次は会えるっていったでしょう②
ほんとに「坂」ばっかりだ。
アリ「サカ」に早「坂」に。そして忘れていたけどナントカ坂ふぉーてぃーカントカの彼女。そう、ミッちゃんの同級生である。
わたしはなんでこんなにいま「坂」のつく人々に振り回されているのだろうか。ミッちゃんの同級生、ライダースジャケット肩がけ女の名字は知らない。勝手にナントカ坂にいそうって思っているだけだった。トモコ曰く「歩く性器」(否定はできない)であるミッちゃんは、まんまと女の術中にはまってしまい、というか「できるもんなら誰とでもしたい」のでしょう、同級生ともゴニョゴニョとしていた。
「ごめんさかえちゃん」
正座してミッちゃんはいった。
申し訳ないけど、笑える。素っ裸なのだ。足のあいだにあれが挟まっていて、痛くないのかな、とぼんやり思った。
「××(女の名前は忘れた)ちゃんは悪くないから!」
薄汚い、湿った部屋。裸のミッちゃん。そして、ふてくされた顔をしながら奥で身支度をしている女。修羅場、のようであった。
女は一言も口をきかなかったし、わたしの顔を正面から見据えることもしなかった。横目でちらりと、伺っているところに目が合った。勝手に勝敗をつけようとしていて、しかも自分が勝ったとでも思っているようだった。
ミッちゃんは男らしかった。あくまで自分が悪いと言い張った。実際そうなんだけど、ミッちゃんがそういう態度をとったことは、わたしにとって誇らしくもあった。クソくだらんやつと付き合っていたわけでもなかったなと思えた。いや、普通に女友達とやらかしてる時点でクソくだらんことにかわりはないのだけれど。
「うん、わかった」
わたしは納得した、というよりそう答えるほかなかった。くどくどと責めても時間の無駄だったし、そんなドラマティックなことなんて、ここでは必要ない。わたしたちの付き合いも、ここでおしまいだ。
「じゃあね」
そういってわたしはミッちゃんの部屋をでた。
雨は上がったばかりで、地面が濡れていた。ぬかるみに気をつけながらわたしは歩いた。ずるっと滑りそうになった。まるで自分の人生の立ち位置が揺らいでいるみたいじゃないですこと? それなのに日差しは強く、くらくらした。真っ昼間のお楽しみにおじゃましてしまいすみません、などと自嘲的なことを思った。わたしがいなくなってから、あの部屋でどんな会話が交わされるのだろうか。どうでもいい。そんなところに想像力を使うなんて、無駄だった。
自動販売機でジュースを買おうとしたとき、財布から紙が落ちた。
わたしは拾って、QRコードをじっくりとしばらく眺めた。
スマートフォンを取り出して、コードから飛んだサイトをひらいた。アリサカの勤めているマッサージショップだ。わたしは予約フォームからアリサカクニヒロを予約した。
「なにしにきたんですか」
アリサカはわたしをわずらわしい虫でも見るような目でいった。
わたしは後悔した。なんでわざわざ電車に乗ってやってきたのか。
「受けにきたにきまってるでしょ」
こちらは客である。なにをひるむ必要があろう。
「どうぞ」
アリサカは着替え用のスペースにわたしを誘導した。
なんの変哲もないマッサージ店だ。どこの町にもかならずある。白布で仕切られており、それぞれの空間に施術台があるのだろう。
「まーくんよくくるの?」
ゆるいTシャツとパンツに着替え、わたしはベッドに座った。
「この店にはきませんね」
「常連なんでしょ」
「ぼくの常連ですから」
含んだいいかたに腹が立つ。
「まあいいわ、肩こりがひどいんだけど」
わたしはいった。首を揉まれ、肩甲骨を触られる。
「背中じゃないですね、これ。腰です。もっといえば、尻から腿ですよ」
「肩が痛いっていってるんだけど」
「肩にばかり気を取られているだけで、ほんとうは別の部分が疲労している。よくあることです」
「じゃあなんでもいい」
わたしはベッドにうつ伏せになって寝た。
「六十分では応急程度にしかできませんけどいいですね」
「任せる」
そのうちわたしは安心しだした。ああ、そうか、マッサージなんて受けなくたって、寝たかっただけなんだ。ただ身体を休めればよかったんだ。ばかだなあ、わたし。
まーくんがいっていた。あいつ腕はいい、と。こんなふうに支離滅裂な気持ちじゃなきゃ、こんなとここなかった。帰りに新宿でお惣菜買おうかな。
わたしは、いま、大学にいる。
夢だ。
大学のテラスだ。
この先の喫煙所にまーくんがいるだろう。
わたしもちょうど喫煙しようと思っていたところなんだった。
そうだそうだ。
わたしはよくライターを忘れてしまうから、まーくんに借りなくては。
ポケットを探ると、タバコもない。
まーくんはマルボロだ。
わたしはあまり好きではない。
でもしかたがない、一本もらいたばこをしよう。
きっと嫌な顔をするだろう。
でもべつに、ほんとうに、嫌なわけではないのだ。
まーくんに今度、一箱買ってあげよう。
まーくんが誰かと話している。
見覚えがある。
向井兜太。
なんでまた。
あー、ドラマ最近観たんだった。
インパクト強いっていうか、アクの強い俳優だ。
まーくんと親しげに話している。
ここはどこだ。
大学の喫煙所ではない。
夜だ。
スタンドタイプの灰皿に吸い殻を入れ、まーくんと向井が建物に入っていく。
見たこともない、校舎?
違う。
わたしも入る。
壁に貼られているポスター。
日本舞踊発表会。
生花サークルに入りませんか。
杉並区からのお知らせ。
杉並区?
ホワイトボードは時間と部屋ごとに区切られた表。
学習室B、夜間、一千一秒。
なんだっけ、一千一秒って。
イナガキタルホ。
大学で読んだ。
学習室Bは二階。
階段を上る。
学習室Bを見つける。
部屋から声が聞こえる。
なにかのせりふ。
うそくさい。
芝居がかった。
芝居。
向井兜太の入っていた劇団。
早坂長太郎。
わたしは、ドアをあける。
部屋には誰もいない。
部屋には長机が並べられている。
「こんばんは」
声。
聞いたことのない、声。
「どうぞ好きなところにおかけになって」
わたしは後ろを振り向く。
ドアの前に見たことのない男が立っている。
長身の男。
メガネをかけている。
なんだか不健康そうな肌の色。
細身のジャケット。
「前は声もかたちも、ね……。はじめまして、といっていいのかな」
「早坂長太郎」
わたしはいった。
「次は会えるっていったでしょう」
「ここには誰もいないんだ。飲み物が欲しかったんだよね。一階の自販機でコーヒーでも買ってくればいいんだけれど、あまり出歩かないほうがいいかな」
それに、多分時間がない。
手短に話しましょう。
きみとはいろいろ話したいんだけどね。
わたしは、早坂長太郎の、話を、聞いた。
ただ、聞いた。
トモコはアキラくんと一緒に帰っていった。
「おめでとうございます」
わたしはアキラくんに深々とお辞儀をした。
「生活面かなり雑で気性も激しいし、そのくせインドアで引っ込み思案ですけど、めちゃくちゃめんどくさいと思いますけど、よろしくお願いします」
「そういう人、大好きなんです」
アキラくんはいった。
前の嫁はどうだったんですか。前の前は、とインタビューを試みたかったが、もちろんしない。
結局わたしは、早坂長太郎のことを誰にも相談することができない。あたまおかしいんじゃないの、と一笑にふされそうだからではない。わたしには、よくわからないのだ。
施術が終わったあとで、アリサカにいおうとしたけれど、いえなかった。ぼんやりしているわたしにアリサカは、足ほぐしといたんで、今日は水たくさん飲んで、さっさと寝てください、といった。
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