10 次は会えるっていったでしょう

第19話 次は会えるっていったでしょう①

 今日のトモコはそわそわしている。なんというか、ひとつひとつの所作が杜撰である。ふわふわ、足が地面についていないようだった。わたしたちは用がなければ会うことはない。なのにお茶でもしない? なんて声をかけてくるとは、こりゃなにかあったな、と思った。そういうとき、トモコにとっての大発表がある。なんとなく予想はついていた。

「実は、結婚することになったの」

神妙な顔でトモコは告白した。タリーズに入って、席について、すぐに。

 トモコは嬉しいと困ったが混ざったなんともいえない顔をしていた。トモコのことを知らない人からすれば、ムカつきすぎて発狂寸前、とでも思うんじゃなかろうか。この顔はトモコの性格をよく表している。つまり、自分が幸福であることに罪悪感を抱えている、というやつである。彼氏ができたとき、卒業制作で学長賞を受賞したとき、初個展をすることが決まったときもこんな顔をしていた。ああ、そうそうアキラくんと一緒に暮らすこととなったときもこんな顔をしていた。

「えーと、今日はなにかな、これはー、幸せのおすそ分けってやつっすかね」

 わたしはいった。

「そういうジョークの前にいうことあるだろうが」

「おめでとう」

「……ありがとう」

 往年のトレンディドラマのごときタメをきかせてから(イメージ 浅野温子)、トモコはいった。しかしまったく笑っていない。

「あのね、結婚報告を友達にするときはもうちょっとましな顔ってもんがあるでしょうよ」

「わたし、どんな顔してる?」

「どうって」

 なんともいえない顔、とわたしはいいそうになった。

「許嫁と結婚することが決まって、そんな親に決められた相手となんか結婚したくない、とかいってるくせに実はその許嫁は初恋の人だから嬉しいんだけど、そういうことを悟られたら恥ずかしいから我慢してます、って顔」

「なんだよそれ」

 トモコがやっとまともに笑ってくれて、わたしは一安心だった。

「でもね、なんでこんなことになったんだろうなって。だってさ、父親より年上の相手と結婚するなんてさ、普通思わないでしょ」

「あんたファザコンだからね」

 トモコはお父さんが大好きなのだ。好きな異性のタイプは「お父さんみたいな人」とか真顔でいいやがる。すごいなあ、とわたしは感動すらしていた。娘にそんなこといわれた日にゃ、お父さん冥利につきるよなあ。卒展でトモコのお父さんに初めて会ったとき、わたしは驚いた。別にかっこいいわけでもないし、むしろ背はトモコと同じくらいで少々お肉もついている。白髪混じりのおじさん。別に顔だとか体型だとかという問題ではなく、わたしにとって、「おぢさん」という認識しかできなさそうなタイプだった。申し訳ないけれど、別れて少ししたらもうどんな人だったか忘れてしまいそうだった(さすがに友人のお父さんだし忘れやしないけれど)。

 あ、とわたしは声をだした。

「なに?」

 トモコが怪訝そうな顔をした。

「いや、なんでもない」

 トモコのなんともいえない表情がそっくりだった。挨拶をしたときのお父さんの顔が。

「なるほどなあ」

 わたしは生命の神秘を見てしまったような気持ちになった。

 お父さんが大好きでお父さんにそっくりなトモコは、そんなお父さんにそっくりなトモコのことをお父さんのように好きでいてくれる人が好きなんだ。

なんだかものすごく回りくどいことだけれど、そういうことだった。

「いいね」

 言葉にしたことで、やっとわたしは、腹の底から彼女を祝福することができた。

「でもね、これからが大変よ」

 トモコはいった。窓の向こうを彼女は眺める。十月になったばかりだった。道行く人々の格好はばらばらだ。まだ夏を引きずって半袖の者もいれば、しっかり着込み始めている人もいる。来月にはコートの準備をしたほうがいいかもしれない。わたしはといえば、まーくんのお下がりのでかでかと「FUJI ROCK」と書かれているTシャツにスウェットパーカーを羽織っていた。季節感以前にしょうもない格好をしている。トモコはといえば、結婚決定幸せいっぱいというのに全身真っ黒。どうせコム・デ・ギャルソンだ。卒業してからも両極にいるわたしたちだった。

「別に大丈夫でしょう」

 トモコが選んだ相手なら、あのお父さんも文句はいうまい。そうたかをくくっていた。まあたしかに、アキラくんは特殊かもしれないけれど。

「でもさ、考えてみたらわたしとあの人ってさ、変よね」

「別にぜんぜん変じゃないよ」

条件反射のようにいった。

「だってさ、そもそもギャラリーオーナーと大学出たての無名の自称芸術家でしょ」

「自称芸術家」

 わたしたちが良くする笑い話だ。わたしたちがなにか新聞沙汰にでもなってしまったとき、どういう職業にされるのだろうか。アーティストとはさすがにいわれないだろう。多分無職とかアルバイトとか「自称芸術家」とか書かれるんではなかろうか。わたしはこの「自称」というやつがちょっと気に入っていた。寂しくもあり、頭がおかしいって人に思われそうでもあり。わたしは人に「バカやってんなあ」って呆れられるくらいがちょうどいいと思っていた。すでに周りにそう思われているだろうけど。

「年の差あるしねえ」

「それにね、最近わかったんだけど、アキラ、二回結婚してるんだよね」

 さすがにそれを聞いてわたしは飲んでいたコーヒーを吹きそうになった。

「えーとつまりそれは」

「二回離婚してるってこと」

 そりゃそうだ。

「それはそれは、なかなかレアなことを」

 どう答えたところで、気を悪くされそうだ。返事をするのに勇気がいった。

「レアポケモンゲットだぜってかんじ?」

 トモコが自嘲的に笑う。彼女の一番似合う笑い方。

「いや、レアポケモンは見つけたときからレアポケモンだけどさ、でもそれって」

「別に気にしてはないから」

 きっぱりとトモコはいいきった。二人の元妻とのあいだに、子供はいないらしい。最初の妻とは学生結婚で、二番目の妻とは当時働いていたアート本を作っていた編プロの同僚で、トモコとは自身の経営しているギャラリーで知り合う←イマココ。

 環境変わるごとに妻をめとってるじゃねーか、あんな性欲薄そうな涼しげな顔して! わたしはトモコと話しながら思っていた。むしろあっぱれ。益荒男ぶり半端ない。

「あんた顔にすぐ出んだよねえ」

 とトモコはいった。

「なんだかもういろいろ追いつかなくってね」

 とわたしは変な言い訳をした。

「あんたのほうはどうなのよ、あの全身性器男と」

 トモコはわりと気にしいなのだ。自分のことばかり喋っているとでも思ったのだろう。

「ああ、ミッちゃん」

 わたしはいった。アイスコーヒーを飲み終えてしまい、氷を噛んだ。

「その顔」

 トモコはいった。

「どんな顔してる?」

「あんたはさ、やなこと聞かれるとなんかヘラヘラすんのよね」

 ほっとけよ、と思いながら、わたしは本邦初公開する。

「別れた」

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