第18話 打ち上げのカリスマと楽屋俳優②
「やっぱあれかねえ、舞台俳優ってのは難しいのかねえ」
さかえがいった。
「なにが」
「小さい劇場とかでお芝居しててもさ、ギャラとか安いのかな」
「安いどころか一銭もでないだろ」
「そうなの?」
「むしろチケット売らなくちゃいけないもんだからひーひーいってるよ」
「詳しいね」
「常識でしょそんなの」
動揺を悟られないよう注意しながら、僕とさかえは、向井兜太の苦労時代を語る、バラエティ番組を観ていた。
向井は高校時代、学校の芸術鑑賞会で初めて演劇というものを観た。文伯座の名作『男たちの一生』だった。
「ああ、文伯座は知ってる」
さかえはいった。
「へえ、有名なの?」
僕はすっとぼけた。
「なんか偉い俳優がいっぱいいるとこよね」
偉そうにさかえは答えた。もちろん僕だって知っている。そもそも、向井とは文伯座で知り合ったのだ。
大学在学中に文伯座の演劇研究所に入所し、俳優修行を始めた向井。どこから手に入れたんだか、発表会の映像が流れた。よかった。僕と向井はダブルキャストだったので、僕は映っていない。
『向井くんはあのときから芝居と真剣に向き合っていましたね。とにかくいつもぶつぶついってて、正直気持ち悪かったです』
スタジオからの笑い声、ワイプで抜かれた向井の困り顔。しゃべっているのは同期の篠原晴美だ。懐かしい。同期で座員まで昇格したのは、彼女だけだった。
『しかしそんな芝居バカの向井は、座員に昇格することができず、芸能事務所からの誘いもなかった』
そんなとき、昇格した同期の芝居を観に行ったときのことである。文伯座の演出家に挨拶をしたとき、そこで演出家と話していた男が、向井の運命を変えた。
再現フィルムの役者があまりに似ていないものだから、僕は吹き出しそうになった。そして、わりと冷静に心の中でツッコミをいれた。あのとき僕と向井は一緒に研修生となった晴美の芝居を観に行った。同じく研修生に昇格した、演出部の境隆司が、気を利かせて卒業公演の演出をした滝村先生に挨拶をしろといって無理やり僕らをひっぱっていったのだ。
『きみ、いまなにもやっていないのか。だったら僕の芝居に出ないか。そういったのは、演出家、早坂長太郎だった』
「早坂長太郎?」
さかえが素っ頓狂な声をあげた。僕は驚いて、座っていたソファから腰を浮かせてしまった。
「なんだよ」
僕は訊ねた。さかえが知っているはずがない。
「いや……えーと、知り合いに似た名前の人がいて、いや、作家だったかな」
「ああ、川崎長太郎?」
「そうだっけ、忘れた」
「私小説書いてた人じゃん」
「ああ、そうそう、それと似ててなんか」
妙にそわそわしているさかえを気にすることができなかった。僕はそのとき、腹を立てていた。そんなこと、早坂はいっていない。滝村先生が、早坂は文伯座の養成所を何年か前に卒業し、劇団を立ち上げたと僕らに紹介した。
「まあ研修科落ちる程度のやつらだけど、いちおう喋れるように仕込んでるから、お前こいつら使えよ」
と口の悪い滝村先生が、僕らを早坂に押し付けたのである。
向井のなかで思い出が美化されているのか、番組がいい話風に仕立てているのかはわかりかねるが、まったく違う。
さかえは食い入るようにテレビを観ていた。
「なにお前、真剣な顔してるぞ」
僕は笑いながらいった。
「うん、なんかすごく興味ある」
演劇題材にした小説書こうかしら、などとさかえはいいだした。
「なんでまた」
「いや、熱いじゃない、こういうのみんな読みたいんじゃないかなって」
なんだかいいわけでもしているみたいだった。
やめとけよ、たいした話にならん。ただの貧乏苦労話か才能のあるやつの自慢話にしかならない。そういってやりたかった。
「珍しいな」
「静かに」
こうして向井は早坂の劇団『一千一秒』に所属することになる。
『早坂さんに僕は芝居のイロハを教わったと思っています』
向井は話す。劇団での稽古は壮絶なものだった。早坂は作演出をしており、稽古のたびにセリフが変わっていく。話の筋まで変わってしまうことがあった。劇団員たちは早坂の演出に食らいついていった。なぜならば、『早坂の芝居は面白かった』のだ。俳優の素質を見抜き、さまざまなアプローチで俳優たちを追い詰めていく。たった一分の場面を三日中稽古することもあった。幕が上がるまで、誰も全貌をつかむことができない。しかし舞台に立ったとき、向井は震える。そこにはリアリティとファンタジーが混在した、まさに早坂の美学というべきものが立ち上がったのである。
「なんだかな」
僕は思わず口にした。隣のさかえはさっきと同じまま、真剣にテレビを観ている。
おそろしく盛ったことになっているな、というのが僕の感想だった。たしかに早坂の作品を僕は愛していた。けれど、観客(といっても知り合いばかりだった)にはウケが悪かった。難解だったし、それにそんなにすごい芝居ならなんでメジャーになれなかったんだ。既に当時ツイッターだってあったし、拡散されて話題になるはずだろう。『一千一秒』は下北沢とか中野あたりの小劇場で上演していた。本多劇場にも紀伊國屋ホールにも進出しなかった。かといってメセナに受からなかったしフェスティバルに参加することもなかった。
もちろん早坂が金勘定が下手だった、ということもある。だが、やはりなにか足りなかったのだ。
知り合いだらけの観客の前で、芝居は演じられていた。
それは、出口のない部屋のようでもあり、ゴールのないマラソンのような日々でもあった。密室殺人や生き残りをかけたデスゲームならまだましだった。ただ腐っていく道筋でもあった。
早坂が車に轢かれ、命を落とす。あっけない幕切れとなる。
それによって劇団も解散。メンバーたちもちりぢりになってしまった。
しかし向井は諦めなかった。さまざまなオーディションを受け続け、落ちるを繰り返しながら、活動を続けた。そんなとき、ある映画のオーディションが新宿某所で開かれるということを耳にする。だがオーディションを受けるためには事務所に所属していなくてはならない。そりゃそうだ。身元のしっかりしたところから送られてくる人間から選ぶものだ。向井は履歴書を握りしめ(とナレーションは表現していた)、映画監督の元へ向かった。
「すごいねえ」
そんな熱血なことなど基本鼻で笑っているさかえがため息をつく。
「そうだね」
僕はなんともいえなかった。この再現ドラマはひとつ省略していることがある。向井が単身乗り込んだわけではない。僕と一緒に乗り込んだのである。
その心意気に映画監督は向井のオーディション参加を認めた。そして役を勝ち取った。そこからが向井のブレイクのはじまりだった。
「いやあ、見応えあったわ」
番組を観終えて、さかえはいった。
「この人、あんまり顔は好みじゃないけど、いい男じゃない」
そういって冷凍庫からアイスを取り出す。
「誰にだってそういう、いいところってのはあるもんでしょ」
僕はいった。
正直、番組は僕を疲弊させていた。
「なにその一般論」
そういわれ、僕はさかえのほうを見た。さかえはアイスを食べているとは思えないほどに張り詰めた表情をしていた。
「どうした」
「そういえば、まーくん大学入る前になにしてたの?」
突然そんなことをいわれ、僕は顔をしかめた。
「なにって、ただのフリーターだよ」
僕は答えた。自分でいっておきながら、なんとも情けなかった。
「バイトなにしてたんだっけ」
さかえは続ける。
「なにって、本屋にレンタルビデオ屋に本屋にお化け屋敷のお化け役とか、あと本屋に美術館の受付とか」
「本屋ばっかりね」
「社割で本買えるしね」
「お化け屋敷のお化けっていいよね」
「あれはもうこりごりだね」
さかえはアイスクリームを食べながら、なにか考え事をしているようだった。
「新作のアイデアでも思いついた?」
「うん」
心ここにあらず。僕たちは、ほんとうにどうでもいい会話をしているな、と思った。
そして、マイメロを思い出した。買ってやろうと思っていたのに。
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