14 まーくんの小説

第27話 まーくんの小説①

 通された部屋に入ったものの、どうしたらよいのやら。飾られている掛け軸を眺めてみるも、まったく良さがわからない。部屋まで案内してくれたアスティさんが、さきほど教えてくれたのだが、「へえ、そうなんですね」としかコメントできなかった。いれたお茶もさっさと飲み終えてしまった。かすかにお香のにおいが漂っている。

 なにをして時間を潰せばよいのか。障子を開けると闇のなか、ぼんやり広い庭園が見えた。きっと「いい」お庭なんだろうなあ。わたしはなにも知らない。掛け軸も、香りも、お茶も、庭も、どう「いい」と捉えたらよいのかわからない。わかるときがくるのだろうか。

「お待たせ」

 一時間ほどして、向井がやってきた。

「お食事のご用意させていただきます」

 アスティさんが丁寧なお辞儀をして去っていった。イントネーションが東京と違う。

 向井に対しても一切関心をもっていないよう振る舞う。プロだ。

「ごめんね、もっと早くに終わるはずだったんだけどね」

 そういってどかっと座布団に腰を下ろした。

「おつかれさま」

 わたしはいった。

「うん、ごめんね」

 向井は何度もごめんね、といった。

「ぜんぜん、ごめんなんていわないでいいよ」

 向井は頭を下げている。わたしは向井を撫でた。まーくんになり代わって、撫でている。そんなふうに感じた。

 早坂長太郎に冷やかされたとき、ほんとうにわからなかった。そしていま、わかった。

 わたしはこの人のことをまだ好きじゃなくて、なぜならわたしは、いつだって誰かに好かれると、客観的になろうとして、距離をとってしまう。そう簡単には直せない。

 わたしたちはいま、京都にいる。


 昨日のことだ。スーパーから出たときに、ちょっとすみません、とずんぐりむっくりした男に声をかけられた。

「向井兜太さんとおつきあいされているんですか」

 汗が身体中から吹き出す。

「なにをおっしゃっているんですか」

 わたしは冷静になろうとつとめた。

「先日、向井兜太のマンションから出られましたよねえ」

 そういって、男は胸ポケットから写真を取り出す。

 その写真には、わたしと向井がマンションに入っていくところがばっちりと写っていた。

「どちらさまですか」

 わたしは男に訊ねた。男の肌は脂ぎっていて、いつまでも見ている気にはなれない。目は斜視気味だった。

「ああ、わたくしはマルゼンジュンクローと申します」

「丸善ジュンク堂」

 本屋がなんでこの写真をわたしに見せておどしているんだよ。

「違います、マルゼンジュンクローです。渋谷に丸善ジュンク堂がオープンしたのは2010年ですからね、あっちが僕をパクったんですよ」

 ひひひ、と自分のいったくだらないジョーク(?)でマルゼンはひき笑いを自分勝手に起こす。

「わたしじゃないですよ、これ」

 きっぱりと、わたしはマルゼンに告げる。絶対に、はい、なんていってやるもんか。こういうときのマニュアルがあるならいますぐ読みたい。グーグル検索したい。

 買い物しようと街まで、出かけたら、パパラッチに、声かけられ、スーパー前で硬直。

 るーるるるるっるーーーーーーーーーー!!!!

 今日は腹立つくらいにいい天気!

「ああ、そうですか、そうですか。はいはい。そうなんですねえ。じゃあ別の方かもしれませんねえ。失礼いたしました。お詫びにこれ差し上げますわ」

 そういって膨れたビジネスバッグから袋を取り出した。

「シガールです、ほら、ヨックモック。みんな大好き、お詫びのお菓子の定番」

「いりません、こんなの」

「まあまあ、ご迷惑おかけしましたし、ね。あー、雑誌の締め切りに間に合わせなきゃなんないんでね、ほらほら、ばっちり向井さんの顔写っちゃってるし、あなたに似てる女性もね、探さないといけないし、こりゃ大変だあ、まあ関係ないのならね、近いうちにね、載りますんで、雑誌。楽しみにしてくださいねえ。いま売り出し中の俳優の下半身事情とか興味あるでしょ、やっぱみんなねえ。人類総ゲス野郎! 一月からもドラマあるし宣伝効果ばっちりだしねえ」

 マルゼンはがなり立てた。スーパーから出てくる人たちが、わたしたちを遠巻きに眺めている。

「……へえ、楽しみ。どこの雑誌かしら。シューカンブンシュンかなあ!」

 恥ずかしさと怒りに、わたしもまた大声で怒鳴り返した。殴り合いになるのなら、手に握っているスーパーのビニール袋でこいつの顔をぶっ叩いてやる。固いもの買っておけばよかった。

「あんた、そういうこといってると痛い目見るぞ」

 マルゼンはいった。こいつ、チンピラじゃないか。態度が豹変した。

「あんたの同棲相手に写真見せたら絶句してたよ。そりゃそうだよなあ、彼女がまさか、昔の友達とやりまくってるとか、ショック死起こしちまうよ。松田って男、甲斐性なしだもんなあ。コンビニバイト始めたばっかりで、外国人バイトにダメ出しされてたぜ。情けねえ。あんなん見切りつけて金もった俳優に乗り換える準備万端ってわけか」

「コンビニ?」

 なにいってんだこいつ。頭おかしいんじゃねえの。まーくんは本屋で働いてるだろうが。

「千駄ヶ谷のコンビニで、死んだ目でレジうってるところ、さっき直撃させてもらったんで。ショックすぎて認めてたよ、写真に写ってるヤリマンがおめーだってな」

 わたしの時間が止まった。

「あんたさあ、男をあんな顔にさせるなんて最低だな。泣いてたぜ、レジで。子供みたいに泣き喚いていたよ。外国バイトのパイセンがブチキレてたぞ。確認とれたしさっさと店出たからあと知らねえけどな」

 まあせいぜい命は気をつけな。彼氏に殺されたらまた取材させてもらうんで。ブンシュンホーじゃなくて悪かったなあ。そういって男は地面に唾を吐き、足早に去っていった。

わたしは家に戻り、買ったものを冷蔵庫に入れた。それからしばらく、窓際で日が暮れていくのをただじっと見ていた。五時になったら真っ暗になる。あかりはつけなかった。スマホが長く鳴っても、わたしはとらなかった。誰からの電話かも確認する気が起きなくて、机の上に放っておいた。

 ドアの開いた音。聞き慣れた足音。明かりがつく。荷物が床に置かれる。わたしは振り向かなかった。足音は洗面所に向かう。しばらくしてトイレの流れる音。こんなにはっきり聞こえるなんて、静かすぎるのか、それともわたしが敏感すぎるのか。

「で、いつからなの」

 声がした。

「兜太とどこで知り合ったの」

 声がした。

 うまく答えられそうもなくて、でもこのままではいられなくて、わたしは意を決して、まーくんを見た。

 そこにはいままで見たことのない顔があった。

 なんで、そんな顔をしているんだろう。

 怒り狂っているように見える。

 とても悲しそうにも見える。

 そうだ。わたしは、この人が一番大切にしていたものを奪ったんだ。

 この人は、向井兜太のことが好きで好きで、早坂長太郎になりかわろうとしていた。でも駄目で。

 わたしはこの人に憎まれている。

 なのに、わたしは笑いそうになった。

 まるで、わたしとこの人が付き合っていて、わたしの浮気がばれたみたい。

 マルゼンジュンクローが見たら、そう思うだろう。みんな思うだろう。

 そう思ったら、なんでか嬉しさがこみ上げて、わたしは、照れ笑いをしてしまう。

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