第28話 まーくんの小説②

「きみが読んだ英二の小説、ありゃ僕が書いた話だよ」

 早坂長太郎はわたしにそういった。まだ早坂さんとコンタクトをとれていたときのことだ。

 なにをいってるんだか。早坂さんあんたいくらなんでも自分高く見積もりすぎじゃない? 影響与えてる的なこといいたいんでしょ。

「いやいや、マジでマジで。英二のハイヤー・セルフが自動書記したとかそういうファンシーなものじゃないよ。まあ、俺あいつの高次の存在になんかなりたねえけどさ」

『ハイライト』『早坂長太郎』って検索してごらん、と早坂さんが頭の奥から囁く。わたしはアイフォンを握ったまま、サファリを開くことができなかった。怖い、と思った。

「まあべつにいまやれとはいわないけどさ」

 わたしはやけになって開く。わたしは本当に単純だ。


××大学文芸サークル「サラサーテ」同人誌データベース

第32号 (短編)早坂長太郎『ハイライト』


 検索結果のトップにあった。開いてみると、ご丁寧に本文も掲載されている。「無許可でネットに載せんなよ! これだから学生ってやつは!」などと早坂は腹を立てている。煩わしい。たしかに、まーくんの小説だった。違う。まーくんの小説として、提出されたものだった。

「僕が大学の頃に書いた短編だよ。にしてもサークル名だっさいなあ。ああ次の号には『惑星』も載ってるよ」

『惑星』は、まーくんが二度目の特別授業で提出したものだ。

「インターネットにこんなデータベース作られるとほんとうに恥ずかしいよ。黒歴史だってのにさあ」

 さかえちゃん? 早坂の声。

 あんた、わたしの頭ん中で喋ってるんだから、わかってるよね。

「きみの内側に、涙がこぼれているね。ごめん、デリカシーなくて。調子乗ってた」

 早坂の声が途切れた。

 なんで早坂の小説を、まーくんが提出したのか、真意がわからなかった。問いただしたかったけれど、できない。怖い。

 わたしはまーくんの部屋に入った。ベッドと本棚、そして折りたたみ式テーブルが狭いなかに詰め込まれており、足の踏み場はわずかだ。そもそもたくさん本が床に積まれている。わたしはテーブルに置かれているMacBook Airを開く。パスワードはまーくんの生年月日だ。前に自分のパソコンが壊れたとき、調べ物をしたくて使わせてもらった。デスクトップに小説、というフォルダを見つけた。わたしは開いた。


無題1.doc

松田英二『我輩は猫である』

我輩は猫である。名前はまだない。…………………


 なんだこれ。


無題2.doc

松田英二『雪国』

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。…………………


 意味がわからない。

 書写しているの? なんで作者名を自分にしているの? 無題108まであった。

すべて、有名作品だった。まーくんの小説らしきものは、なにもなかった。


「お客さま、お加減大丈夫ですか?」

 そういわれ、わたしは我にかえった。

 ここは嵐山で、いま自分は人力車に乗っている。運転してくれている車夫は浅黒い顔をしていて汗だくだ。みっちゃんを思い出す。今頃ナントカ坂ちゃんとよろしくやってくれていたらいい。

「大丈夫です」

 竹が生い茂っている道を車は進んでいる。今宮神社に向かっているらしい。

 京都で撮影中の向井が、わたしを呼んだ。会いたいよ。会って話したい。そういったくせに、結局わたしたちは寝ただけだった。向井がなにを話したかったのか、わたしは聞こうとしなかった。

「しばらく京都にいればいい」

 昨晩、布団のなかで向井はいった。向井のお金で京都に長逗留する、と考えたら急にわたしは居心地が悪くなった。

「明日帰る」

 わたしは向井に背を向けて答えた。

 向井がきつくわたしを抱きしめる。また、始まる。三十を過ぎてから、あと何回セックスできるかと思うようになった、と向井が前にいったのを思い出した。ああ、なんて陳腐なんだ。わたしはなすがままになりながら思う。生娘が自分の性欲を鎮めようと妄想を膨らませて綴った恋愛小説のようじゃないか。なにもかもお膳立てされた都合のいい。

 朝早くに向井は部屋を出て行った。東京でもう一度話そう、といった。マルゼンジュンクローを思い出した。このまま会うことがなくても、仕方がないだろうな、と感じた。べつにさみしくない。違う。いま自分の身に起こっている感情を、うまく理解できない。

 嵐山の旅館を出て、ぶらぶら歩いているとき、人力車の勧誘にひっかかった。わりと値段は高かったけれど、車夫の子が、やたらとアピールしてくるので、一番安いコースを頼むことにした。

「『若紫』って名前なんですか」

 わたしは車夫のお兄さんになにか話しかけたほうがいいかもしれないと焦り、乗るときに刻まれていた文字について訊ねた。

「そうなんですよ。ほかに『明石』とか『夕顔』なんてのもあります」

「『源氏物語』」

「よくご存知で」

 舐めてもらっちゃ困るよ、いちおう読んだよ全部。セトウチジャクチョー訳だけどさ。

「毎日この辺りを走っているんですか」

「嵐山は珍しいですね。いつもは東山のほうです」

「じゃあ、運が良かったんですね」

「ありがとうございます!」

 威勢のいい返事にわたしは笑った。

 がたがたと、車は揺れながら走っていく。冷たい風が頰に当たる。だからひざ掛けが余計に暖かく感じる。

「今宮神社の玉の輿守りが人気でして……」

 車夫の兄ちゃんのトークを聞きながら、わたしは失格だ、と思った。

 あのまま通俗へ流されれば良かった。自分からきちんと伝えれば良かった。相手がなにかいえるよう隙を与えれば良かった。

 なぜみんな、恋愛小説が好きなのか、わかった。うまくことが運ぶなんて普通ないんだ。陳腐をこなすためには、努力が必要。怠った者にそんな甘味を味わう資格なんてない。そんなことをくどくど考えているうちに、結論に達した。

 わたしは向井に惹かれている。

 そしてまーくんの顔が思い浮かんだ。薄い口唇、しかめっつら。

 一体なにを考えているのかわからなくなったというのに、まだまーくんが恋しい。

 困った。

「お写真撮りましょうか」

 撮影スポットだったらしい。

「いかがでしょう」

 撮ってもらった写真を見たら、竹林をバックに、人力車に寂しそうな乗った女がいた。

「なんだか一人だと寂しいね」

 愛想笑いを浮かべながらわたしはいう。

「お客さん、今宮神社でお祈りしたら良縁一発ですよ!」

 彼氏がいないと思ったらしいコメントである。まあ、実際どうなのかさっぱりわからないのだけれど。

「そっすね」

 わたしは小さく笑う。

「笑顔素敵ですよ。もう一枚、その笑顔で撮りましょうよ!」

 車夫のお兄さんが、くしゃっとした笑顔を見せた。

 きみの方がかわいいよ。

 ちょっと〜惚れてまうやろ〜、とわたしは古いギャグを頭のなかで呟いた。

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