13 言葉なんか覚えるんじゃなかった

第25話 言葉なんか覚えるんじゃなかった①

「この店を閉めることにした。もうここにいる意味なんてないから」

「ああ、お勘定を」

 僕は慌てて尻ポケットから財布を取り出そうとした。

「違うわ、この店は今年で閉店するってことよ」

 店には僕しかいなかった。いつものように壁の向こうからくぐもったカラオケ(今日は『夢芝居』だ)が聴こえている。

「早坂さんはもうこないから」

 いつもと同じ無愛想な表情だった。彼女の感情は顔にあらわれない。

「ああ、そうなんだ」

 納得をしたような言葉が口にでたけれど、まったく納得していない。混乱している。

「最近まったく顔を出さないとは思っていた。よそをふらふらうろついているんだろうってたかをくくっていた。あの人、いろんな女がいるからね。本妻のところにはいっさい寄り付こうとしないくせに、あっちへうろうろ。でもね、消えてしまった。この世にはもういない。いないということだけはわかった。気配がないのよ」

 ミチヨちゃんの言葉を、僕はただ聞いた。それしかすることがなかったからだ。

「誰かが必要としなくなった。忘れるのではなく拒絶した。なんてひどいことを。たった一人、誰かが完璧な拒否をしただけで、消えてしまうほど脆弱なものだった。そんな弱いものにすがっていたわたしたちはもっと弱かったのかもしれない。そうあることで、なんとか生きながらえることができたっていうのに」

『夢芝居』は終わり、『恋するフォーチュンクッキー』の合唱が始まった。隣には何人いるんだ。酷すぎる。

「店を閉めてどうするの」

 僕は訊ねた。

「ストリップのシフトを増やすわ。寝ずに暮らすことで早坂ともコンタクトをとることもできたけど、もう無理なら必要以上に身体を酷使する必要はない」

 ミチヨちゃんは店のそばにあるストリップ劇場でも働いている。一度観にいったことがある。

 死ぬつもりではなさそうだった。それならば、いいと思った。

「そうか」

「夏に、あなたの恋人たちがきたわよ」

「恋人なんていないね」

「綺麗な顔をした男の子と、個性のない女の子」

 クニヒロと、まさか。息ができない。

「二人ともほんとうの快楽を知らない顔だったわ。よっぽどお相手が下手くそなのか、それとも不感症なんじゃない」

「厳しいコメントだね」

 なんとか口にできたコメントも、さまにならない。

「松田さんは常連だったからね。最後くらいはサービスしないとね」


 渋谷を降りると仮装した連中がうろついている。やたらめったらに騒ぎ、はしゃいでいる。写真を撮りまくり、誰もが大声で話す。レベルの低いコスプレだ。前を見ずに歩いてくるピカチュウの着ぐるみを着た男と、すれ違いざまにぶつかった。「普通の格好してんじゃねえよ」

 後ろから声が聞こえ、笑い声がかぶさる。

 なにいってんだこいつらは。お前になってぜってえ決めてやんねえ。ふざけんじゃねえよ。どれだけ騒いでいようと、お前らなぞなんにも楽しくなんてねえよ。バカか。笑い声ばかりが渋谷を覆い、無数のカメラがシャッターを切る。

警官がところどころで睨みをきかす。なんなんだ、ここは。

 ここはいったい、どこだ


やばいねこれやばいねまじやばいんだけどねえねえこんななっちゃってさいこうなんだけどさむーまじさむーせっかくなのになんでこんなさむいんだよあきじゃねえのかよいまもうふゆだからにほんじゅうがつなのにもうふゆなのあしたからじゅういちがつだしおもしろすぎないきみらてれびでられるよほんとなんかおなかすいたよねーいちらんたべたいつたやはいれないんだってなんなのあーたのしーあのこかっこいいよねほらなんだっけおぐりしゅんににてないあのこわたしせっくすあんますきじゃないんだよねこんなばかできんのとかいましかだしいぬとねこかうならどっちいいかなあーじむいきてーきんとれしとけばとりあえずだいじょうぶでしょやれるしちんぽじなおしてえきたねえなあたわれこのべんじょでむかしやったことあんだけどさしねよてめえやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい


「来年からこの店はね、雑貨を取り扱うカフェになることが決まりました」

 夏にやってきた店長が、朝の朝礼で僕たちに告げた。

「売り上げが落ちる一方なのと雑貨部門のみ調子がいいということ、アンケートを実施したところ、このエリアに欲しいものとして、カフェが若い女性の上位に上がりました。で、昨晩通知がきました。リニューアルオープンは一月となります。十二月に研修がありますが、その際には時給もでますので安心してください」

 僕と神山は入荷した雑誌を開け続けた。こんな日に限っていつもより荷物が多い。僕たちは黙っていた。一度会話を始めたら、なにが飛び出すかわからなかった。

 リニューアルについて話したのは、昼休憩を回し始める頃になってからだった。

「そりゃ女どもはカフェ欲しいだろうけどさ」

 神山は顔を歪ませいった。

「よそでやれよ」

「よそじゃしないことをするのが金儲けだろ」

「ホリエモンでも読んだの松田くん」

「読んだことない」

「ホリエモンとか西野がいってそうなこと、いうなよ、つまんねえから」

 誰かが先になにかをいっている。自分の言葉なんて、なにひとつない。

「おいおい、このあたりで本屋なんてうちしかねえじゃん。もうこの街の連中はあれか、みんなバカになれってことかい」

「必要なくなったのかもな」

 早坂長太郎はなにもいわず、消えた。

 そして、感情に訴える言葉は、この世にはもう存在しない。

 がらくたな言葉。

 くだらない言葉。

 だれかのモノマネ。

 自分を飾るための。

 武装しなくては、生きていけない。

 仮装。

 自分を自分でなくす。

 そもそも、自分はここにいない。

「今日で店、やめるわ」

 僕はいった。

「俺もやめよっかなー」

 冗談と捉えたらしく、神山も同意する。



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