6 あげませんからね

第11話 あげませんからね①

 プリントアウトした、最新作(!)にわたしはアカ入れしていた。賞の締め切り一週間前に初稿を上げることができた。わたしとしては上出来だ。いつだってぐずぐずとして、前日になんとか書き上げて、たいして直せもせず、あわてて郵便局に駆け込んでいた。

 これまでのものとは一味違う。書き上げたときの満足感といったらない。誤字脱字に、てにをはを直すのすら楽しい。

 賞金を手に入れて、まーくんにご馳走してやろう。旅行にも行きたい、授賞式にはヨージヤマモトを着ていきたいな、夕方伊勢丹に下見でもしにいこうかな、などと考えながらの訂正は、はじめ楽しくてしかたがなかった。

 だが、直しているうちに、あれ、面白いかこれ? この主人公、なんか思考がおかしくない? これじゃサイコパスじゃないの? などと思えてきた。

 そもそもこんな男のことを好きになるか? 安直すぎない? あ、なんかラストがしょぼい、あっさりしすぎている気がする、などと客観的になればなるほどあらが出てくる。ああ、もうだめだ、これ駄作かもしれない。

 アカ入れを完了させて、直しを打ちこみ終えてから、わたしは底に落ちていた。

 そもそも恋愛小説なんて世の中に腐るほどあるわけだし、こんなそれほど盛り上がりのない話なんて面白くないかもしれない。自分的には最高! と書いているうちには思っていたけれど、どうなんでしょう、読者の方からすれば、展開が読めるってやつじゃないのか。そんなもの読むほど現代人には時間はない。むしろ無駄な時間使わせやがって、逆に金払え! ってなもんではなかろうか。

 わたしは意見を求めていた。いや違う。誰かに「大丈夫だよ」といってほしい。トモコにワードを添付したメールを送り、そんな愚かな行為をした自分に呆れ、「やっぱさっき送ったやつ見ないでくれ、後生だ」とメールをしようかと思いつき、その愚かさの上塗もできず悶々とした。

 ああもうこうなったらまーくんが帰って来たら無理やり読ませて感想を聞こう、そうしよう、やっぱまーくんに聞くのは一番いい。きっと嫌そうな顔をしながらもなんだかんだと一気に読み、「悪くないんじゃない」というに決まっている。

 それだけでいい。

 とにかく実務的な直しの作業だけをし続けて、締切日に目を瞑って送ってしまおう、という結論に達したところでチャイムが鳴った。

 昼間家にいると、人っていうのは訪ねてくるもんなんだなあ、とここで暮らし始めて思った。セールスだの集金だの廃品回収だの。くだらんものを売りつけようとしたり、やたらと金をよこせといい、いらないものがあったら売ってくれ(たいがい宝石はないのかなどといいだす)といってくる。

 今日はいったいどんなやつだよ、面倒臭そうなら出ないでおこう、とモニターを見ると、若い男が映っていた。

「あ、さかえさんですか?」

 その若い男はわたしを見るなりにっこりさわやかな笑顔を浮かべた。

「どちらさまでしょうか」

 こういうあたりかまわずスマイルゼロ円を寄越してくるやつには、警戒してしまう。きみ、絶対に自分の魅力というのものを熟知しておるね、でもね、そういうやつをうさんくさいと感じてしまう人間も世間にはおるんですよ。そういってやりたくなった。

「松田さんの友人で、アリサカっていいます」

 アリサカ、なんてやつ、まーくんが話したことはなかった。

「あの、どちらのアリサカさんですか」

 わたしは訊ねた。完全にこの男のスマイルに負けていて、なんとなくおどおどとした物言いをしてしまった。

「マッサージ店で働いているんですけれど、松田さんは常連で、先日お忘れ物をされたんです。なんで近くにきたついでに持ってきました」

 そういってアリサカなにがしはカバンからタグホイヤーの腕時計を出した。たしかにこれはまーくんはいつも左手にはめているやつだ。

「そうですか、ありがとうございます」

 腕時計を受け取り、わたしはさっさとひっこもうと決めた。

「松田さん、まだお帰りじゃないですか」

「今日は朝からだったから、もうじき帰ってくると思うんだけど」

「だったらご挨拶したいんですけど、待ってていいですか」

 アリサカはいった。

 めんどくさい。まじでめんどくさい。

「あ、じゃあ、どうぞ」

 でも、わたしは愛想よくいってしまった。即後悔した。というか、忘れ物届けたんだからもういいじゃないか。

「おじゃまします」

 やっぱなしで、たんま、といいたかった。どう断ったらいいのかわからぬまま、アリサカは玄関で靴を脱ぎ出した。まーくんと同じバンズのスニーカー。


「麦茶しかないんですけど」

 わたしはしぶしぶ、彼を通し、さっきまで原稿を見ながら悶絶して座っていたテーブルに彼を促した。

「お仕事中でした?」

 テーブルの上にある、乱雑な字でアカ入れした原稿とMacBook Airを見て、彼はいった。

「いえ、終わったところです」

「よかった」

 たしかに、彼はわたしが今日原稿に向かうのを諦めたところでちょうどよく現れた。

「どうぞ」

 わたしは麦茶を入れたコップを置いた。なにかお菓子があったっけ、と探したのだけれど、この家には来客用の菓子も、自分用の菓子すらなかった。

「どうも」

 とアリサカはいい、麦茶を一口飲んだ。

 ここしばらく、まーくん以外だと近所のコンビニバイトくらいしか話をしていなかった。買い物のやりとりが会話の範疇になるかの議論など、するつもりはない。

 わたしはアリサカの座るテーブルから少し離れたところに立っていた。

「マッサージ、けっこう行ってるんですか、まーくん」

「まーくん?」

「あ、松田です」

「まーくんっていってるんですね」

 アリサカはいった。かわいいなあ。今度僕もそういってみようかな。

「あの、けっこう行ってるんですか、マッサージ」

 わたしは二度訊ねる羽目になって、少しイラついた。

「そうですね、常連さんです」

 アリサカはわたしの気持ちなどおかまいなしである。しかも、わたしは自分がいま、超間抜けな格好であることに気づき、余計にむしゃくしゃしていた。

「そのTシャツ、松田さんのですか」

 アリサカが訊ねた。

「なんでわかるんですか」

 いまわたしは、『電気グルーヴ』とでかでかと書かれているTシャツを着て、しかもグレーのスウェットパンツをはいていた。

「松田さん、電気好きですもんね」

「ライブに行くときまーくんが着てるやつなんですけど、ちょっと借りてて」

 洗濯が面倒で、まーくんのものをちょいと拝借した。わたしの姿をみても、とくにまーくんはなにもいわないので、暗黙の了解、とさせていただいている。

 なにが起きるかわからないのだから、格好は多少気を使わなくてはならない……。

「松田さんは腰から足にかけていつもパンパンで、立ち仕事の人ってどうしてもそうなっちゃいますね」

 わたしの格好に一切興味がないらしく、アリサカはまーくんの身体のことを話した。いや、ちょっと語気が荒く感じる。

「そうなんですか」

 逆に問われたらしどろもどろになる。一方的にしゃべってもらっててきとうに相槌をうっておこう。

 とにかく早く帰ってきて、まーくん。わたしは祈った。

「ところで、早坂長太郎って何者ですか」

「はい?」

 さっきまでまーくんの足だの肩甲骨だのいってたはずなのに、突然知らない名前をいいだした。ぼんやりしていた頭がいきなりしゃきっとなった。

「早坂?」

「知らないんですか?」

 さっきまでとはうって変わって、アリサカの顔は真剣そのものだった。まるで、自供をさせようとしている刑事のようだ。まるでわたしがこそどろみたいじゃないの。

「聞いたことないかも」

 素直に答えた。

 アリサカにハヤサカ、どっちもサカってついてるね、などとどうでもいいことを思った。

 まるで嘘くさい演技みたいなため息をついてから、なんだ、あなたなにも松田さんのこと知らないんですね、とアリサカはいった。

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