凛々しい騎士様

 トゥアールの村はかつてないほどの賑わいを見せていた。


 今日は祭日。夏至を祝う祭りである。


 農業において欠かせないのは何においても水なのだが、それと同じくらい重要なのが日光だ。日照時間が足りないと作物は発育が不十分になり、収穫に影響ができる。これを冷害と呼ぶ。


 太陽が一年の中で最も長く地上を照らす夏至の日に、冷害にならないよう光の恩恵をもたらしてもらえるよう祈願する祭りがトゥアールの夏至祭りだ。


 余談ではあるが、豊穣を祝う祭りは秋祭りとして別にある。それどころか、厄病封じの夏祭りも控えている。そして、ついこの間も雨乞いのための祭りがあった。


 辺境の農村ではとにかく祭りが多い。一応は古い信仰に連なるものではあるのだが、娯楽が少ないことも無関係ではない。何かにつけて酒が飲みたいだけ、と言われても反論できないだろう。


「おお、ミランに、賢人様がた。ようおいでなすった」


 村の入り口で、鉢巻き姿の村長が出迎えた。


「村長、とっておきの燻製だ。祭りで使ってくれ」


「いつも助かるわい」


 ミランから肉の燻製の包みを受け取ると、村長は白い歯を見せて相好を崩した。齢六十に達するが、未だに自前らしい。


「賢人様がたも楽しんでいってくだされ。麦酒もあるでの」


「あら、それは美味しそうね」


 麦酒と聞いてフローラは顔を輝かせた。


 トゥアールの夏至祭りは麦と関わりの深い祭りであり、新麦などを使った麦粥や麦酒でお祝いする。


 麦は庶民の生活に欠かせない作物だ。芋と並ぶ主食であり、酒、調味料なども麦を発酵させたものから作る。トゥアールの夏至祭りは収穫した麦の豊作の感謝と、米の豊作の祈願、どちらの側面も持っているのである。


「さっそく頂いてきましょう。人間の歴史は酒の歴史ってね」


 ご機嫌になったフローラを見て、ファウナが眉を顰めた。


「理性を麻痺させる酒を好むのは、賢人として悪しき習慣だと思いますけど」


「堅いことを言わないの。せっかくのお祭りだもの。楽しまなきゃ失礼ってものよ」


「そりゃそうですけど」


「ファウナも一緒にお酒もらいに行きましょうよ。私、まだこの村にきて日が浅いから、訳知り顔でもらいに行くのも気が引けるし」


 その発言に一番衝撃を受けたのはミランだった。


「嘘だろ、お前でも遠慮することとかあるのか?」


「失礼ね。私でも遠慮することくらいあるわよ」


 だったら、もう少し普段の振る舞いを改めてほしいと思わずにはいられないミランであった。


「ミランさんも行きましょう?」


「――いや、俺はここで待ってる。お前たちだけで行ってこい」


 努めて平静に、ミランは言った。


 ミランは〔神狩り〕だ。形而上であろうと形而下であろうと、神と祭られるものを討つ定めを負った者だ。こういった催しでは縁起が悪い存在である。だから、こういった日は入ってこられるのも村の入口まで。


 だが、そんなことを言えば二人は気を遣い、祭りに行くのを諦めただろう。だから、あの時、ミランはその理由を黙っていた。


「ああ、ちょっとわしから話したいことがあるんじゃよ」


 じゃろ、と村長が目くばせをする。ミランは頷いた。


「そうですか。それじゃあ、お言葉に甘えて」


 そう告げると、二人並んで酒をもらいにいった。


 今の間に、自分だけがこの場を去る言い訳を考えなければ。


「いま、自分だけが帰る方法を考えておるな」


 村長はお見通しのようだ。


「無理じゃよ。お前さんがどれだけ頭をひねって理由を作っても、あの二人ならすぐに察しが付くじゃろう」


「……だよな」


「お前さんも混ざればええ。〔神狩り〕ゆえに、こういった祭事から遠ざけられてきたのは過去の話じゃ。そんなところまで律儀に継承せんでいい。村のみんなもとっくに理解しておるさ」


 村長は最も年配でありながら、〔神狩り〕という存在に最も疑問を持っていた人物だった。


 もっと古い時代は、〔神狩り〕は村への境界を跨ぎ越すことすらできなかったという。村社会に必要とされながら、穢れを理由に隔絶されていたのだ。物々交換のために来訪が許されているミランは、かなり理解されていると言っていい。


 その背景には、ミランの父の功績が大きかった。


 数年前の話だ。大戦時の伐採で怒り狂った〈森の王〉による周辺の被害は、イール地方過去最大の獣害事件と言っても過言ではない。地図から消えた集落もある。トゥアール村でも多大な犠牲を出した。それを鎮めたのがミランの父だ。


「そうだな。時代は変わっていく。俺みたいな役割も、そのうち消えていくんだろう。実際、今じゃ害獣駆除は騎士団の仕事だ。……でも、だからこそ、消える時は俺の意思で選びたいんだよ。それまでは、しきたりどおりに〔神狩り〕で在り続けるつもりだ」


 それは偉大な父を持つが故の決意だった。もし、ミランが己の役割を放棄してしまったら、父が成し得た偉業はどうなる。それさえも時流の彼方に消えてしまうのではないか。


 人は忘れる生き物だ。だからこそ、せめて自分が生きている間だけは、父の名誉を守っていきたかった。


「それに、〔神狩り〕じゃなかったら、あいつらとも出会えなかったしな」


 ミランの日常に紛れ込んだ異物。


 最初は困惑したが、慣れもした。懐かしかった。誰かと暮らすということを思い出すことができた。〔神狩り〕を継承する前の、ただの子供だったころのことを。


 それに――


(ファウナと出会わなければ、きっと俺は自分から距離を置いていただろう)


 差別されるのではない。きっと、自分が人間を差別していた。自分は人間とは違う生き物なのだと。愚かな生き物と同列に数えられるなど、こちらからお断りなのだと。


「ほっほっほ。確かに、毎日華やかそうで羨ましいわい」


「ああいうのは姦しいって言うんだよ」


「で、どっちが本命じゃ?」


「別に、あいつらとはそんなんじゃないって」


「なんじゃ、一つ屋根の下に住んどるくせに。まだ手を出しておらんのか」


 やれやれ、と村長はかぶりを振る。


「宿を提供しているのは仕事の一環。好きで一緒に住んでいるわけじゃない。俺が一人が好きなの、知っているだろう?」


「もったいないのぅ。あんな可愛いおなごと一つ屋根の下なぞ、わしが代わってやりたいくらいだわい。さぞや、むふふな展開が日常茶飯事なんじゃろ?」


「そんなこと言っていると、また茶碗が飛んでくるぞ」


 などと下らない話をしていると、二人が戻ってきた。思ったより早い。なにも言い訳を思いつかなかった。


 だが、盃を持って帰ってきたのはフローラだけだった。手ぶらのファウナはどんよりとした顔だ。


「頂けませんでした……子供は駄目だそうで。もう元服済みだと言っても聞いてくれませんでした」


「農村のくせに意外と真面目だったわ。そういうのに寛容だと思ってたんだけど」


「納得いきません」


 ファウナはぷくっと頬を膨らませた。だろうなとミランは思う。そんな子供っぽい反応をされたら、とても元服しているようには見えない。


「いえ、お酒が頂けなかったのは別にいいんです。自分が子供っぽいのは自分が一番わかっていますから。納得できないのは、フローラはもらえたことです。どっちかっていうと顔つきはわたしと同じで幼いほうなのに」


「うーん、さすがにこれで間違えられてもねぇ」


 フローラはどんと胸を張った。衣服の上からでもはっきりとわかる膨らみは、いかにも少女然とした未成熟体型のファウナはおろか、同年代の女性のそれよりも遥かに大きい。それでいて顔はファウナと変わらないほど若々しいのだ。ある意味で反則である。


「不条理です……どこでこんなに差が開いたのか……学院に入学したばっかりの時は同じくらいだったのに……」


 恨みがましくファウナがぶつぶつと呟く。


 その時、陣太鼓の音が村中に響き渡る。


 広場のほうに人が集まっていくのが見えた。用意された舞台に、具足に身を包んだ騎士たちが次々と登っていく。


 今回の夏至祭りの目玉、イール地方駐屯騎士団の団員たちによる演武である。


「へえ、あの騎士団が祭りの演目をねぇ」


 フローラが意外そうに呟いた。


「あの綺麗な赤毛はアクイラ十騎長ですね。ミランさん、挨拶に行きましょうよ」


「……そ、そうだな」


 なんて説明しよう。ミランは脂汗を流しながら、次の言葉を考えていると――


「ほうれ」


 村長がミランの背中をどんと叩いた。ミランは体勢を崩し、思わず一歩踏み出してしまう。ちょうどそこは、村と外を隔てる境界線だった。


「おい、村長……!」


 信じられないとばかりに村長を睨みつける。


「ええからええから。村のみんなには、わしからも話を通してあるでな。誰も反対せんかったよ。みんなの思いを汲んでやってくれ」


「……知らないぞ。罰が当たっても」


「可愛い娘さんたちに申し訳なさそうな顔をさせるほうが、よっぽど罰当たりじゃわい」


 そう言って、村長は呵々と笑った。


 事情が分からない賢人二人は揃って首を傾げた。



     ◇



 村長の言ったとおり、村人たちはミランの姿を見ても何も言ってこなかった。


 それどころか、歩みを進めるたびに「これも食え」「あれも食え」とばかりに色んなものを押し付けられる。あっという間に両手がいっぱいになった。


「すごい人気ね。さすがは〔神狩り〕と言ったところかしらね」


「……まあな」


 言葉とは裏腹にミランの表情は複雑だ。嬉しいような、そうでないような。何ともこそばゆい感覚。


「っていうか、お前、それ何杯目?」


「数えてないわねー」


 酔いが回って楽しくなったのか、フローラはけらけらと笑った。


「麦酒なんて所詮農村の自家生産、自家消費。質は語るに及ばない。でも、とりあえずたくさん飲めるのはいいことねー」


「国がなんでもかんでも税をかけるからだろ」


「国家賢人としては耳が痛いですね……」


 レスニア王国にはれっきとした酒税法が存在する。嗜好性の強い酒類は支配者にとって都合のいい税収の対象であり、無認可で製造販売すれば厳しい罰則が待っている。


 ただし、それは主原料に米を用いた場合だ。


 米は王侯貴族の税収であり、経済に組み込まれる以上、どうしても相場というものが生まれる。なので、米を用いて製造する酒は、経済を制御する上で何かと都合がよい。米が足りなければ価値が高騰するため、酒蔵に回す余裕がない。逆に米が余れば価値が下がるため、酒蔵に回すことで絶対量を調整し、相場を制御する。こういった経済の働きを酒造統制という。


 それ以外の穀物で製造された酒についてはその限りではない。そもそも麦酒は王国が建国される以前から庶民の間で日常的に製造され、消費されていた。酒税法が制定されてからも、その数があまりにも多いために取り締まりきれないし、専門家が製造するものに比べて明らかに粗悪であるため、例外的に見逃されている。


 なので、麦酒は庶民でも手軽に作れ、気軽に楽しめる嗜好品として現在でも君臨し続けているのである。


 こんな辺鄙な農村にどれだけいたんだと思う人込みを掻き分け、三人は演武が行われている舞台の前で腰を落ち着けた。


 ちょうど数人の騎士が実戦形式の演武を披露しているところだった。刃を潰した訓練用の刀剣を手に、入れ代わり立ち代わり技を繰り出している。手に汗握る攻防だ。


「ミランさんはどうですか、ああいうの」


 ああいうの、とは人間同士の戦いを指すのだろう。ミランは困ったような表情を浮かべた。


「俺は正面から殴ったり蹴ったりっていうのは、あまり得意じゃないんだ」


「そういうものですか」


「そういうものだよ」


 ミランから言わせれば、戦闘と狩猟には大きな隔たりがある。


 そもそも猟師は獣と正面から向き合わない。


 なぜか。理由は至極単純で、危険だからだ。


 文明の中にいると忘れがちだが、人間は生き物としては格段に弱い。徒手空拳であれば野犬にも劣るだろう。多少の技術があっても、野猪と腕一本で戦えと言われれば、いくらミランであっても不可能だ。


 獣との身体能力の差を埋めるために猟師は知恵を使う。獣の習性を知り、追跡し、先回りして罠を張り、それでも駄目なら姿を隠して遠くから射殺す。


 実際、ミランの狩りはほとんどが罠猟だ。接近戦など、罠が通じなかった時や不慮の遭遇時などの最終手段と言っていい。一流の猟師とはいえ、戦闘まで一流だとは限らない。


 しかし、言い換えれば――手段を選ばずにただ殺すだけならば、その限りではないということだ。その狩猟技術を人間に向けて使用すれば、大勢の人々を一方的に虐殺できるだろう。もちろん、ミランは善良な人間で、彼がそんなことをしないのはファウナが一番わかっているのだが。


「あ、アクイラ十騎長ですよ」


 満を持して、二人の知己である中隊長アクイラが舞台に上がった。


 アクイラという女騎士とは魔犬の件で接点がある。父の命を奪った戦争の立役者である騎士であることや、魔犬の存在の隠蔽を図るなど、あまり良い印象はない。


 だが、今になって思えば、彼女は彼女なりに戦争再発の可能性を潰そうとしていたのだろう。苦手意識が完全になくなったわけではないが、さりとて敵対する理由も、今はなかった。


 すると――


「アクイラ様よ!」


「ああ、いつ見ても凛々しいお姿だわ!」


「素敵! 抱いて!」


 辺りから主に黄色い声援が沸き起こる。


「……おい、なんか男女比に偏りがないか?」


「アクイラさん、お綺麗ですもんね。背も高くて、足も長いし。何といっても凛々しいし。同じ女性として憧れます。熱狂的な支持者がいてもおかしくないですよ」


 ファウナは握りこぶしで熱く語る。


「そういうもんか」


「そういうもんです」


 確かに、アクイラには女性らしさの中に凛々しさ、逞しさなどの男性的な魅力を感じる。ミランは王族など見たことはなかったが、きっととはこういう感じの生き物なのだろうなとぼんやり思った。


 とはいえ、いくらアクイラの体躯が大きくとも、あくまで女性としては、という但し書きがつく。男の、しかも兵役で鍛えられているほかの兵士たちと比べると、やはり頭一つ小さい。


 だが、双剣を構えたアクイラの姿はまるで蜃気楼のように巨大化して見える。これが熟練の武芸者が放つ剣気というものであろうか。


 アクイラに続いて、三人の兵士が舞台に上がる。兵士たちはそれぞれ、大、中、小の射程の武器を構えていた。


 アクイラはこれら三人を同時に相手にしようというのだ。


「……これは危ないですね。一歩間違えたら大怪我します」


 深刻な表情でファウナが呟く。


 勝ち抜き戦と多人数戦では危険度の桁が違う。いくら腕が立つ武芸者であろうと、人間である以上、どうしても死角は存在するからだ。一騎打ちでは無敗の剛の者が、乱戦の横槍で命を落とすことは少なくない。


 言い方を変えれば、個人の実力差を埋めるために多勢で挑むことは、それだけ戦術として有効であることを示している。


 試合開始の太鼓が鳴った瞬間、三人の兵士はこう動くだろう。


 まず、長柄の武器を持った兵士がその穂先でアクイラの動きを抑え。


 次に、短剣を持った兵士が懐に飛び込んでアクイラの武器を封じる。


 動きも武器も封じられた状況を作り出し、最後に両手剣を持った兵士が隙の生じた部分に必殺の打ち込みを行う。


 それぞれの武器の特色を生かした、定石通りの大物殺しの連携である。さしものアクイラも手も足も出ない――かと思われた。


「はじめっ!」


 始まりを告げる太鼓が鳴った。


 それと同時に、三人の兵士はそれぞれの役割を果たすため動き出し――迎え撃ったアクイラはまず、長柄の兵士に向かって


 長柄の兵士は虚を突かれ、弾き落とすこともできないまま投擲された剣で強かに胴を打った。幸い鎧があるので怪我はしていないだろうが、試合では戦闘不能として扱われるだろう。


 その瞬間、定石が崩れた。


 短剣の兵士はすでに動き出してしまっている。得物が軽い分、行動も早い。結果として彼だけが突出した形になってしまった。


 動きが押さえらていないアクイラは余裕を持って迎撃する。片手とはいえ、もとより中剣と短剣。射程の差でアクイラが有利であるし、一対一ならば単純に強い方が勝つ。アクイラのわずか一太刀で短剣の兵士は沈んだ。


 そして、そのまま滑るように両手剣の兵士に張り付く。一度接近を許してしまうと、両手剣故の長い刀身が邪魔をし、兵士は攻勢に転じ切れない。


 膠着した状態から腕を掴み、アクイラは鋭く足を払った。両手剣の兵士は背中から地面に叩きつけられる。戦闘不能だ。


 かくして――わずか数秒で、三人の兵士は尽く敗れ去った。


 多勢で囲まれることが有効であるならば、逆にそれを崩すための攻略法もまた存在する。即ち、連携を崩すか、一対一の状況を作り出す立ち回りをすることだ。その意味で、アクイラの取った戦法は見事な定石崩しである。


 三人の兵士もよく鍛えられていたが、アクイラの技量は彼らよりも頭一つ抜けていた。圧倒的とさえ言える。


「見事なものですね」


 ファウナが感嘆の息を漏らす。対してミランは無言であった。


 対峙した相手とどう戦うかを無意識に思考するのが戦士ならば、いかにして狩るか無意識に思考するのが猟師だ。もともと騎士嫌いもあってか、これまでまともに騎士の実力を図ろうとしなかったミランだが、いざその力量を目の当たりにすると真顔にならざるを得ない。


 ――手強い。一筋縄ではいくまい。接近戦になれば熊にも匹敵する。そういった手合いは罠で仕留めるに限るが、相手は知恵持つ人間だ。罠だの仕掛けだのは騎士として精通しているだろう。高い知性を持った獣は、時に撤退という選択をする。


「……となると、毒を盛るしかないか」


「なに物騒なこと言っているんですか。ほら、アクイラさんが降りてきますよ。挨拶に行きましょう」


 こっそりと席を立つと、三人は舞台の裏へ向かう。すると、大勢の拍手に見送られたアクイラがちょうど舞台を降りてくるところだった。


「これはファウナ殿にミラン殿」


 アクイラは爽やかな笑みを浮かべる。


「見事な演武でした」


「拙い技で恐縮です」


「そんなことありません。まさか初手から剣を捨てるなんて。あれで全体の呼吸が乱れましたね。あ、でも、あれって反則じゃないんですか?」


 ファウナが言っているのは、剣は騎士の魂なのではないかという部分だろう。それを簡単に手放して、騎士としての面目は保てるのかと。


「まさか。武器はあくまで手段の一つ。それをいかに活かすかが武芸というものでしょう。逆に言えば、部下たちは武器を使うことに。だからこそ、虚を突かれたのです」


 居付くとは、何かにこだわり、思考が止まることを指す武芸の言葉だ。硬直した思考は柔軟性をなくし、戦術の幅を狭めるばかりか攻め入られる隙を生む。今回はその差が如実に表れていた。


「もっとも、今回はうまくいっただけです。もし、自分の投擲が防がれていたら、定石通りに負けていたでしょう」


「でも、意外ね。騎士団が村の祭りに参加するなんて。四角四面のお役所仕事ってわけじゃないのね」


 これまで口を挟まなかったフローラが、のっけから無礼なことを言う。


「……失礼。こちらの方は?」


「こちらはフローラ。わたしの学友で、同じ国家賢人です」


「ほう。あなたも我が国の碩学でいらっしゃるか」


 アクイラは片膝をついて、頭を垂れた。嫌味なほど様になっている。


「自分はアクイラ十騎長。イール地方駐屯中隊の長を務めている者です。以後、お見知りおきを」


「これはどうもご丁寧に」


 礼には礼をもって応えるのか、フローラは服の裾を軽く持ち上げて会釈する。


「そして、先ほどの問いの答えですが、こういった催しも我々の仕事のうちです。我々の強さを領民に知ってもらうことは重要ですから。治安維持に従事する騎士が弱くては頼りないでしょう?」


 騎士団の性能を示す一種の示威行為なのだろう。実際、効果はあったようだ。それは観客の反応を見ればわかる。


 アクイラを含め、中隊の兵士たちは強い。それは平時であっても訓練を積むことができる常備軍ならではの練度だ。半士半農の武力体制ではこうはいくまい。他の国々よりも先んじて常備軍を導入したレスニア王国は、これまで兵の質の差で大国と渡り合ってきたのである。


 しかし、そんな騎士たちもたった一匹の犬に翻弄され、六名もの犠牲者を出した。改めて、魔犬は恐ろしい相手であったと痛感する。


「それに、こういう祭りに足を運ぶのは何も堅気の人間ばかりではありません。そういった輩の侵入に浮かれて気づかないこともある。その抑止も目的の一つです」


 ふと、アクイラがミランを見やる。


「……ミラン殿も楽しまれているか?」


「うむ。遠慮なく食っている」


「そのようだ」


 ミランの食べ物で塞がった両手を見て、アクイラはにこやかに微笑む。が、すぐに真顔になった。


「ミラン殿。改めて貴殿の先日の働きに感謝したい。……それと、謝罪も」


「別に、改めて言われることじゃないさ。俺も悪かったと思っているよ。あんたたちの立場を考えないで言った言葉だったからな」


「そうか。そう言ってくれると……助かる」


 二人の間に奇妙な沈黙が下りた。ファウナは穏やかに微笑を浮かべる。まだこの村に来たばかりのフローラには、ミランとアクイラの事情が分からないので、首を傾げるしかない。


「では、自分は持ち場に戻ります。また縁があれば、よろしく」


 そう言い残し、アクイラは颯爽と去っていった。


「……かっこいいですねぇ」


 それを見送ったファウナが、ほう、と溜め息を漏らした。


 フローラが意外そうに目を瞬かせる。


「え? ファウナ、そういう趣味だった? 寝てる時、やたら抱き着いて胸揉んでくるなとは思ってたけど……相部屋、やめようかしら」


「誤解ですよ。同性として羨ましいなって思っただけです。っていうか、わたし寝てる間にそんなことしてるんですか?」


「してるわよ。割と頻繁にね。……まあでも、確かに私から見てもかっこいいと思うわ。悔しいけどね」


 フローラにしては殊勝な意見だった。結果を重んずるフローラだけに、それは美辞麗句や社交辞令ではなく、本音なのだろう。


「強いし、綺麗だし、頼りがいがあるし。完璧な女性ってアクイラさんみたいな人を言うんでしょうね、きっと」


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