取り残された者たち

「これはすごい……! 確かにそういう仮説はありましたが、ここまで体温が高いとは! 慣性恒温性、いや、自力で熱を生み出しているのでしょうね……ふおお、なるほど!」


 さっさと着替えたファウナは、水浴びを終え、木陰で涼んでいる渡り竜の観察を始めた。きらきらと瞳を輝かせ、無遠慮にぺたぺたと触りまくる。


 渡り竜は機嫌を損ねるわけでもなく瞳を閉じているが、見ているフローラやアクイラからすれば冷や汗ものだ。


「本当にこの子は人は襲わないみたいね。しかし、今更だけど渡り竜をこんな間近で見るのは初めてだわ」


「自分もです。渡り竜は死肉を貪るためによく戦場に出没するとは聞きますが、なにせ危険ですからね。近づこうとする者はいません」


 合戦というものは基本的に農繁期である春と秋を避けて夏に行う。それはちょうど竜の渡りの時期と合致し、彼らは栄養の補給のためにしばしば戦場に現れる。


 だが、彼らが合戦に積極的に介入することはしない。合戦が収束するまで待ってから、戦場に残された戦死者を食べるのだという。それ以外で竜が人間を餌にするという話はあまり聞かない。


 理由は不明だが、獲物を狩るよりも死肉を食べるほうが楽だからだろう。長期に渡る飛行で疲労した彼らは、極力飛ぶこと以外で活動したくないのかもしれない。人間が抱える戦争という命題。それによって被害を免れているとは、なんとも皮肉な話である。


 とはいえ、竜が人をまったく襲わないわけではない。自衛のためならば牙をむくだろうし、老成竜などは飛ぶことを辞めているため積極的に狩りをする。いずれにせよ、人間が不用意に触れていい動物ではない。


 ……のだが、この渡り竜はどうも変り種らしい。ファウナが背中に乗っても意に介さない。


「それにしても、怪我した動物の手当てをするなんて、ミラン君にしては随分感傷的なことをしたわね」


「お優しいではないですか」


「いや、別にミラン君が冷酷な人間だって言っているんじゃないのよ。ただ、彼の生き方からすると、ちょっと不自然に感じて」


 弱肉強食の理が支配する自然の中では生きるのも、死ぬのも等価なのだ。いくら動物が怪我をしたからといって、一時の感情で干渉すべきではない。少なくとも、ミランはそういう立場のはずだった。


 ましてや――


「友達ねぇ。やっぱり腑に落ちないわ。ねえ、ファウナ。実際にありえるの、そういうの?」


 調子に乗って竜の背中に登ろうとするファウナが振り向く。


「ああ、爬虫類には心がないって話ですか?」


「そうそう」


 俗説ではあるが、爬虫類には心がないと言われている。犬や猫は子供が危険に晒されると身を挺して守るが、爬虫類はそうではないからだ。少産少死を選択した胎生と多産多死を選択した卵生では、そもそもにおいて共通した観念を持ち合わせていないと考えるのが普通だ。フローラの疑問ももっともである。


 ファウナは竜の背中から降り……もとい、落ちて尻もちをついた。お尻をさすりながら、よろよろと立ち上がる。


「あたた……そうですね、人間以外の生き物の心理については、あまり開拓されてない研究分野ですが……憶測ですが、ミランさんと仲良くなれたのは、彼らがいずれ滅びゆくものだからかもしれません」


 場違いなファウナの言葉に、フローラが首を傾げた。


「どうしてよ。頭が悪い表現だけど、竜は最強の生物でしょ。現在確認されている生物の中でも文句なしに最大級の捕食者。それがどうして滅びるっていうのよ?」


「えーっとですね……化石という言葉を知っていますか?」


 アクイラは首を横に振ったが、フローラは頷いた。


「私は知っているわよ。古い地層から発見される、奇跡的に土壌に還元されなかった生き物の死骸のことでしょ?」


「さすがですね、フローラ。その通りです。古生物学については地質学の派生なので、わたしも専門ではありませんし、あくまで論文を聞きかじった程度でしかないのですが……太古の昔、地上にはもっと多くの竜が存在したとされています。それも、現在のものよりも遥かに大きい種ばかりだったといいます」


 地質学者は発掘された化石の復元予想図を見て、そのあまりの大きさに驚嘆したという。


「素朴な疑問だけど、その超大型の竜はなんで今はいないの?」


「聞きたいですか? 長くなりますよ?」


「要点だけ掻い摘んで、お願い」


「では、ざっくりと。なぜ滅んだのかについては諸説様々ありますが、有力視されているのは環境の変化です。

 まず最初に説明しなければいけないのは、超大型竜の多くは草食性だということです。肉食の竜しか知らない我々からすれば意外ですね。ですが、牛や馬を見てわかるとおり、往々にして草食動物のほうが体が大きいのですよ。加えて、爬虫類は外温性動物のため肉体維持に必要な栄養源が我々より少なくて済むし、寿命の限り成長し続ける。ですから、化石で発見されている超大型竜は骨格や顎の形から草食性だと考えられています。

 それを踏まえて、太古の時代は気温が現在よりも高かったのではないかと言われています。もっと言えば、四季さえ存在しなかった。年中夏と言ったところでしょう。どうしてそのような発想に至るかというと、気温が高いと植物がよく育つからです。要するに、草食性である超大型竜にとって、当時は食料が豊富な楽園だったのでしょうね。

 もちろん、肉食性の竜も大きかったことは言うまでもありません。餌となる草食竜が大きいのですから、それに対抗するために自らも巨大化しなければならなかった。これを動物学では共進化と呼びます」


 長い。どこがざっくりなのか、とフローラは思わず半眼になる。


 構わずに、ファウナは続ける。


「ですが、ある時、何らかの原因で環境が変化したのです。地上の気温が下がり、四季が生まれたために植物は以前のように育つことができなくなりました。その影響をもろに受けたのが草食竜です。食糧が不足したため、彼らはその巨体を賄うことができずに数を減らします。当然、草食竜を食べていた肉食性も同様です。

 さらに、四季の到来によって爬虫類の外温性の生理特性が仇になります。極端に低気温になると、自身で熱を生み出すことができない爬虫類は活動そのものが困難になるのです。それら複数の要因が重なって古代竜は滅びたと考えられています」


「……アクイラさん、わかった?」


 アクイラは力なくかぶりを振った。


「いいえ。この世界に四季がなかったなど想像の埒外です。何より、人間が生まれる前の世界というものを考えたことがありません。世界は、初めからこの姿だとばかり思っていました」


 フローラが肩をすくめる。


「アクイラさんの反応が正常よ。国家賢人わたしたちはこの世界の在り様についてより一般人より深い理解があるけれど、ファウナが言っているのは賢人の中でもさらにぶっ飛んだ解釈だもの。というか、ファウナ。それ公開規定に抵触するんじゃないの?」


 国家賢人は時代の最先端を行く知識、技術を持ち合わせているが、それを民間に無許可で公開するのは禁忌とされている。悪用を防ぐためだ。


「推論だらけの仮説だから大丈夫ですよ。なんの確証もないですし」


「それもそうね。じゃあ、現在まで生き残った竜についてはどう説明するの? 聞いている限り、絶望的な状況だったわけでしょ?」


 目の前にある現物を指す。


「簡単ですよ。いいえ、わたしも実際に触れてみるまでは確証はなかったのですが――彼らが純粋な外温性動物じゃないからです」


 アクイラの頭に疑問符が浮かぶ。矛盾しているじゃないか、と言わんばかりだ。竜は有翼爬虫類なのに、と。


「……なるほどね。古代の超大型の竜は、当時よりも気温が下がったために、食糧事情や体温調節の機能の折り合いがつかなくなって滅びたけれど、現在確認できている竜は、ほど外部熱源に依存しない生理特性を持ったなのね」


 ファウナの説明の不足を持ち前の知識で補って、フローラが結論を出す。そのあたりの頭の回転は、さすが国家賢人とでもいうべきか。


「その通りです。おそらく我々の知る竜種は古代竜と違って外温、内温、どちらの特性も持っているのでしょう。羽毛で体温を保持するのは鳥類のような内温性の特徴ですし、少ない栄養で体を大きくできるのは、やはり爬虫類のような外温性の特徴です」


 渡り竜は幼体の頃、羽毛が生えているという。面積が小さいうちはそうやって排熱量を抑制しているのだ。成長に伴って抜け落ち、あとは巨体を生かした慣性恒温性によって維持している。


 また、レスニアに生息する羽毛竜は常に羽毛に覆われている。四季の気温差を克服し、渡りをする必要がなくなったが、同時に内温性の生理特性が強いために体を大きくすることができない。渡り竜と同じ種族に括られてはいるが、実際は系統的に離れた生き物なのかもしれない。


「……ふうん。中途半端な存在ね」


 フローラの冷ややかな評価に、アクイラが首を傾げた。


「そう……なのですか? 自分には鬼に金棒のような意味合いに聞こえましたが。だって、どちらのいいところも持っているのでしょう?」


「いえ、フローラの言うとおりです。彼らはその中途半端な特性故に、。正当な竜でもなく、かといって現在の環境に適応した他の爬虫類でもない。太古の姿のまま、時代の変化に取り残されたのです」


「ですが、やはりそれは、変化する必要がない完全な生態ということではありませんか?」


「フローラが言っているのは在り方のことですよ。竜とは違うから、生き残れた。他の爬虫類と違って小型化できなかったら、転がり込むように生態系の頂点に立った。どちらの仲間でもないのです」


 ファウナの言わんとすることに、二人も気がついた。


 この場にいる女たちは知っている。この渡り竜のように、中途半端な存在を。神でも人でもない少年を。それを善しとした生き方を。


「だから、もしかしたら……この子はミランさんに何らかの共感を持ったのかもしれません。自分と同じように時代の流れに取り残された古の狩人に、自分を重ねたのかも」


 そして、それはミランも同じだったに違いない。理由や経緯はわからずとも、この生き物が自分と同じくだと感じたのではないか。だからこそ、弱肉強食の理に背いて、ミランは手を差し伸べたのではないか。


「――なんて、ただの妄想です。これだけの体が大きいのですから、脳も大きいのでしょう。ある程度の知能を有していてもおかしくはありません。ですから、懐くこともあるんじゃないでしょうか」


 かくり、とフローラとアクイラの首が折れる。


「ちょっと。私はあんたの妄想話が聞きたかったんじゃないのよ」


「ごめんなさい」


 ちろり、とファウナは舌を出した。


「なに難しい話をしているんだ?」


 すると、ミランが竿と魚籠を回収して戻ってきた。


「お帰り。よくもまあ、この状況でこの場を離れられたわね。噛みつかれたりしないか、ちょっとは心配じゃないの?」


「心配する必要がないからな」


「あっそ」


「それに、せっかく釣った魚を狐に取られるのも癪だからな」


 ミランの姿を確認すると、渡り竜が体を起こした。首を伸ばし、ミランに鼻をこすりつける。


「……そうか。行くのか」


「え、も、もう行っちゃうんですか?」


 ファウナは名残惜しげだ。


「前にも言いましたけど、竜の生態についてはまだわからないことのほうが多いんです。危険がないならもっと観察したいのですが……」


 フローラとアクイラは溜め息を吐く。死にそうな目に遭ったというのに。ファウナの生き物好きは、ちょっとやそっとの危険では変わらないらしい。


「また来年があるさ」


 ミランは微笑を浮かべて、言った。


「あ、そっか……そうですね」


 ファウナは笑った。


 ミランは毎年顔を出すと言っていた。この風変わりな渡り竜は、また来年もこうしてやってくるのだろう。なら、別に今でなくてもいい。


 それに、自分は来年もここにいていいのだ。そう言ってくれたことが、ファウナにとっては何よりも嬉しかった。


「じゃあ、さようならじゃなくて、またね、ですね!」


「そういうことだ」


「またね!」


 その言葉に応じるように、渡り竜は大きく翼を広げると、悠然と大空へ飛び立っていった。



     ◇



 その帰り道のこと。


「あの子の子供も、渡りができるまで育つといいですね」


「そうだな」


 いかに強力な生物とはいえ、弱肉強食の理からは逃れられない。最強などという言葉は人間の尺度の限界だ。命がある限り死からは逃れられない。


「それにしても、涼みに行ったはずなのに汗かいちゃったわね。冷や汗だけど」


「ええ、まったく」


「ですが、貴重な体験でした。おかげで中間報告書もはかどりそうです」


 ファウナが鼻息を荒くして答える。渡り竜との交流はいい刺激になったようだ。


「あ、そうだった。ミラン君にお礼をしようって話をしていたんだったか」


「ああ、そうでしたね」


「……お礼?」


 ミランはきょとんとする。


「そ。ミラン君がここに連れてきてくれたおかげで避暑を堪能できたわ。ささやかながらお礼をしたいなって」


「それで……その、何かお礼をしようとみんなで話していたんですが」


 三人の申し出に、ミランは首を横に振る。


「いいよ、そんなの。俺も俺で釣りを楽しんだし」


「で、ですが。ここに来てからというもの、ミランさんには助けてもらってばっかりで……」


「そういう契約だろう。別にお前たちが気にすることじゃないさ」


「分かってないわね、ミラン君。そういう仕事抜きで、お礼がしたいってことなの。日頃お世話になっているお礼。お父さんとかお母さんとか、あるいは好きな異性に贈り物するでしょ。それと一緒よ」


「だが、俺とお前たちは家族じゃない」


 フローラは呆れたように溜め息を吐いた。


「あのね。これだけ一緒にいて、今更他人扱いなの? あなたが私たちに対して遠慮しているのは知っているわ。でもね、考えて見なさい。あなたのお父さんやお母さんだって最初から家族だったわけじゃないのよ。私もファウナもあなたに救われたようなものなの。あの渡り竜と一緒。お礼をしたいと思うのは、そんなにおかしい?」


 ミランはぴたり、と足を止めた。


 ファウナやフローラたちと一緒にいて強制感を感じる理由は、ミラン自身の心の問題だったのだ。


 自分だけが寄り添うのを辞めていた。自分だけが距離を置いていたのだ。血の繋がりがないというだけで。生き方が違うというだけで、自分は別の生き物なのだと。今は一緒にいても、いずれかは離れていく存在なのだと。


 でも、彼女たちはこちらに歩み寄ろうとしてくれている。


 生き方が違っていても、そばにいられるのだと。自分は自分のまま、寄り添えるのだと。そうやって生きていくのが家族なのだと。


 ミランが頭を悩ませる、二人のだらしない格好や油断した仕草も、考えようによっては、彼に対する信頼の表れかもしれない。


 ――やっぱり、俺はまだまだ未熟だよ、父さん。


「フローラがだいたい言ってくれましたが、わたしたちはミランさんに感謝しているんです。だから、是非お礼をさせてください」


「何でも言ってちょうだい。ええそう、何でもね」


「できれば健全なものでお願いしたいのですが……」


 ミランは暫し目を閉じる。彼が渇望していること。それは――


「じゃあ、帰ったら薪、割ってくれ」


 は、と女三人が間の抜けた声を漏らす。


「家族なんだ、生活の仕事を手伝うのは当然だろう」


 そう言えば、薪割りの途中で出てきたのだった。


 三人は溜め息を吐いた。ほっとしたような、ちょっと残念なような。別に桃色な何かを期待したわけではないが、ここまで何もないと本当に異性として見られていないようで、悲しい気持ちになる。


 だが、らしいと言えば、らしい。


「しょうがありませんね。では、薪割りは自分が」


「じゃあ、わたしは釣ってきたお魚を調理します」


「なら、私は肩でも揉んであげましょうか。かじっただけの整体術だけど」


「いや、フローラ、お前のはいい。揉み返しが来そうだ。仕事に障る」


「どーしてよー!」


 フローラが憤慨すると、思わずミランが吹き出した。


 珍しいものでも見たかのように、三人がぽかんとする。


 よく考えれば、こんな風に自然に笑ったのはずいぶん久しぶりだ。


 一人でも、独りではないのだ。そんな当たり前のことに、ミランはようやく気がついた。

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